第八話 奥殿侵入
夕餉の後片付けをし、急いで部屋に戻る。
(好機だ)
奥殿に入れさえすれば。
探すべきものはわかってる。
あの記録があれば、そこに必ず書かれている。
白雨が出掛ける。
この屋敷で、一番警戒すべきは白雨だ。
次に白雨が屋敷を空けるのはいつになるかわからない。迷っている暇はないな。
あらかじめ用意していた靴を袂から取り出した。
外を窺い、窓から外へと放り投げると、そっと身を外へと滑らせた。
外はすでに闇に沈んでいる。
月の光だけが仄かに足元を照らしてくれた。
(ちょうどいい)
夜気に意識を沈める。
張り巡らされた結界が、細い糸のように闇に浮かび上がる。
触れればすぐに白雨へと伝わる。
糸を避けるように、慎重に足を進める。
玉垣を越えればすぐそこだ。
奥殿は木造りの蔵だった。
朽ちかけた梁。辺りから湿った木の匂いがした。
人を拒むように閉ざされたぶ厚い鉄扉。
そこにはかん抜き型の錠が、重々しく沈んでいた。
息を殺し、周りを見渡す。
周囲に気配はない。
木々が騒めく音が遠くに聞こえた。
(大丈夫)
扉の前に立ち、両手で円を作ると手を地面へと押し当てる。
微かな光が地面から扉へと這う。
(やはり、結界か)
(一気に崩す)
息を整え腹に集中する。
熱い――
腹の奥がかっと熱を帯び、次の瞬間、大きく蠢いた。
がしゃり、と鈍い音が響く。
錠は一人でに緩んだ。
随分と簡単だ。
(罠じゃないだろうな)
ふと、白雨の顔がよぎる。
けれど、迷ってられない。
ごくりと息を呑みこむ。
緊張したまま、扉を見つめた。
扉の隙間からは、深い闇が漏れ出ていた。
そっと覗くと、流れる空気はひどく冷えていた。
奥からは古い神気が滲み出し、肌に触れる空気がざわついた。
重い扉に体重をのせ何とか押し開ける。
ぎ、ぎぃ。
くすんだ音を出しながら扉が開いた。
一歩、前へ踏み出す。
空気が変わった。
ひやりと、背筋を撫でるような冷たさ。
ぴんと空気が揺れる気配がした。
張り巡らされた結界が、闇の中でちらりと瞬く。
慎重にしないと。
こんな所で見つかるわけにはいかない。
これは白雨の張った結界だ。
あの独特の気配が、辺りを支配している。
緊張でわずかに震える足を前へ進める。
一歩、踏み出した瞬間。
ぴ、と指先に冷たい感触が走った。
(しまっ――)
細い糸がわずかに震え空気が歪んだ。
見ているだけで距離感が狂うような、あの糸。
心臓が大きく跳ねる。
動けない。
息を殺し、その場に固まった。
(…何も起きない?)
ほっと腹を撫で下ろした。
しかし、指先の冷たさが物語っている。
まだ、抜けてないな。
二歩三歩。
ゆっくり歩を進めると、空気の揺れはいつしか消えていた。
息を整え、手を軽く握る。
ゆっくりと息を吹きかけて手を開くと、掌に淡い光がぽうと浮かぶ。
頼りない光だが、闇の中では十分だ。
年月の経った木の匂いが鼻を掠めた。
小さな光が辺りをほのかに照らし出す。
鏡、刀、鎧、その横には大きな葛籠。
そして空の鳥籠。
神具たち。
違う、まだなっていない物たち。
これから、神の器にされる物たち。
「葛籠にはね、災いが入ってるのよ」
内緒話をするように話す、母の声が蘇った。
立ち止まり、葛籠を眺めた。
大きい葛籠と小さい葛籠。
母に読んでもらった昔話。
私なら両方開ける。
それがどちらも厄災であっても。
けれど、ここにある葛籠はどれも開ける気が起きない。
つと、手を掛けそうになり思い直す。
(そんな場合じゃなかった)
わずかに息を呑み、さらに奥へと足を向ける。
もしも、ここになければ――
母の死は、また闇の奥に沈んでしまう。
いや、ここまで来て手ぶらでは帰れない。
必ず見つけ出す。
奥の方に目をやる。
棚だ。
(あれか)




