第十八話 黒い跡
とん
部屋の襖をゆっくりと閉める。
「はぁー」
思わずため息が漏れる。
正吉を見送った後も船宿の男のことが頭から離れない。そのまま掃き掃除に向かったものの、箒は止まったまま。
あの男は、あの玉を私に渡すことで何か起こると思ってる?
いや。
あの男はそんな間怠っこしいことはしないな。
考えたってわかるはずないか。
じゃあ、今できることは何だ?
箒に顎をのせぼんやり宙を眺める。
日差しが木々を照らし緑がやけに鮮やかに映る。
できること…
ひとまずはあれだな。
あれを見よう。
いつの間にか辺りは黄金色に染まっていた。
「こよみ、一体どこまで掃きに行ってんのさっ」
門をくぐるやいなや怒鳴られる。
見れば、鬼の形相で夕立が待ち構えていた。
散々どやされ、やっと部屋へと戻れた。
やれやれ。
今日一日、全く使い物にならなかった。
部屋の片隅にある机を見る。
よしっ。
机の裏に潜り込み、目当てのものを取り出し膝の上へと置いた。
家記帳。
これも、そのうち返さなくちゃいけない。
読むのはあの日以来だ。
この間の続きからでいいだろう。
ざらついた表紙を軽く撫で頁を開く。
古びた紙を次々と捲る。
黒い玉、黒い玉。
黒――。
黒!!
胸がぎゅんと跳ねる。
思わずごくんと息を呑んだ。
黒い…
玉じゃない。
跡だ。
何だ?黒い跡って。
鼓動が少しだけ早くなる。
前の頁に戻り、黒い跡の記述がある冒頭から読み進める。
十一月四日とそこには記されていた。
『店で酒を飲んでいた男が突然に凶暴化した。男は唸り声をあげ、飲み仲間の男を殴りつけ、物を次々と壊し始めた』
酔っ払いが暴れたのか。
いや、そんな日常的な事件はここには記さない。
さらに頁を捲る。
『男は訳のわからない言葉を喚き始める。
その後、目や口から黒い液体を垂れ流すと、そのまま倒れ死に至った』
黒い液体か。
どんな味なんだろ。
『国主から籠神と古神へ検分の命が下る。
籠神長月と古神黒雨の二人が赴き、死体を改めた』
長月…。
知った名前に思わず手が止まる。
叔父上…だ。
それに古神の当主も。
国主が、わざわざこの二人を行かせたのか。
これは只事じゃない。
気持ちが昂り文字を追う速度が速くなる。
『肩には黒い跡。
丸いその跡から黒い筋がひび割れたように男の体に入り込んでいた』
急いで懐から匂い袋を取り出す。
紐を解くと、伽羅の香が仄かに漂った。
袋をひっくり返すと黒々とした丸い玉がぽとんと畳に落ちる。
それをそのまま指で転がしてみる。
玉から指へと冷たい感触が伝わる。
黒とひびか。
玉を手に取り光にかざしてみた。
光をまるで通さない漆黒。こちらを覗き返すような闇だ。
中央からは亀裂が入り、白い線がひびとなって広がっている。
こうやって見てると卵みたいだ。
まるで、何か生まれたような、そんな風にも見えてくる。
黒い跡と黒い玉。
形は違う。
でも、似ている。
それとも、私がそう思いたいだけか。
玉を袋に戻し、元の頁を辿る。
『死体によろづ様の気配あり。
長月がそれを降ろし、籠目へと保管する』
「やっぱりよろづ様か」
思わず呟いた。
よろづ様が死体にいた。
私の知っている限り理由は二つだけだ。
祟られた。
よろづ様に祟られれば死ぬことだってある。
でも――。
そのまま頁を見つめる。
国主は籠神と古神を動かしている。
祟られただけなら、そんなことはしないはずだ。
ならば――。
この男がよろづ様を降ろした!?
思わず眉を顰める。
あり得ない。
籠神の血筋でない者がよろづ様を降ろすなんて。
ならばどういうことだ?
『その後、長月より籠目での保管が困難につき処分したとの報告あり』
「…処分」
思わぬ二文字に指が止まる。
叔父上には出来ない。
僅かに指が震える。
これって、まさか?!
あの時、籠目に入っていたよろづ様のことか?




