第十九話 十年前のよろづ様
事件と記憶が結び付く。
十年前だ。
母が亡くなるとすぐに、私は分家である叔父上に引き取られた。
叔父上と母は大層仲が悪かった。
いや、一方的に嫌われていたのだ。
母が白子だったばかりに叔父上は籠神を継げなかったのだから。
十年前の八月。
私は使用人の冬星に連れられ、叔父上の屋敷へと向かった。あの日は鬱陶しいくらいざあざあと雨が降っていた。
白く煙る雨の向こうに、叔父上の屋敷が見える。大きな屋敷だ。
「お嬢様、ここでお別れです」
冬星は門の前でそう言った。
一緒に来てくれるとばかり思っていた。
予期しない別れの言葉に、つんと鼻の奥が痛くなる。
「冬星も一緒に来て」
そう言って冬星の顔を見上げた。
冬星は困ったように微笑むと、屋敷の門を叩いた。
門がぎぎっと開く。
「お嬢様、どうかお達者で」
冬星は深くお辞儀をした。
私は行かないで欲しくて手を伸ばした。
でも、その手は届かなかった。
閉じていく門の隙間から見える、冬星の濡れていた手がやけに目に焼き付いた。
そして、門はばたんと音を立てて閉じた。
玄関に通されると、楓と名乗る使用人が一人、出迎えてくれた。
誰もいない広い玄関。
その奥はやけに薄暗く、どこまでも続いているように見えた。
雨の音がばらばらとやけに耳につく。
これは現実なんだろうか。
母が死んでから、全てが曖昧ではっきりしない。
楓に連れられ、長い廊下を歩く。
濡れた衣服が体中にへばりつき不快だ。
しばらく歩くと庭に出た。
広い庭の隅には、蔵のような小さな建物がぽつんと佇んでいた。
「こちらでございます」
楓が恭しくそう告げた。
そこが私の住む場所となった。
そう、あれは屋敷に来てから三ヶ月ほど過ぎた十一月だ。
窓から見える紅葉が赤や黄色に色付き始めた頃、珍しい人物が離れにやって来た。
叔父上だ。
叔父上は何も言わず卓の前に座った。
珍しい人物の訪問に、淡い期待で胸がいっぱいになる。母のことで何かわかったのかも知れない、と。
「これを降ろすのだ」
私を見るなり叔父上はそう命じた。
そして、手に持っていた籠目を私の前にとんと置いた。
「降ろしたのち、籠目に移すことを禁じる。無論、剥がすこともだ」
「よろづ様を降ろしたままでいるのですか?」
「そうだ」
「叔父上、それは…禁じられています」
「そんなことは、お前に言われずともわかっている」
叔父上は顔色一つ変えず、呆れたようにそう言った。
耳を疑った。
よろづ様を降ろしたままでいる?
そんなことをしたら、私は喰われてしまう。
私も母と同じ白子だから?
叔父上は私のことが憎くて仕方ないんだ。
だから、死ねと命じられている気がした。
「やりたくありません。お願いします。やらせないで下さい」
声を振り絞り、必死にお願いした。
「やれ。出来ないのならば、お前は必要ない」
叔父上は私を冷ややかな目で一瞥すると、離れから出ていった。
拒むことはできない。
六歳だ。
追い出されれば、生きてはいけない。
泣きたいのに涙は一滴も出てこなかった。
母が死んだ時に、枯れてしまったのかも。そんなことをぼんやりと考えた。
一人になった部屋で、小さな籠目をじっと見つめる。誰も助けてはくれない。
「よろづ様は神様だから、人の体に長く留まると穢れてしまうのよ」母の言葉が頭に響く。
穢れた神様は人を喰らう。
決して留めてはいけない、大切なことだと、何度も繰り返し教えられた。
「ごめんなさい、呪わないで」
祈るようにそっと籠目に触れる。
籠目は呼応するように微かに動く。
深く息を吸うと、籠目から黒い靄がみるみる漏れ出てくる。
それは生き物のように手を這い腕へと絡みつく。
そしてそのまま体に入っていく、はずだった。
靄が下へと沈んでいく。
…いつもと違う。
そして腹の前でぴたりと止まった。
なぜ?
ずずず
聞いたことのない不吉な音がどこからともなく響く。
靄は音と共に腹の奥へと吸い込まれていく。まるで咀嚼しているような蠢き。
そして、そのままよろづ様の気配は跡形もなくなった。
よろづ様が、消えた?




