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蓮池に霄(そら)は揺蕩う〜ツッコミ少女はポンコツ仙人をどつきたい〜  作者: サキハナ月子


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40/40

40. そなたの目は、美しい

術の光が収まったとき、采蓮の視界に広がったのは、見慣れたあばら家だった。

ひんやりとした山の空気、湿った土の匂い。

数日前まで当たり前だった日常がそこにはあった。


「……帰ってきたんですね」


「うむ。やはりここは落ち着くな」


凌霄は胸に手を当てながら呟いた。


今采蓮の目の前にいるのは、力のないポンコツでも、少年でも赤子でもない。

圧倒的な美貌と力を取り戻した、仙人という超越者だ。


采蓮の胸を、言いようのないざわつきがかすめる。

用が済んだのだ。詐欺師は捕まり、気の乱れもきっと景朔に尻を叩かれながらあの糸目の男が正していくのだろう。

なら、凌霄がここに留まる理由は、もうどこにもない。


「これは、約束の礼だ」


凌霄が虚空に手をかざすと、ドサドサと大量のキノコが床板に降ってきた。


「……なんですか、これ」


「礼だと言ったろう。そもそも、それが目的であった」


「そういえばそんな話もありましたね」


それ以外の出来事が濃すぎて完全にお礼のくだりは忘れていた。


「……そうですね。目的も果たしましたし、ついにお別れですね」


なるべく平坦な声で、采蓮は言った。


胸の奥が、ちりりと痛んだ。

自分はただの村娘で、彼は仙人。住む世界が違う。

今度こそ、本当のお別れ。

ようやく静かな生活に戻れるではないか。喜ばしいことだ。

そう、自分に言い聞かせる。


「……うむ。そうだな」


凌霄の返事は、どこか歯切れが悪い。


彼は立ち上がり、采蓮の顔をじっと覗き込んできた。

その黒曜石の瞳が、期待するように煌めく。


「そなた……私がいなくなったら、寂しいのではないか?」


図星だった。

心臓が跳ね、采蓮はとっさに顔を背けた。


「そんなわけないでしょう。ようやく静かになって、せいせいしますよ」


「……そうか」


凌霄の肩が、目に見えてがっくりと落ちた。


「そなたには、世話になった……」


彼は一度だけ胸のあたりを窮屈そうにさすると、そのまま背を向けて、とぼとぼとあばら家を出ていった。




その夜。

采蓮は、久しぶりに一人で布団に潜り込んだ。


シン、と静まり返った部屋。

ここ最近はずっと隣から聞こえていた、すぴーすぴーと安らかな寝息がない。


「……さみしい、のか。私は」


暗闇の中で独りごちた声が、虚しく響く。

結局、采蓮は一睡もできないまま、白み始めた朝を迎えた。




翌朝。

重い体を引きずり、半分は溜息をつきながら、采蓮は家の戸を開けた。


そして、その場で固まった。


「……何やってんですか?」


戸口のすぐ脇。

地面に直接、大きな体を小さく丸めて体育座りをしている美丈夫がいた。


「娘よ……やはり、だった」


「やはりとは?」


「力が使えぬ」


「は? 物極必反とやらで、力は完全に戻ったんじゃなかったんですか?」


凌霄は恨めしげに采蓮を見上げた。


「厳密には違う。あの時は陽が極まって、陰の方向に反転する途中経過だったのだ。

その後、完全に陰の気に振れた。それが理だ」

「意味わかんねぇ理だな」


「そういうわけで腹が減って死にそうだ」

「……」


「昨日やったキノコ、あれを少し、分けてはくれまいか。


采蓮は頭を抱えた。この男、結局こうなるのか。


「また自分で術を使って出せばいいでしょうに」


「あれはそなたへの礼だから出したのだ。そうそう数打ちしていい類のものではない」


呆れ果て、それでもどこか安堵している自分に腹を立てながら、采蓮は彼を家の中に招き入れた。


そして、床に転がっている”お礼のキノコ“を拾い上げる。


……そして、そのキノコをよく見た采蓮は、目をすわらせながら叩きつけた。


「全部毒きのこじゃねぇか」

「なに!?」


結局、采蓮はため息を付きながら粥を炊いてやることにした。


「おぉ、そなたの粥も久しぶりだ」


嬉しそうに後ろから覗き込んでくる凌霄に、ごすっと肘鉄を食らわす。


「おぅふっ……! な、何をするのだ!」

「なんとなく」

「なんとなく!?」


「道士様」


腹を押さえて蹲る凌霄に、采蓮は振り返って呼びかけた。


「……おかえりなさい」


ぶっきらぼうで、今にも消え入りそうな小さな声になった。

凌霄はぼそっとつぶやかれたその言葉に目を見開き、ついでふにゃっと微笑んだ。


「うむ」




食後、凌霄は満足げに人心地つくと、居住まいを正して采蓮に呼びかけた。


「采蓮よ」


珍しく彼から名前を呼ばれ、采蓮の動きが止まる。手招きされ怪訝な表情になった。


近づいた瞬間、おでこに「ぺちっ」と御札を貼られた。


「え、なんですか。今は別に気の乱れなんて……」


「これは少し違う」


自分も同じ御札を手に持ち、凌霄は静かに目を閉じた。


「そなたも、目を閉じよ」


言われるがままに、采蓮は瞼を閉じる。

視界の裏側に、いつもの気の光が溢れ出した。

すう、すうっと夜空を駆ける流れ星。

綺麗だけれど、綺麗だからこそ、采蓮をずっと孤独にしてきた、あの煩わしい光景。


「……そなたには、このように気が見えているのだな」

「え?」


采蓮がぱちっと目を開けると、すぐ目の前で凌霄が得意げな笑みを浮かべていた。


「これはそなたの視界を共有できる符だ。」


凌霄は采蓮の瞳をまっすぐに見つめ、いたずらっぽく、けれど優しく囁いた。


「やはり私が言った通りであったな。」


「そなたの目は、美しい」



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