第16話 桐原①
大沼が研究体制に頭を悩ませているころ、渡辺たちが滞在している拠点では、仮設施設の建設工事が始まった。
長期調査を見越して以前から計画されていたものだが、先日の発火現象を受け、完成前から増築が決まっていた。
「建物が建つんですね」
拠点で朝ごはんを食べながら島村が言った。工事の音が響いていた。
「みたいですね。僕たちはずっとテント生活だったのに」
渡辺はコーヒーを飲みながらぼやいた。
「まあ、第一陣の調査隊なんて鉱山のカナリアも同然ですから」
斎藤が笑いながら言った。
「うわ、ひどい……」
「私たちのおかげで後任が安心して来られると前向きに考えましょう」
「そんな簡単に割り切れませんよ」
◇
一方、霞ヶ関では、中谷が第二陣の調査班のうち、広域産業調査のメンバーと顔合わせを行うことになった。
中谷が会議室のドアを開けると、先客がいた。
「あ、久しぶりだね、菜穂子ちゃん」
ニヤついた、いや、これは中谷の穿った見方で当人は微笑んでいるつもりの笑顔で迎えた男は、外務省職員の桐原だった。中谷は、名簿から事前にこの男が来ることはわかっていたが、この挨拶は予想外だった。
「なんで覚えてるの? 10年ぶりだと思うけど」
「なんでって、一緒に飲んだんだから覚えてるよ」
桐原が言っているのは大学生のときに開催された省庁志望者飲みのことだ。
「いや、10人以上いる飲み会で1回喋っただけじゃない。そんなうっすい関係の人間なんて覚えてないでしょ普通。しかもファーストネームで呼ばないでしょ。10年経ってるんだから」
「いや、覚えてるよ。菜穂子ちゃん面白かったし」
面白くない。会話を1人で回していた桐原に比べたらモブだ、モブ。
「というか、桐原くんあのあと留学したのでは?何年入省?」
桐原は答えた。
「やっぱり。私のほうが1年先輩です。敬語でお願いします」
「えー。これから寝食を共にするっていうのに」
そこに警護の責任者である、自衛隊の塚本が入ってきた。
「お知り合いですか?」
中谷は、深呼吸をしてから答えた。
「大学の同級生です。すいません、はじめましょう」
中谷は、2人に今回の調査の概要を説明した。
「今回の目的は、拠点周辺だけでは把握できない交易の実態を確認することです。拠点付近の領地を訪れている商隊と交渉し、同行させてもらいます。商隊とともに領外まで出る予定です。ただし、商隊には8日目を上限に同行し、帰路は車両で2日程度を見込んでいます。拠点を離れるのは合計10日です」
中谷は紙に書かれた調査項目を指した。
「調査対象は、各地で売買されている商品と価格、生産地、交易路、輸送手段、市場の規模。それから通行税や関税に相当するものがあるのか。領地をまたいだときに制度や通貨が変わるのか。このあたりです」
「かなり広いですね」
塚本が言った。
「領外の調査自体が初めてなので。今回は精密な統計を取るというより、まず全体像をつかむのが目的です。何がどこで作られて、どこに運ばれて、何と交換されているのか。それが分かれば、次に何を調べるべきか決められます」
「日本の商品も売るんですよね?」
桐原が訊いた。
「少量だけ。綿布を中心に持っていきます。現地通貨の確保も兼ねていますが、どこで、いくらなら売れるのかも記録します。逆に、日本に持ち帰る価値がありそうな商品や原材料があれば、それも確認します」
「買えるものなら買う?」
「試料として必要と判断したものは購入します。基本は記録だけ。今回は買い付けが目的ではありません」
中谷は続けた。
「それから重要なのが距離です。GPSは使えません。車両の走行距離、方角、所要時間、道路の状態、川や橋、集落の位置を記録します。あとで国土地理院側で整理してもらいます」
「通信は?」
「無線が通じる間は定時連絡を行います。通信圏外に出た後は、帰還まで連絡手段はありません」
桐原が顔を上げた。
「一切?」
「一切」
「いいですね」
「よくないです。日本からしたら私たちが安全に調査を遂行しているのか、のたれ死んでるのかわかりません」
中谷は即答した。
「なので8日目で必ず折り返します。商隊が先へ進んでも同行しません。何か面白そうなものがあってもです」
「俺を見て言ってる?」
「全員に言っています」
中谷は塚本に目を向けた。
「安全面については警護担当、つまり塚本さんの判断を優先します。予定地点に達していなくても、危険があると判断された場合は引き返します」
「了解しました」
「以上です。質問ありますか?」
桐原が手を挙げた。
「飯は?宿は?」
中谷はわざとらしくため息をついた。
「食事は、現地調達を主としますが非常用に携行食を持っていきます。水も同様です。宿は、基本的には現地の宿に泊まる予定ですが、旅程によっては野宿もありえます」
「いいね。それと、パスポート的なものは不要?」
「パスポートですか?」
「そう。荷物に通行税がかかるのは想定してるけど、割符とか、許可証とかその手のものが必要かもしれない。見慣れない車で関所に行ったら、どこの誰だって話になりかねない」
「現地で確認しましょう。領主の役人に伝手があるそうです」
「ならきっと領主に一筆書いてもらう方がいいね。あと、領外で領主や役人から正式な交渉を求められた場合は?」
桐原が訊いた。
「持ち帰ります。今回の調査隊に外交上の合意をする権限はありません」
「OK。面会自体は?」
「話をすること自体は禁止されていません」
「じゃあ、話は聞く、ただし約束はしない。日本との交易や国交の話になったら、本国に持ち帰って回答する」
「そちらで、お願いします」
「道路状況についてですが、車両の通行が困難になった場合はどうしますか」
塚本が訊いた。
「馬車を借りるのは?」
桐原が言った。
「勧めません。車両は輸送手段であると同時に、緊急時の帰還手段です。帰還手段を確保できない場所まで進むべきではありません」
「おっしゃる通りだと思います。車両が進めない地点を今回の調査限界として問題ありません」
中谷は資料にそう書き加えた。
「他になければ、今日は以上です」
資料を閉じると、桐原が椅子の背にもたれた。
「いやあ、楽しみだな」
「そんな感じで大丈夫なの?かなり心配なんだけど」
「だって異世界だよ? 地図のない旅だよ? 地球じゃできない未知の旅だよ? やばくない?」
中谷は返事をせず、資料を鞄にしまった。
10日間。ガイドブックも、Google Mapもないところに行くのだ。目にするもの全て、日本人が、いや地球人が見たことのない景色なのだ。
志願した時、中谷の頭にその興奮がなかったと言えば嘘になる。こんな大冒険は一生に一度もない。
「まあ、それはわかる」
中谷は渋々認めた。
「やっぱり」
桐原のニヤついた顔を見て、こいつと10日旅するのだけはちょっと嫌だ、と中谷は思った。
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