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ひと夏の奇跡 ~武人埴輪の千五百年目の恋~  作者: おかゆ


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4/11

3

ピキ──。



静まり返った保管庫に、小さな亀裂の音が響いた。



窓から差し込む冷たい月明かりが、武人埴輪を静かに照らし出す。

その光を吸い込むように、埴輪の身体が淡い白光を帯び始めた。



土の色は、少しずつ生気のある肌の色へ。

固く冷たい質感は、温もりのある肉体へ。



焼き物だった瞳には静かな光が宿り、千五百年の間固く閉ざされていた唇が、初めて温かい吐息を紡ぐ。



「……ここは」



月光がふっと途切れた時、そこに立っていたのは焼き物の埴輪ではなく、一人の青年だった。


見たこともない部屋だった。

白い壁、平らな天井、ガラス越しに見える街の明かり。どれも、知らないものばかりだ。



恐る恐る、自分の右手を見つめてみる。

五本の指が、自分の意思で動く。

拳を握る。腕が曲がる。

一歩を踏み出せば、ひんやりとした床の冷たさが足の裏から伝わってきた。



(動ける……)



理解はできない。

なぜ自分がこのような姿になっているのかも、分からない。

だが──胸の奥から、たった一つの激しい衝動だけが突き上げてくる。



──あるじ



青年は保管庫の重い扉を押し開け、深い夜の街へと飛び出した。




**




夜風を切りながら、走る。



見知らぬ巨大な建造物。

異様に眩しい街灯の光。



何もかもが、己の知らない世界だった。

それでも、足は迷わない。



長い、永い年月をずっと過ごしたあの場所へ。

我が主が眠る、あの丘へ──。



やがて、見覚えのある木々の影が見えてきた。

深く慣れ親しんだ丘のシルエットに、青年は安堵したように駆け寄る。



──しかし。



その足が、唐突に止まった。



「…………」



そこにあったのは、青年の記憶にある情景ではなかった。



墳丘は大きく掘り返され、周囲には見たこともない柵が巡らされている。

青い布や見慣れぬ道具が散乱し、荒らされた現場だけが月明かりの下で静まり返っていた。



青年は吸い寄せられるように、ゆっくりと歩み寄る。

ぽっかりと黒い口を開けた、深い穴。



そこは──つい先ほどまで、長い年月守っていた場所だった。



「……主」



呼びかける。

返事はない。



土の穴の中にも。周囲の闇の中にも。

主の気配だけが、かすかに残っていた。けれど、そこに主はいない。



青年はその場に崩れ落ちるように膝をついた。

ふと、闇の底から遠い記憶が蘇る。



『まだ起きないのか』

『もう千年以上経ったぞ』



隣で退屈そうに笑っていた仲間たちの声。

あの時は、誰も本気では受け止めていなかった。戯れ言だと思っていた。

けれど──。



「……そうか」



青年は静かに目を閉じる。



「主は既に……お目覚めになることは、ないのですね」



胸の奥が、ガラガラと音を立てて崩れ去り、からっぽになっていく。



いつかお目覚めになるであろう主を、信じて待つこと。

それだけが、自分の生み出された意味であり、存在理由のすべてだと思っていた。



「私は……勘違いをしていたのか」



主は眠っていたのではない。

初めから、この場所で永遠の眠りについていたのだ。



「私は……これから、どうすれば」



誰のために。何のために、立ち続ければいい。

問いかけても、静寂が返ってくるだけだった。



青年は、ゆっくり古墳を後にした。

どこへ向かえばいいのかも分からないまま、あてもなく足を進める。



住宅街を抜け、たどり着いたのは小さな広場だった。

見たこともない遊具と、整然と並ぶ街灯。

青年はフラフラと歩み寄り、木製のベンチに手をついた。



「私は……」



自分はなぜ、今ここにいるのだ──。



深く考え込もうとした、その瞬間。

視界がぐらりと大きく揺れた。



慣れない人間の身体。

全速力で走った疲労。

そして──あまりにも巨大な喪失感。



それらが一気に押し寄せ、青年の意識を刈り取っていく。



「……くっ」



膝から崩れ落ち、青年はそのまま冷たい芝生の上に倒れ込んだ。




**




「……え?」



コンビニからの帰り道。

レジ袋を下げて歩いていた凪は、公園の前で思わず足を止めた。

街灯の明かりの下で、一人の男性が突然倒れ込むのが見えたのだ。



「だ、大丈夫ですか!?」



反射的にレジ袋を握り締め、公園へと駆け込む。

青年は芝生の上に横たわったまま、ピクリとも動かない。



熱中症だろうか。それとも事件だろうか。

混乱しながらも、助けを呼ぶために顔を覗き込んだ──その瞬間。



凪は息をのんだ。



「……え」



見覚えがある。

現代ではおよそ目にするはずのない、古風で重厚な甲冑姿。

腰には、優美な飾太刀。



そんなはずがない。あり得ない。

頭ではそう打ち消そうとするのに。



街灯に照らされた青年の姿は──昼間、発掘現場で見つかったあの武人埴輪に、あまりにも似ていた。



「……武人さん?」



混乱のなか、ぽろりと口から漏れたその呼び名。



それに反応するように。

倒れていた青年の長いまつげが、かすかに震えた。




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