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夏祭りの日。
夕暮れ時の駅前は、色とりどりの浴衣に身を包んだ人々でごった返していた。
屋台から漂う、甘く香ばしい綿あめやソースの香り。
鉄板の上で豪快に焼きそばを炒める、威勢のいい音。
提灯の明かりの下で響き渡る、子どもたちの弾んだ笑い声。
「うわぁ、今日はすごい人だねぇ!」
凪は押し寄せる人波を避けながら、楽しそうに目を細めた。
朔は歩幅を凪に合わせながら、静かに周囲の熱気を見回している。
「皆、祭りというものを楽しみに集まっているのだな」
「うん! この街では毎年恒例の、一番大きな夏祭りなんだよ」
二人は屋台がずらりと並ぶ参道をゆっくりと歩いた。
彩り鮮やかな金魚すくい。
射的。
ツヤツヤと赤く輝くりんご飴。
朔は見るものすべてが珍しいらしく、一歩進むたびに足を止めては興味深く見つめていた。
「……これは何だ」
「射的だよ」
「敵を射る鍛錬か」
「違う違う!」
凪は思わず「ふふっ」と吹き出した。
「おもちゃの鉄砲で景品を狙う、お遊び!」
「遊び……?」
朔は腕を組み、真剣な顔で少し考え込んでから、
「……弓や鉄砲で、菓子を得るのか」
と、真面目そのものの顔で深く頷いた。
「朔、はいこれ!」
凪が差し出したのは、カップに盛られた真っ赤なかき氷だった。
「今日はいちご味!」
「これは……氷か?」
朔は渡されたスプーンで、慎重に山盛りの氷をすくって口へ運ぶ。
「……ッ、冷たいな」
「あはは、アイスとはまた食感が違うでしょ?」
「……冬の雪のようだ」
「ふふっ、真夏の雪だね」
顔を見合わせて、二人は自然と笑い合った。
**
やがて辺りはすっかり深い群青色に包まれ、河川敷には大勢の人々がシートを広げて集まり始めていた。
「もうすぐ始まるよ」
「何がだ」
凪はそっと夜空を見上げる。
「この夏で、一番綺麗なもの」
その瞬間──。
──ドォォォォン……!
お腹の底まで響くような重低音とともに、漆黒の夜空へ一発目の花火が打ち上がった。
「……ッ!?」
漆黒のキャンバスいっぱいに、弾けるように大きな光の花が咲き誇る。
鮮やかな赤。
吸い込まれそうな青。
燦然と輝く金。
次々に色を変えながら、無数の光の粒子が夜空を埋め尽くしていく。
朔は息を呑み、言葉を失ったまま開いた口が塞がらない。
「空が……」
「綺麗でしょ?」
「……まるで、天そのものが花開いているようだ」
凪は嬉しそうに目を細めた。
「ふふ、その表現すごく好き」
二人は肩が触れ合うほどの距離で並び、夜空を見上げた。
開いては消える花火の光が、交互に二人の横顔を鮮やかに照らし出す。
**
しばらくして。
一際大きな花火が空を震わせた。
──ドォォォォォン!!
その衝撃音に驚いたのか、すぐ近くで小さな泣き声が上がった。
「……え?」
凪が振り向くと、そこには五歳くらいの男の子が一人、ぽつんと立ち尽くしていた。
周囲を見回し、不安そうに大きな涙をぼろぼろとこぼしている。
「おかあさん……おかあさん……っ」
「迷子かな……?」
凪は素早くしゃがみ込み、男の子と目線を合わせて優しく声をかけた。
「大丈夫だよ。一緒にお母さん探そうね」
朔もすっと背筋を伸ばし、周囲を静かに見渡した。
人の流れ。
飛び交う声。
人混みより頭ひとつ分高い視線で全体を冷静に観察すると、少し離れた場所で、一人の女性が必死に子どもの名前を呼びながら人波を押し分けているのが見えた。
「あちらだ」
朔が迷いなく指を差す。
「あ! お母さん!」
母親もこちらに気づき、なりふり構わず駆け寄ってきた。
「たっちゃん……! 良かった、良かった……!」
何度も何度も頭を下げる母親に、男の子も泣きじゃくりながら抱きついていく。
「本当に、ありがとうございました……!」
遠ざかっていく親子の背中を優しく見送りながら、凪はふっと隣の朔を見上げた。
「朔って……本当に頼りになるね」
「……そうか?」
「うん。人混みの中からお母さんを見つけるのもすごく早かったし。あの子も、朔がいてくれたから安心できたんだと思う」
朔は少しだけ考えるように、深い瞳を伏せた。
「お守りする者から、一瞬たりとも目を離さぬ。それが、私に課せられた務めだった。」
「……そっか」
凪は柔らかく微笑んだ。
「その務めが、今日も誰かを助けたんだね。かっこよかったよ、朔」
朔は胸の奥が熱くなるのを感じながら、静かに頷いた。
「……お前の役に立てたのであれば、何よりだ」
**
花火大会も、いよいよフィナーレを迎えていた。
夜空いっぱいに、数え切れないほどの最後の大輪が咲き乱れる。
──ドォォォォォォン……!!
無数の光の枝垂れ柳が、まるで星の雨のように夜空から降り注いでくる。
その圧倒的な美しさに、凪は思わずうっとりと呟いた。
「今年の夏……今までで一番楽しいな」
朔は横で花火を見上げる凪を、静かに見つめた。
光を反射してキラキラと輝く瞳。
子どものように無邪気に咲く、その笑顔。
その横顔を見ているだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられ、そして不思議なほど温かい幸福感で満たされていく。
(……私は)
いつからだろう。
『主』を想う時の忠義や使命感とは明らかに違う、この暖かい感情。
守りたい。
……いや、それだけではない。
もっと、この娘の隣にいたい。
もっと、この笑顔を一番近くで見つめていたい。
もっと、一緒に……新しい季節を歩んでいきたい。
花火の音と歓声に紛れて、朔は小さく唇を動かした。
「……凪」
「ん?」
振り向いた凪と、至近距離でまっすぐに目が合う。
言葉が、喉の奥でつかえた。自分は、まだこの想いの『名前』を知らない。
「……いや。何でもない」
「ふふ、そう?」
凪は不思議そうに笑うと、再び夜空へ視線を戻した。
その無防備な横顔に視線がくぎ付けになる。朔は静かに、けれど強く拳を握りしめた。
(この時間が──この日々が、どうか終わらなければいい)
夜空いっぱいに最後の大光輪が咲き誇り、静かに闇へと溶けていった。
消えていく光は儚い。
けれど、二人の胸に刻まれたその一瞬は、何よりも眩しく美しかった。




