石部の葦原《いしべのあしはら》
土砂だらけの荒れた河原の中心に本流があり、その両岸の周りには複数の支流が本流と付かず離れず泥水を流す。土石流が発生してからまだ二日ほどしかたっていないので川は荒ぶっている。河原に近い田は土砂で埋まってしまい、青々と茂っていたであろう稲は全滅したはずだ。『今年はこの辺の石高は期待できないであろう』そんなことを思いながら雷蔵は河原を歩く。少し周りを見渡すだけでも、川近くの田の無事を見て安堵しつつも、川に近かった田が全滅したことを嘆く者たちや、自分が世話していた田がすべて埋まってしまって絶望する者たちなどがおり、悲喜交々の様子だった。この村は山間が広めな河原沿いの中でもひときわ広い地域で、結界が解けた先にはこの村に連なる河原沿いの田畑の集落が点々と連なる。それらの村々もこの村の乙名の富蔵の管理下にあるものだ。彼の仕事は、当面、村の被害の確認と損害石高の記録とそれを中央に報告することになるだろう。だが、この土石流こそが雷蔵の首と胴体が繋がっていることの理由であると知っているのは神々だけであった。
この川の河口はまるで八岐大蛇のように川が分かれていて本流と呼べるような川が無く、大きな8つの支流から無数の支流が出たり入ったりしているような湿地帯だった。それは、この川の上流である石部で川を挟む山がせり出していて、川幅を急激に狭めているからだった。どんな大水であってもここの狭い川幅で流れが押し止められ、それによって圧力が強くなった川は真っ直ぐに流れるのではなく、8つの方向に噴出するかのように流れを広げていくのだ。それによって急激に川の流れが遅くなるので、野洲川の河口付近は水害が少なく肥沃な湿地帯になっていた。それゆえに、川上から運ばれてきた栄養分が豊かな土砂によって肥沃な地域として稲作が盛んであった。河口付近の人々が恐れるのは湖水が増水することによる洪水と政変による混乱くらいのモノであった。
しかし、石部よりも上流では全く様相が変わる。この川は『暴れ川』とも呼ばれるほどに激しい奔流であるため、水害によって田が一網打尽になるという危うさをはらんでいた。全国的な治水工事が完了している現代では考えられないことだが、この時代はよほどのことが無い限り治水工事などは行われなかったので、人々は大自然の有り様に合わせて活動していたのだ。それゆえに、見えない力で人々に恵みをもたらす半面、大きな破壊をももたらす『神々』を甚く恐れ、自分たちが住む地域のあちらこちらに神社仏閣を建てて神仏を祀り、祭りと供え物によって恵みと安寧を願い求めていたのだった。
さて、雷蔵はしばらく山間の川沿いを進んでいたが、乾いた街道を歩けば半日もせずに到着するであろう距離がかなり遠く感じられた。鎧具足を纏い、大太刀を佩いた身の丈6尺の大男が泥濘だらけの河原を歩いているのである。傍から見れば、まるで筋肉を鍛えようとしているかのような苦行に見えた。だが、雷蔵とてこのような場所を好きで歩いているわけではなかった。山際の道はところどころ民家に面しているため、外に出てきて河原を眺めている家人と面するのが面倒である故に、敢えて河原の中を歩いていたのだった。それでも、昼過ぎには石部の河原が急激に狭まるところの手前まで行くことができた。だが、川向こうには幕府方の守備隊の旗と兵士たち5〜6人ほどの姿が見えた。勝部の方から偵察に来た部隊のようだった。彼らはしきりに川の様子をうかがっているようであり、まだ雷蔵には気づいていない様子だった。『あれがヤタ殿が言っていた勝部の守備隊であろうか?』そう思いながらも、雷蔵は慌てて川の北岸方向にある山際の葦原に身をひそめるのだった。
以下の誤字を自動修正しました(明確な誤字のため)。
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- 「粗ぶっている」→「荒ぶっている」(誤字)
- 「川近くの多の無事」→「川近くの田の無事」(誤字:多→田)
- 「河原沿いにの中でも」→「河原沿いの中でも」(助詞の重複・脱字)
- 「大きな8つの支流」→「大きな8つの支流」(全角/半角の表記ゆれを半角に統一)
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修正した箇所を先にご報告します。
**自動修正した箇所**
- 「『暴れ川』も呼ばれる」→「『暴れ川』とも呼ばれる」(脱字:と)
- 「川向う」→「川向こう」(送り仮名の本則)
- 「歩いているのである、傍から見れば」→「歩いているのである。傍から見れば」(句読点の誤り)
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