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ひと夏の奇跡 ~武人埴輪の千五百年目の恋~  作者: おかゆ


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4

「……武人さん?」



混乱のなか、思わず口をついて出た呼び名。

その声に反応するように、芝生の上に倒れていた青年の長いまつげが、かすかに震えた。



「……っ」



ゆっくりと瞼が開く。

吸い込まれそうなほど深い黒い瞳が、ぼんやりと凪の顔を映し出した。



「よ、よかった……!」



凪は思わず胸を撫で下ろした。

とりあえず、意識はあるらしい。



「大丈夫ですか? 立ち上がれそうですか?」



青年は返事をせず、ただ凪の顔をまじまじと見つめていた。

やがて、かすれた声で静かに口を開く。



「……娘」


「え?」


「昼間……私を見ていた、娘だな」



凪は目を丸くした。



「昼間……?」



まさか。そんなはずはない。



「えっと……発掘現場に、いたんですか……?」



青年はゆっくりとうなずく。



「お前は、私を見ていた」



その確信に満ちた言葉に、背中をサーッと冷たいものが駆け抜けた。



昼間見つかったばかりの、あの武人埴輪が頭に浮かぶ。

その姿に、あまりにもよく似た格好の目の前の青年。

偶然にしては、出来すぎている。



(いやいやいや、落ち着け自分! そんなことあるわけないでしょ!)



埴輪が人間になるなんて、少女漫画かファンタジー小説の読みすぎだ。



「え、えっと……」



凪はぶんぶんと頭を振って、突拍子もない考えを強引に追い払った。



「とりあえず、立てますか?」



青年は黙って立ち上がろうとした。

だが──膝に力が入らず、ぐらりと大きく身体が傾く。



「あっ、危ない!」



慌てて差し出した腕で、彼の胸元を支える。

青年は、自分の身体を支える凪の細い腕と、その手元を交互に見つめた。



「……温かい」


「え?」


「……人の、手か」


「…………」


(やっぱり、ちょっと変な人だ……)



そう思うのに。

彼の真剣な瞳と低く静かな声には、嘘や誤魔化しが一切感じられなかった。



「……お水、飲みます?」



レジ袋から冷えたペットボトルを取り出し、キャップを開けて差し出す。

青年は、透明な樹脂の容器を珍しそうに眺めた。



「これは……」


「お水です。どうぞ」



恐る恐る受け取り、口元へ運ぶ。

ゴクン、と喉が鳴った次の瞬間、青年の目が、カッと見開かれた。



「……美味い」



あまりにも真に迫った一言に、凪は思わず吹き出してしまう。



「ふふっ、水でそんなに感動する人、初めて見ました」



青年は首をかしげた。



「笑うところだったのか」


「あ、ご、ごめんなさい! 馬鹿にしたわけじゃなくて……っ」



なんだろう。

出会った瞬間に感じていた不気味さや怖さが、不思議となくなっていく。

代わりに胸の奥から湧き上がってきたのは、「この人をこのまま放っておけない」という、お節介焼きな感情だった。



「そうだ」



凪は息を整え、改めて尋ねる。



「お名前、なんていうんですか?」



青年は少しだけ考える仕草を見せたあと、静かに首を横へ振った。



「ない」


「え? 名前がない……?」


「我が役目は、主を守ること」



その瞳はどこまでも真っ直ぐで、一片の濁りもなかった。



「役目に、名は要らぬ」



冗談で言っているのではない。

本気で、心からそう信じ切っているのだ。

凪は困ったように苦笑するしかなかった。



「そっか……」



言いかけて、口を閉じる。

今は彼の名前うんぬんよりも、先に確認すべき現実的な問題がある。



「帰る場所は……ありますか?」



青年は迷うことなく答えた。



「ない」


「ご家族は?」


「いない」


「じゃあ、連絡できる知り合いとかは……?」


「……いない」



短い答えだけが、淡々と返ってくる。

記憶喪失なのだろうか。それとも、何か人には言えない深い事情があるのか。

警察へ届けるべきなのかもしれない。



けれど──この本物の甲冑のような服を着た青年を警察に連れて行ったら、絶対に不審者扱いされて大騒ぎになる。



(どうしよう……)



すでに夜も深い。

この怪我人(?)を、公園のベンチに放置して一人で帰るなんて、凪の性格上どうしてもできなかった。

青年は街灯の光を見上げ、ポツリと呟いた。



「私は……」



その声は、驚くほど静かで、どこか途方に暮れているように聞こえた。



凪は小さく溜め息を吐く。



「……一晩だけ、ですよ」



青年がゆっくりと凪を振り返る。



「うち、来ますか?」


「うち……?」


「今日はもう遅いですし、警察に行くにしても、明日一緒に考えましょう」



青年は困惑したように首をかしげた。

それでも──しばらく凪の顔を見つめたあと、深々と頭を下げた。



「……恩に着る」



あまりに大袈裟な礼に、凪は苦笑する。



「そんなに堅苦しくしなくて大丈夫ですって。ほら、行きましょう」



そう言って歩き出す。

青年も、重い甲冑の音をわずかに響かせながら、一歩遅れてその後ろをついてくる。



その時──。

ぐぅぅぅぅぅ…………。



静まり返った夜の住宅街に、盛大な腹の虫の音が響き渡った。



凪がびっくりして振り返る。

青年は、大真面目な顔のまま自分の腹あたりを見下ろしていた。



「……今の、お腹の音?」


「腹が……減ったようだ」



本気で不思議そうに呟くその様子に、凪はついに耐えきれず爆笑してしまった。



「ふふっ、あはははっ!」



青年は「なぜ笑われているのだろう」と首をかしげている。

その表情が可笑しくて、凪はますます笑いが止まらなくなってしまった。



夏の湿り気を含んだ夜風が、二人の間を優しく吹き抜けていく。

こうして、千五百年もの時を越えた武人と、ごく普通の女子大学生の、ひと夏だけの不思議な共同生活が始まった。



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