5月24日(火)放課後3
5月24日(火曜日)放課後3
ナギは、カバンからあの単行本『レグルスからの伝言』を取り出した。
取り出しながら自分の手が小刻みにふるえているのに気がついた。
三瓶さんは首をかしげ、しばし本を見つめるとこともなげに呟いた。
「ああ、この本? ページ、破けていたよね。」
話によると、三瓶さんもゴールデンウィーク前に『レグルスからの伝言』を借りて、その日に読み始めた。
しかし、程なくページが破かれていることに気がついていて、すぐに読むのを中止したらしい。
そしてゴールデンウィーク明けに返却がてら先生にそのことを話したのだという。
「すぐに交換しましょう。」
先生はそういい、他の本とは違う棚に入れたという。
(じゃあ、もしかして、先生がカウンターの棚の隅に別にして置いてあった本を、その日返却係だったアミが返却本かなにかと間違えて処理してしまったとかそういうこと? 三瓶さんは、犯人じゃなかったんだ。アミのおっちょこちょいめ。)
ナギは体の力が抜けると同時に、心底ほっとした。
三瓶さんは続けて口を開いた。
「でもやっぱり早く続きが読みたくて、近所の市立図書館で借り直していたの。
分厚い本だったから読み終わったのはつい先日。
本にあったレグルスやら、獅子座流星群が気になって、写真集を借りに行ったんだけど、あなた、先に借りていたのね。」
分厚いレンズの奥にある、三瓶さんの黒い瞳がナギを捉えた。
「……やっぱり、また先を越されてしまった。」
やはり、三瓶さんは目が悪かったのだ……それもかなり。
ナギの視線に気がついたのか、三瓶さんはなんということもない調子で話始めた。
「私ね、ごらんの通り生まれつき目が悪いの。学校でも1番前の席で黒板の文字がやっと読める位。
今までなんとかマリジョに通って来られたのだけど、そろそろ無理が利かなくなってしまって……。」
三瓶さんの話はこうだった。幼い頃から先天性の目の病気を患っていたが、これまでは本人の希望や主治医や学校側のサポートもあって、地域の小中学校に通っていた。
もちろん高校も普通科の高校であるマリジョを受験し合格。しかし入学した頃から極度の近視とともに急速に視力の低下が進み、とうとう医師からこのままでは失明の恐れがあるとの宣告を受けてしまった。
なんとかマリジョを卒業したくて頑張ってきたのだが、去年の秋、先生と親との3者面談の席で、視力のことと卒業した後の進路を含めて何度も話し合った末、この2学期から特別支援ある学校に進むことに決まった、と。
おそらくこういった視線や自分の身上を話すことに馴れているのだろう。
三瓶さんのいたって自然な態度に、ナギは自分を殴りたくなった。
(私って、なぜこういう気遣いができないのだろう……。)
ナギは相手を射るがごとく容赦ない視線をそそいでしまった、ぶしつけな自分の行為を恥じた。
三瓶さんは、ナギの見せた単行本を手にとって開き、ぱらぱらとページをめくり始めた。
小さな背中がかがみ込むように本の上に覆い被さる。
(1文字1文字を拾うように読んでいる)
「この本、本当に面白いよね。特にローズがハワイでピンチに陥って、ケンから、手紙を受け取る所は、本当に哀しくて美しいシーンだと思ったわ。」
(やっぱり、私の想像した通りの人だった。)
ナギは心底うれしくなった。
「……図書館の学習室ってね、」
と三瓶さんが続けた。
「朝の図書館開放の時間は、朝日が当たるからとても明るいの。
だからよくそこで勉強していたのだけど、そこからよく見かけたのよ。
最近朝、走り込んでいたでしょう。
あれが新開さん、って牛尾先生が教えてくださったの。」
三瓶さんの猫背を見て、ナギの心に引っかかっていた疑問が氷解していく。
ナギが感じていた不自然なイタズラは全部マリジョの図書館の薄暗くて素っ気ない棚が原因だった。
逆さまに入っていた本は確かに上下の見分けのつきにくい白っぽい表紙だった。
3と8が逆になっていたのも、分厚い百科事典にの背表紙に押された金箔の文字が光ってまちがえたのだろう。
「少しおっちょこちょいなのよね。」
三瓶さんは自分の頭をこづいたが、ナギには理解できた。
棚から出した本はカウンター脇の返却棚に置いておいても良いはずなのだ。
しかし、三瓶さんはできる限り閲覧した本を棚の正しい位置に戻そうとしてくれたのだった。
だから、医学書の棚になぜか電気工学にあったのも、『太陽の時代』が歴史の棚にはいっていたのも、棚の上の方に貼り付けてある案内番号がよく見えなくて棚の位置を間違えたからなのだろう。
ナギはしどろもどろになりながら、図書館のイタズラについて1つずつ説明していった。
すると三瓶さんは驚いていった。
「本当?! 私ってば、かえって図書委員の仕事を増やしていたのね。
本当にごめんなさい。あまり図書館の棚のことには詳しくなくて。」
三瓶さんは少し間をおいて、幾分小さな声で先を続ける。
「……実はね、なにより、知りたかったの。
ここ2年ばかり新着図書で面白そうな本に限って、必ず私より先に借りてゆくのは誰だろうって。」
(つづく)




