第17話 桐原②
出発の朝、中谷が白金高輪駅を出ると、カンカン照りの太陽とむわっとした湿度が襲いかかってきた。頬を大粒の汗が流れ落ちていく。
白金の建設現場に近づくと、報道陣にかこまれ、質問が飛んできた。第二陣の調査班が今日出発することを誰かがリークしたのだろう。
調査が進んでいることのアピールか、逆にもっとやれと発破をかけるためか。こんなこともあろうかと、オフィスカジュアルにフルメイクで来て良かったと中谷は思った。
「菜穂子ちゃんおはよう」
すでに到着していた桐原も、ビジネスの場にふさわしい白シャツ姿だった。ただ、抱えているバックパックだけが、不釣り合いに大きい。中谷の真新しい登山用バックパックとは対照的に、随分と使い込まれていた。
「それなに?」
中谷は桐原が手に持っているノートを指差した。
「単語帳。いま数字を復習してる。覚えた?」
「ul, unu, du, tri, kvar, kvin, ses, sep, ok, naŭ, dek」
中谷は1から10まで数えてみせた。仕事が終わってから寝る間を惜しんで覚えた。それでも、中学時代の英語力のほうがまだましだったと感じる。語彙が圧倒的に少ないのだ。
「さすが」
桐原は余裕そうな顔でノートに戻った。
やがて出発を告げられ、中谷たちは高機動車に乗り込んだ。
高機動車がゲートを潜る。一瞬前まで地下にいたはずなのに、車窓いっぱいに緑の草原と青空が広がった。
しばらく走って拠点に着き、車を降りた。東京とは空気が違った。高緯度だからか気温は低く、湿度もずっとましだ。さっきまで汗ばんでいた肌に風が気持ちいい。
このゲートがもっと広ければ、軽井沢を超える避暑地として人気になっただろうと中谷は思った。だがいかんせん、ゲートが狭すぎる。荷物も行き来することを考えると、新幹線より人を捌けない。これでは、高所得者向けのリゾートホテルか、別荘がせいぜいだ。
◇
なんか異様に顔がいい人たちが来たな、と渡辺は思った。中谷と桐原のことである。
異世界に渡ってから25日目、渡辺は、新しく異世界にやって来た中谷たち広域産業調査班と接触班の交代人員、そしてそれぞれの警護担当を迎えた。
接触班の交代人員は、渡辺の代わりの内閣官房の職員、斎藤の代わりの外務省の担当者、加えて言語学者2人の構成である。
内閣官房の担当者は、渡辺がやっていた連絡係のほかに、科学調査班到着後、その管理と調整も仕事とするらしい。
早速引継ぎとして、渡辺と斎藤は、中谷と桐原、そして新しい接触班を連れて町に出かけた。
「セラン、日本から新しく人が来たんだ。紹介したい」
セランはあまりに人数が多いので一瞬面食らった様子だったが、すぐに気を取り直して日本語で挨拶をした。
「はじめまして、私はセランです」
「日本語ができるんですね」
中谷は驚いて言った。
「少しだけ」
若さゆえの華奢な体と無邪気な笑顔から、中谷にはセランが日本に来た留学生みたいに見えた。「少しだけ」という言い方もほぼそれだ。
「島村さんが教えたんです。基本は現地語でやりとりしてますが」
渡辺は笑って説明した。日本から来た中谷、桐原、そして接触班の面々は順に自己紹介と挨拶を交わした。
「セランは、徴税と領内の農村の管理をやっているお役人さんです。セランに着いていくという条件で領内を動き回ることを許されているので、農村で何かしたいときや、人手が必要なときはセランを通してください」
「あの、産業調査をするにあたって領主様に私たちの身元を証明する書状を書いていただきたいんですが、それもセランさんにお願いすればいいでしょうか?」
「セラン、あの人たちはこれから違う領地に行きたい。私たちがだれかわかるものを領主様にもらうことはできる?」
渡辺は現地語で言った。
「ああ、それなら商務官に話した方がいいよ」
セランは言った。
「あの、斎藤さんがやりとりしてる人か」
「そうそう」
「町の商業の管理と領主の商取引を担当してる人が別にいるんですよ。紹介するついでにお願いしちゃいましょう」
◇
その足で商務官の事務所を訪れた。
斎藤が事情を説明すると、商務官は領主の書状を取り次いでくれることになった。また、アルデンから来ている商隊について尋ねると、明後日帰る予定だという。
「話をするのはかまわないよ」
「ありがとう。助かるよ」
◇
