小関峠
集落の終わりから少し行くと北斜面から水が流れてきており、それが街道を横切ってその南側にある小川に流れ込む。その水の源は、意外と街道に近い茂みの下にあった。そこで雷蔵たち一行は給水休憩を取り、暫くしてから出発した。緩い上り坂が曲がりくねりながら半里弱ほど続く。長等山と逢坂山の間にある小関峠は円の上辺のようになだらかな凸部になっていて、全く平らではない。
なだらかな坂であるとはいえ、鎧具足を身に着け大太刀まで佩いている雷蔵にとってはそれなりにきつい。途中、湧き水のある所でこまめに休憩を取る。正午の日差しは真冬でもそれなりに体を温めるので、汗もそれなりに出てくるのだ。ほぼほぼ木に覆われた道とはいえ、冬枯れの木の枝の隙間からはさんさんと昼の日差しが降り注ぐ。
この中で元気そうな同伴者たちは人外の存在たちだけだった。昼下がりになった頃、ようやく峠の西側斜面の坂の手前につく。いつ誰が設置したのかわからないが、峠の目印にもなっているかのような地蔵の前の少し開けた場所で休憩する。峠は急峻な斜面に挟まれているので、そこかしこに湧き水がある。旅人たちにとっても、雷蔵にとっても、その水は峠越えをするために必要な水になった。
ほとんど琵琶姫に引っ張られるような形で通常の行軍速度よりも早く登攀を終えた一行は夕刻前の下山を目指す。このへんはすでに稲荷の狐の勢力圏であり、味方になりそうな寺社勢力は殆どないからだ。命婦狐が送り込んでくる刺客の襲撃に備えながら野宿をするので、明るいうちに支度をする必要がある。一息ついた雷蔵が立ちあがると、辰の神が「足元に気をつけるであるぞ」と警告してきた。30Kg前後の重量を身に着けた状態で未舗装の下り坂を降りるのは、登りよりも遥かに危険なのだ。
そして、いざ降りようとして坂の方を望むと、なぜか霧で煙っていた。休憩前にはなかったはずである。雷蔵は嫌な予感がしたがそれは皆同じだったようで、辰の神も「どうやら敵が待ち構えているようであるな」と唸るように言う。足場が悪い所で襲撃するというのは兵法においても王道である。まして、切れ者である命婦狐がその手を使わない筈はない。とはいえ、西風がびゅうびゅうと音を立てて吹き抜ける峠で一夜を過ごすという選択肢はない。そう雷蔵が思い悩んでいると、坂の方から狗神が駆け上がってきた。彼女はハアハアと息を切らせながら「敵襲じゃ」と短く告げてきたのだった。
「此処で足踏みをしていれば彼奴らの思うツボよ、押し通る他あるまいぞ」と辰の神が助言する。「某は亡者の幻に惑わされてござった。如何にすれば幻惑されずに済むか」と誰にとはなく問う雷蔵に「山の神々の加護を得よ」と子の神が勧める。「我等とて、庇護対象に同行しながら加護を与え続けると大きな制約を受けるのでございます」と戌の神が事情を説明してきた。「そこな地蔵にでも祈れば山の神が聞き届けてくれようぞ」と子の神が他人事のように言う。それもそうだと納得した雷蔵は地蔵に向かって祈るのであった。
夕刻前の傾いた日が霧を朱に染める。まるで一行の行き先を血で染める決意を見せているかのようであった。祈り終えて意を決した雷蔵が霧烟る坂道に足を向けると、辰の神が『先導は我の仕事である』と言わんばかりに先立って進むのであった。霧の中に入ると、そこは橙色の光りに満ちた世界だった。自分の影が見えないので足元の距離感が殆どない。明るいのに足元が見えないという違和感は雷蔵の生存本能にけたたましい警鐘を鳴らし続けるのだった。
1点、既出の表記ゆれを自動修正しました。
**自動修正した箇所**
- 「きりの中に入ると」→「霧の中に入ると」(表記ゆれ:以前確定した「霧」表記に統一)
全文にルビを振ります。
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