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夏の始まり。
朝から容赦なく照りつける日差しに、白石凪は思わず目を細めた。
「……暑い」
駅前のデジタル温度計は、朝八時だというのに早くも三十一度を示している。
肩に掛けたリュックのストラップを持ち直し、麦わら帽子を深く被り直した。
今日から約二か月間。
凪は、夏休みを使って、市の埋蔵文化財センターで短期アルバイトをすることになっていた。
歴史は好きだ。
小学生の頃、両親に連れて行ってもらった博物館で、様々な展示品を見て以来、「昔の人はどんな暮らしをしていたんだろう」と想像を膨らませるのが好きになった。
とはいえ、大学で考古学を専攻しているわけではない。
文学部の史学科ではあるものの、専門は近代史だ。
発掘調査なんて、テレビの特番で見たことがある程度だった。
「まあ、何事も経験、経験……」
自分に言い聞かせるように小さく呟き、凪はセンターの門をくぐった。
「今日から一か月、よろしくお願いします!」
プレハブの会議室に集まった十数人のアルバイト学生が、一斉に頭を下げる。
彼らを迎えたのは、いかにも現場慣れした雰囲気を持つ、日に焼けた肌の五十代くらいの男性だった。
「おはようございます。埋蔵文化財センターの矢島です」
柔らかな口調だが、その目はどこか職人のような鋭さがある。
「今回皆さんに手伝ってもらうのは、市内でも最大級の前方後円墳──『月守古墳』の発掘調査です」
月守古墳。
その名を聞いた瞬間、凪は思わず顔を上げた。募集要項にも書かれていた名前。
まだ本格的な調査が始まったばかりで、地元のニュースでも少し話題になっている遺跡だ。
「皆さんには、掘り起こした土を運んだり、出土品の洗浄をしたりといった、簡単な作業をお願いします。難しいことは専門の職員がやりますので、安心してくださいね」
丁寧な説明を受け、真新しいヘルメットを受け取る。
「よし、それじゃあ早速現場へ向かいましょう」
現場は、市街地から少し離れた雑木林の中にあった。
広大な敷地を覆うブルーシート。
三脚に据えられた見慣れない測量機器。
そして、きっちりと区画ごとに張られた黄色いロープ。
思っていたよりもずっと本格的な光景に、凪は思わず息をのんだ。
「すごい……」
まるで、教科書の1ページにそのまま飛び込んでしまったかのようだ。
じわじわと、胸の奥が高鳴るのを感じる。
「白石さん」
「はいっ!」
矢島に呼ばれ、凪は背筋を伸ばした。
「今日はまず、ここの区画。職員が掘り出した土を一輪車で土捨て場まで運んでもらえますか」
「分かりました!」
手渡された大きなスコップを握り締め、凪はさっそく汗を流し始めた。
しかし──現実はそう甘くはなかった。
水分を含んだ粘土質の土は、想像以上に重い。一すくいするだけで、腕と腰が早くも悲鳴を上げ始める。
「発掘って……こんなにガチの体力仕事なんだ……」
ジリジリと肌を焼く太陽の下、昼前にはTシャツが肌に張り付くほど汗でぐっしょりになっていた。
一時間の昼休み。
木陰のベンチに腰掛け、冷えたスポーツドリンクを喉に流し込む。
「んんー……生き返る……」
熱を持った身体が、ようやく少し落ち着きを取り戻した、その時だった。
「先生!」
少し離れた斜面の上で、誰かが鋭い声を上げた。
「何か出ました! ......人の形です」
その一言で、現場の空気が一変した。
休憩中だった職員たちが、手にしていたお弁当や飲み物を置いて一斉に集まり始める。
凪も、弾かれたように立ち上がった。
「あの、すみません! 私も見学していいですか?」
「あ、うん。邪魔にならない後ろの方からならいいよ」
近くにいた職員に許可をもらい、凪はそっと人だかりの後ろから覗き込んだ。
四角く掘り下げられた土の斜面。その中央から、赤茶色の硬い塊がほんの少しだけ顔を出していた。
矢島が膝をつき、竹製のヘラと刷毛を使って慎重に土を払っていく。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
千五百年ものあいだ土に抱かれていた姿が、ゆっくりと現れていく。
現れたのは、人のような形をした焼き物だった。
「……埴輪?」
思わず呟く。
職員たちは慎重に土を払い続ける。
やがて、冑らしきもの、肩を覆う鎧、腕の装飾が姿を現した。
「武人埴輪ですね。」
誰かの声が聞こえた。
真っ直ぐに前を見据えた佇まい。
長い年月、土の中に埋もれていたとは到底思えないほど、その表情には不思議な力強さが宿っていた。
「信じられない……保存状態が良すぎる」
矢島が感嘆の声を漏らす。
「これほどのサイズで、欠損がほとんどない。大発見だぞ……!」
周囲がざわざわと活気づく中、凪はただ、その武人埴輪から目が離せなくなっていた。
不思議だった。
ただの土を焼いて作った、置物のはずなのに。
精巧に作られているという、それだけの理由のはずなのに。
まるで──。
誰かを、ずっと待ち続けているような。
そんな顔に見えたのだ。
「白石さん?」
「……え?」
肩を叩かれ、凪は我に返った。隣で、同年代のアルバイトの女の子が心配そうに覗き込んでいる。
「ぼーっとしてるけど、熱中症?大丈夫?」
「あっ、ううん、大丈夫!ちょっと圧倒されちゃって」
慌てて首を振り、返事をする。
気のせいだ。そんなはず、ない。
ただの焼き物が、人間のよう表情を持つわけがない。
そう自分に言い聞かせながらも、凪は去り際、もう一度だけ武人埴輪を振り返った。
木漏れ日を浴びるその瞳が、
一瞬、ひどく寂しそうに揺れた気がした。
この時はまだ、知る由もなかった。
この奇妙な出会いが、自分にとって一生忘れられない、特別な夏の始まりになることを。




