藤尾奥山
藤尾奥山の南斜面の峠付近にはなだらかな部分があるが、そこからさらに西南西に降りると路の南側は完全に斜面になる。山間部の夕刻は日没が速い。南西の山並みに日輪の端がわずかに残っている程度で、辺りはすっかり薄暗くなっていたが、橙色の夕焼け空が山の南斜面を朱に染め、わずかばかりの明るさを残していた。そのわずかな明かりを頼りに坂道を下りていくが南に見える盆地の中にぽっかりと浮かぶ山の北側の町や村には灯りがついており、盆地の中にある家々からは次々と灯りがつけられていくのが見える。
峠道の最南端からは、よそ見をしていられない。なぜなら、道の南側は完全に斜面になっており、道を踏み外せば谷底まで転げ落ちてしまう恐れがあるからだ。斜面に樹木や灌木が生えているので、谷底まで真っ逆さまと言うことにはならないものの、非常に危険である。足元がおぼつかない中での下り坂は慎重に下りなければならず、どうしても足が遅くなる。
まあ、人外には足元がよく見えているらしく、彼らは足取りも軽やかに下りて行くので、雷蔵は『南無三!』とばかりに覚悟を決めて歩調を合わせるのだが、そうはいっても、足元がよく見えない状態で軸足よりも低い場所に足を降ろすのだ、躓いたり滑ったりもする。だが、そうなるたびに琵琶姫や辰の神が支えてくれたので、何とか足首をくじくことなく坂を下り続ける。
坂の途中ですっかり暗くなってしまった(まだ月が三日月のまま)ので、ほとんど足元が見えない状態になったことで雷蔵が怖じ気づき始めると、子の神がやれやれという体で「その方らが支えておけば良いというわけではないものじゃ」と言いつつ松明を持って近づいてきた。
子の神に足元を照らしてもらうことで安心した雷蔵は、確かな足取りで坂道を下り、峠坂の起点にある地蔵まで辿り着くことができたのだった。だが、一難去ってまた一難。どこで一泊するかが問題になってくる。と言っても、真冬なので明け方まではまだ12時間以上あるのだ。しばらくは松明を頼りに夜道を歩くほかない。
道中旅人とすれ違わなかったのは、もしかすると峠の谷が霧で閉ざされていたからかもしれない。峠が谷に閉ざされているのに、その峠に挑むというのは、かなり無謀なことだからだ。この時代、峠道にガードレールなどと言うものはないからだ。足を踏み外して谷に落ちてしまえば、生きているうちに誰かに助けてもらえる可能性など万に一つもなかったことだろう。夜の移動なら松明や灯明でもあれば何とか進めるだろうが、風が強いと火が消えたり山火事になったりするので、基本、夜に峠に向かうのもよっぽどのことがない限り誰もやらない。よって、深夜になる前に峠道から脱出できたのはある意味僥倖だった。
すっかり真っ暗になった藤尾川上流沿いの村の家屋からは夕餉の支度をする竈の煙が立ち上っていた。谷底に満ちる竈の煙にいぶされているような気がするほどだ。この辺でまともに歩ける道と言えば、集落の中を通る藤尾川沿いの道くらいだ。濃霧による足止めを食らった旅人は周辺の寺や農家の納屋を借りて暇をつぶしていたことだろう。
雷蔵たちはもう少し距離を稼ぐために、藤尾川沿いの道を進むことにする。家々の明かり窓から外を覗きこんだ子供が「父ちゃん、あれを見て」などと大声を出すのが聞こえるのでそちらを見た雷蔵は、親らしき男性が子供の口をふさいで窓板を閉じるのを見た。それを皮切りに、あちらこちらの家から灯り取りの窓の板を閉じる音が聞こえてくる。それと同時に、川沿いの道は真っ暗になるのだった。
藤尾川沿いの道を南下して行くと、藤尾川は逢坂山で流れを山科に変える。逢坂山の北側の小高い丘との間の短い谷地を抜けた先は山科の盆地になる。この土地は小関峠から京都を守る緩衝地帯でもあるが、京の都に米や、その他の農産品を提供する田園地帯でもあるのだ。この時代、京都では茶がもてはやされていたため、京の都に近い農家は茶畑で稼ぐものも少なからず出てきていたことだろう。
だが、京の都に近いということは、それだけ敵地の深部に入りつつあるということだ。その辺で気軽に宿をとることもできなくなってきたということだ。そんな時、しばらく姿を見せていなかった狗神と戌の神の二柱が獣の姿で眷属を引き連れて逢坂山から下りてきた。「近くに洞穴がある、そこで一泊すると良い」、そう狗神が告げてきたのだった。
1点、確認させてください。
**Q1.** 「南に見える盆地の中にぽっかりと浮かぶ山の北側の町や村には灯りついており」の「灯りついており」の部分
- A. 「灯りがついており」の誤字と考え修正(助詞「が」の脱字)
- B. その他のご指定
なお、以下2点は明確な誤字のため自動修正しました。
- 「坂の途中ですっかり暗くなってしまった(まだ月が三日月のまま)、ので」→「坂の途中ですっかり暗くなってしまった(まだ月が三日月のまま)ので」(読点の衍字)
- 「谷底に満たされる竈の煙にいぶされているような」→「谷底に満ちる竈の煙にいぶされているような」(誤字:満たされる→満ちる。文脈上、竈の煙が谷底に充満している状態を表すため)
A/Bでお答えください。
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1.A
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修正を確定しました。全文にルビを振ります。
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