5月24日(火)放課後4
5月24日(火曜日)放課後4
(それってもしかして。私のこと?)
三瓶さんの言葉をうけて、ナギはとまどいをかくせなかった。
何しろナギはずっと、自分の楽しみのために、興味の向くまま本を借りてきただけだったからだ。
「……そう、新開さん。あなたが入学してきてからなのよね。
先日点字の入門書を探す相談したときに、先生に新開さんのことを教えてもらったの。
そうしたら、先生があなたの借りた本の記録をパソコンで見せてくださって。」
(三瓶さんはやっぱりストーカーなんかじゃなかったんだ。
それにしてもあの堅物の牛尾先生が私の情報を教えていた、だなんて。)
ナギは心底驚いていた。
「勝手にごめんなさい。
でもあなたの選ぶ本、やっぱり本当に面白い内容のものばかり。
とっても参考になったわ。」
疑問が氷解してゆくにつれて、ナギは、なんだかずっといままでこうやって話してきたような、不思議な感じがした。
本と本棚を媒介にしてずっと2人で言葉の無い会話していたような……。
「私こそ、ごめんなさい。
実は私も調べてしまったんです、三瓶……先輩のこと。」
これまでのことをかいつまんで話す。
三瓶さんは笑って、
「へえ、そんなことから私のことが分かったの、すごいわね!
ああ、でもちょっと安心した。
さっきのメッセージを見たとき、私こう思ったの。
新開さんの読んだ本をこっそり調べたこと怒られるのかもって。」
「そ、そんなこと。こちらこそ勝手に調べて本当に済みませんでした!」
「こちらこそ、どういたしまして。」
にっこり微笑んだ後、すこし間を置いて続ける。
「……この2学期から行く学校では、点字の勉強を本格的に始めることになると思うの。
出来るだけ早く点字で本が読めるようになりたいし。
でもね、やっぱり視力のある今の内に出来る限り読んでおこうとおもって……。」
本好きのナギにとって、本が読めなくなるということはそれこそ「居場所」を本当に永遠に失う恐怖を覚えることだった。
だから三瓶さんの気持ちは痛いほど分かった。
そんなナギの心の中のおののきをよそに、三瓶さんは幾分か声の調子を強めて話し続ける。
「私の視力の低下の原因はね、網膜のダメージなの。
これはもう生まれつきで、どうしようもないことなんだって。
でもね、ここ半年、いろいろと調べてみたら、海外で人工網膜の移植に成功している事例があって。
私もいつか、その手術を受けられないかと願っているの。
今、親や主治医の先生と1緒になって相談したりして調べているところ。
そうしたらアメリカに行くことになるかもしれない。だから今、英語も猛勉強中なのよ。」
(なぜ、この人はこんな風に明るいんだろう。)
ナギは曇りのない笑顔で淡々と重大なことを話す三瓶さんのことが不思議でならなかった。
三瓶さんが今見ている世界というのはどんな風なのだろうか。
もうじき目が見えなくなることへの恐怖は無いのだろうか。
ナギには、将来のことを話す三瓶さんはまるで別の世界に分け入ろうとしている冒険者のように見えた。
その小さくてしなやかな背中で、暗いけれど奥深い「新しい世界」目指して1歩1歩進んで行くのだ。
三瓶さんはメガネを外して、暮れてゆく空を見上げた。
レンズを外したその瞳は、本来の大きさとなって夕空を映す。
空には孤独な、けれどもこの上なく美しい一番星が輝き始めていた。
そしてその星が三瓶さんの曇りない瞳にも宿っているのを、ナギは見る事が出来るような気がした。
「私も点字、勉強します。
……覚えたら手紙を書いてもいいですか?
読んでもらえますか?」
ナギはやっと、それだけいった。
三瓶さんは返事の代わりににっこり笑って、手に持っていた『レグルスからの伝言』をナギに手渡した。
つかの間、2人は握手をした……本を間にはさんで。
(……あ。)
本を受け取りながら、ナギは大切なことに気がついた。
(これって……あの、アンダーハンドパスの角度だ。)
(つづく)