「斎藤さん、僕たちが一緒に行くかもしれない商人の方達ってどこにいます?」
事務所を出ると桐原が尋ねた。
「ああ、ほら、あそこで荷馬車の横で商品を広げてる人たちがそうだよ」
斎藤が指した先の広場には、荷馬車が数台並び、その前で商品を広げていた。荷車の前には、色の違う布地、鉄製の包丁やハサミ、釉薬のかかった器、塩を詰めた小袋などが並べられていた。
「僕、ちょっと挨拶して来ます。あ、警護の方もいたほうがいいですよね、悪いんですが誰かついてきてもらってもいいでしょうか?」
歩き出そうとする桐原を中谷が止めた。
「待って、まだ紹介してもらってないのに」
「挨拶するだけだって。てか、菜穂子ちゃんも一緒に来なよ。市場調査もできるし」
「あの、値段聞くなら何か買った方がいいですよ。文無しの時に質問ばっかりしてたら嫌われたんで」
横から渡辺が口を出した。すでに現地通貨については引き継ぎを受けており、中谷が現金を管理していた。
「ほら、菜穂子ちゃんいないと始まんないから行こう」
中谷はなし崩し的に桐原に連れて行かれることになった。
2人が商人たちの方へ歩いていく。渡辺はその後ろ姿をしばらく眺めて、ぽつりと言った。
「外務省ってあだ名文化あるんですか?」
◇
荷車の前では、住民らしき女が商品を見定めていた。しばらくして針を一本選び、店の女性に銅貨を5枚渡す。
「はじめまして。私はキリハラ。あなたの名前は?」
その店の女に、桐原が話しかけた。
「ミラ」
女性は愛想よく答えた。
「ミラっていうんだ。教えてくれてありがとう」
ここまでは普通だった。
「どこから来たの? アルデンっていうんだ。この町にはよく来るの? ひと月に1回。結構来るんだね。何がよく売れる? これ? これなんて言うの? ハサミっていうのか。ハサミはいくら? この器かわいいね」
桐原は、覚えたばかりの現地語を総動員して滝のように話し続けた。彼は、売っている陶器の皿やコップの値段をひとしきり訊いて、
「これもらうよ」
とマグカップを手に取った。中谷は横でひたすらメモをとり、言われるがまま銅貨を12枚出した。ほぼ財布係である。
「ありがとう、大切にするよ」
桐原は笑顔でそう言って、大切そうにマグカップをかかえた。
「ちなみにここでは何を買って帰るの?」
桐原が尋ねるとミラは、荷車の中の袋を指した。中身は羊毛に見えた。
「羊の毛か」
ちょうどその時、羊毛を抱えた男がやってきた。ミラは桐原たちに少し待つよう身振りで示すと、羊毛を一房つまんで広げた。何事か男と話したあと、近くにいた男に声をかける。男が秤を持ってきた。
どうやら、こうして直接買い付けているらしい。
「ありがとう。じゃあまたね」
桐原はその場から立ち去ると
「はい、プレゼント」
とマグカップを中谷に渡した。
中谷は、しばらくマグカップを呆然と眺めた。
なんだこいつは。
広場を回ると、農民が籠に入れた野菜や卵を売っていた。革職人の露店には靴やベルト、革袋が吊るされている。どれも近隣の村から持ち込まれたものが材料だという。
そこからメインストリートに移り、店を一軒ずつ回った。挨拶をして、雑談をして、値段を訊く。安いものなら一つ買った。値段だけ訊いて立ち去ると、さすがに印象が悪い。
◇
翌日、領主の書状ができたか確認しに町へ戻ると、そこかしこで「キリハラ」と呼び止められた。曰く、「いまパンが焼きたてだよ」「昨日見てた布、彼女に買ってやらないのか?」「昨日聞いてた革袋、安くしてやるぞ」。
目が合えば、桐原からも話しかけた。
「やあミラ、昨日のカップのおかげで、今日は飲み物が美味かったよ」
もちろん嘘である。試料として購入したので日本送りになった。
なんだこいつは。
中谷は呆れながらも、調査が進んでいることを認めざるを得なかった。パン、金物、陶器、布のおおよその値段と、それがどこから来るのかがわかった。周辺では小麦と羊毛が生産され、町では近隣の皮を使った革製品も作られている。羊毛を出して、布を買う。アルデンでは織物が作られているのだろうか。
中谷は、少し先で店主と笑いながら話している桐原を見た。
仕事ができることは認める。
だが、この男の言うことを真に受けるのはやめようと思った。
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