第14話 この世の地獄
渡辺が異世界で牛や羊と戯れ、セランと昼食を摂りながら談笑をしている間、大沼は日本で地獄を見た。
異常現象対策室という室が内閣官房配下に設けられ、大沼、渡辺の2人が担当していた業務を合計18人で担当することになったが、楽になるどころか辛さは増した。
解くべき論点は検討している人間の数より明らかに多く、仕事量は指数関数的に増えていくように感じられた。
白金でドローン映像を眺めていた頃が懐かしい、とたびたび大沼は深夜に思い返すことになる。
◇
まず最初に問題になったのは、ゲートが発生したマンション建設現場の利用についてだった。
遺跡の調査という名目で一時的に出入りを制限し、自衛隊と学者が出入りしているがこんなことをいつまでも続けていられるはずもない。調査はまだまだ続き、とても1ヶ月やそこらで終わるとも思えなかった。
加えて、官邸は交易をせよと強く主張しているため、ゲート周辺用地は今後入国管理や検疫のための施設となる可能性が高く、中長期的に国が用地を押さえておく必要がある。
そこで、当面は借用という形で利用し、来年度の取得に向けて動くことになった。
もちろん場所は一等地のマンション建設現場である。ゲート発生でマンション建設どころではないにせよ、用地買収には莫大な金がかかる。補正予算および来期予算への組入のため、財務省と調整が必要になった。
◇
場所の問題という点では、地域住民の声も無視できなかった。
「異常空間の発生」という俄かには信じ難い説明により、警察が出入りを規制し、自衛隊の車両が行ったり来たりしているのである。山手線の内側、万の住民が住む白金高輪駅徒歩2分の場所でだ。
ネット上では陰謀論がはびこり、近隣住民の不安の声が報道された。
港区長は会見を行なって、政府に説明を求めた。
「区民の生活に直接影響する事案について、区に十分な説明がないことは遺憾です。国には速やかな情報提供と、住民への説明を求めます」
政府として公表できる情報は「原因不明の異常空間を調査中」から一向に増えず、港区から繰り返される住民説明会の要請にも、「現在調査中」と回答するほかなかった。
公式に発表できないというだけでなく、たとえ正直に話したところで何にもならないという諦念もあった。
「異世界ゲートが発生して港区から前近代の村に直行できるようになりました」
と言ったところで何になる。余計不安になるだけじゃないか。
◇
調査に関しても問題が多かった。
渡辺たちは「とりあえず」急造で送られた部隊だ。きっかり30日で帰還することになるが、その後続をどうするかは大きな論点だった。
「あれも知りたい」
「この試料が欲しい」
さまざまな省庁や政治家が求める要請の大半を「4人では無理です」と跳ね除け、今後の調査項目というリストにまとめていった。結果的に小さな大学1つ分の研究者を1年派遣しても、とても足りないくらいの調査リストができた。
いったい何円かかるんだと大沼はひとりごちた。全部認めていたらキリがない。
官邸とも調整した末、第2陣では短期的な通商可能性の把握を優先することになった。
◇
調査予算獲得の算段をつけ、次に上がった論点は警備だ。
「現在は災害派遣で隊員を派遣していますが、恒常的なゲート警備・異世界側での調査隊警護まで災害派遣として続けるのは法的に無理があります」
と防衛省が問題定義したからだ。
災害派遣が法律の拡大解釈に近いことは大沼たちも十分理解していた。そもそも災害ではないし、ゲートの向こう側に渡っているのだ。自衛隊が活動する根拠がない。
「そもそも、警備ならば警察ではどうか」
という案も検討された。
「国内なら警察でしょう。ただ、向こう側まで警察官を出す根拠は何ですか」
警察庁の担当者が言った。
「ゲートは港区にあるんだから、その先も東京都という整理はできないんですか」
誰かが言った。
「いや、それは困ります」
今度は農林水産省の担当者が口を挟んだ。
「向こう側を国内と整理したら、動植物検疫をどうするんですか」
「検疫も同じです。人についても、国内から国内への移動という整理をされると困ります」
厚生労働省まで加わった。
大沼は論点表を見た。
警備について話していたはずなのに、いつの間にか検疫の話になっている。
「いったん、異世界の法的地位と警備主体は別論点にしましょう」
大沼は論点表に2行追加した。
数日後、現行法を無理やり解釈するより、自衛隊の活動根拠を定めた特措法を通した方が早いという結論に至った。
◇
法律の整備が必要なのは自衛隊に留まらない。
人の往来、物品の往来、その管理方法、管理のための施設、予算。
異世界にパスポートという概念があるはずもないが、入国を認めるのか。そもそも異世界は外国なのか。
生態系が未知の異世界も、港区の地下からトラックで出てくる異世界の貨物も当然のことながら現行法では想定されておらず、法整備が必要だった。
専門家を交えてじっくりと検討すべき内容だが、官邸が「交易を、早く」と急かすため、そうも言ってはいられない。
法務省、厚生労働省、農林水産省、財務省、国土交通省、防衛省の担当者、それを統括する大沼たちは目まぐるしい勢いで法案整備に動くことになった。
◇
交易に対する政治家の期待は押し並べて高かった。特に総理は、口癖のように「資源、石油、レアアース」と繰り返し、大沼たちの検討を急がせた。渡辺たちが実験的に領主に商品を販売した後、その圧力はさらに強くなった。
「総理は現実が見えてなさすぎです。どんなに東京近くに魅力的な資源があっても、トラック1台ギリギリ通れる広さのゲートを経由するっていう時点で、人も物も大した量を運べないんですよ。1レーンしか入国審査ゲートがない空港みたいなもんじゃないですか」
経産省から出向してきた中谷は、筋違いのプレッシャーにうんざりして度々こぼした。
「だいたい、石油、レアアースってうるさいですけど、あんな小さな穴にパイプライン通しちゃったら他のもの通りませんし、誰が治めてるのかもよくわかんない土地で広範囲に地質調査とかやるつもりですか? 勝手にやったらぶっ殺されますよ」
「それ本人に言うなよ。異世界で殺される前にキャリアが死ぬぞ」
大沼は愚痴に付き合いつつ釘を刺した。
「わかってますよ。それくらい弁えています」
中谷は交易可能商品の特定と称して、第2陣の調査班の1人として異世界に渡り、広域の産業調査に乗り出すことに決まった。
本人の志願だったが、大沼には、その理由がなんとなくわかる気がした。
◇
大沼が魔法発見のニュースを目にしたのは、そんなある日の22時だ。
「大沼さん、これ見てください」
中谷が後ろの席からめずらしく声をかけてきたかと思うと、何かの動画を再生した。
若い男が1人映っていた。何も持たず、素手で紙に火を点けた。
「TikTokか何かか?」
「ははっ、面白い冗談ですねー。違いますよ。これ渡辺さんの報告書の添付動画です」
そう言われてもう一度見てみると、確かに男は若いが、今のZ世代の服装ではない。中谷が手にしているのも、私物携帯ではなく支給品のPCだった。
「報告書によれば、原理不明の発火現象だそうです」
大沼は自分のPCを開いて報告書を読んだ。たしかに中谷が言った通りの内容が書かれていた。
こめかみを押さえて天井を見た。
また仕事が増えた、と思った。
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