第十三話 薬と煙
「ごめんください」
辺りを見渡すが人はいない。
中に入ると、四方の棚に小さな瓶がずらりと並んでいる。
瓶には一つずつ薬の名前が書いてある。
誰もいないのか?と小さく呟いた時だった。
「遅かったね」
奥から気の抜けた声が応えた。
棚の隙間からひょいと顔が出る。
大きな垂れ目と泣きぼくろが目に入る。
「団子を二本も食べるからだよ」
そう言って、気怠そうな雰囲気を纏った美しい女がこちらに近づいてくる。
(まるで見てたような言い方をする)
そんなはずはないが、体が勝手に後退りする。
「それ、惚れ薬」
女は瓶をひょいと指差す。
「ちょっと値は張るけどね。効き目は保証するよ」
「いくらですか?」
「三貫」
それは高すぎる。
誰かに飲ませるのは楽しそうだけど。
やむを得ない。
「では、風邪薬をください」
「風邪薬――ね」
そう言い、女がおもむろに手に取ったのは煙草だった。
「全く、瓜二つだね」
気怠そうに燐寸で火をつけた。
「誰にですか?」
「日月さん、あんたの母親」
女は白い煙越しに目を細めている。
母を知ってる?
急に鼓動が早くなり、目眩がした。
「しっ知り合いなんですか?」
つい、声が上擦る。
「よく、ここに来てたよ。いっつも無理難題な調合を押し付けてきてさ」
「まったく、面白い人だったよ」
懐かしそうな目をし、それからふうと煙を吐き出した。
母のことを。もっと聞きたい。
けれど、何を聞けばいい?
尋ねるべきことが思い浮かばない。
そうだ。
「あの…母に二つ名はありましたか?」
「二つ名?」
「はい」
「知らないの?それはもったいないね」
「白雷の獅子だよ」
「そのまんま」そう言ってぷはっと笑った。
知ってる母からは想像できないし、さっき団子屋で聞いた趣きとだいぶ違うが。
いや、でも。いい!
白雷の獅子は相当かっこいい!
何かもっと、と考えを巡らせているうちに「そう、風邪薬だったね」と女は薄茶の小瓶を手に取った。
「これは効きが強いから、大人なら二口、子供は一口だ」
「そうだ…夕立さんから書き付けを預かってます」
急いで袂から書き付けの紙を渡す。
「ああ、白雨様か。ならこれじゃない」
小瓶を棚に戻しながら、軽く舌打ちした。
「えっと…こよいじゃなくて、まよいでもなくて」
「こよみです」
「それそれ」
「こよみは今、古神かい?」
「はい」
「ふーん」
こちらを見てにっと笑った。
女は煙草を一口吸うと、とてもゆっくりと煙を吐き出した。
目は遥か遠くを捉えている。
何かを見てるみたいに。
「白雨様は悪くない」
「何のことですか?」
体調は悪いみたいだが、そう言ったことでは無いのだろう。もっと重い含みがあった。
「まだ知らなくていい」
「けどさ、言ってやりたくなった」
「あの坊ちゃんは、大切なことは隠すからさ」と、何でもないように笑った。
「さて、無駄話はここまで」
そう言って透明な小瓶をつまみ上げた。
「お代は足りないが…日月さんの娘だからまけてあげる」
「あそこの焼き団子は最高だからね」
そう言って、軽く片目をつぶった。
この人は何か見えているのかな。
見透かされているような、なんだか不思議な人だ。
「何かあったらまたおいで。日月さんみたいにさ」
何でもいいからもっと聞けばよかった。
母のこと。
帰りの道は、行きのような熱はなかった。
とぼとぼと歩く。
白雨がまた風邪を引けば…
そうだ。私が風邪を引くのはどうだろう。
いや、私が風邪を引いたらそもそも行けないじゃないか。
来た道を戻り、屋敷に着く。
門の前には夕立がいた。
「こよみ!遅かったじゃないか!寄り道してたんだろ」
「寄り道はしてません」
団子は断固寄り道ではない。
「嘘をつくんじゃないよ。団子を食べただろ」
千里眼…?!
「まったく、口の横に醤油をつけて。古神の紋が入ってるのに。恥ずかしいったらないよ」
「薬を早く坊ちゃんのお部屋に持って行きな。水差しも忘れるんじゃないよ」
風邪を引いている白雨か。
鼻をかんだりするんだろうか。
全く想像が出来ないし、きっとしない気がする。
部屋の前に着くが、いつものように声は掛からない。
本当に弱ってるんだな。
(団子を食べてる場合じゃなかったか)
少しだけ反省した。
「白雨様、お薬をお持ちしました」
部屋の奥へと進み、そっと寝室を覗く。
天幕に覆われた隙間から寝台が見えた。
もう一度、失礼しますと声をかけ、脇机に水差しをそっと置く。
「お前か」と天幕の中から白雨の声がした。
「ここに薬を置いておきます」
「ああ。不二子さんの所へ行ってきたのか」
あの薬種の人は不二子と言うのか。
名前、聞いてなかったな。
気怠そうに煙草を吸っている姿が浮かぶ。
「そう言えば、白雨様は悪くないって言ってましたよ」
しばらく沈黙が続いた。
「あの人はいつも適当なんだ。大した意味もないさ」
そう言いながら、天幕から白雨が出てきた。
白い顔が一層白く、透けるようだ。
いつものような鋭さが欠け、頬にひと匙の赤みがあった。
団子屋の娘が見たら倒れるんじゃないだろうか。
「明後日から街に出る」
「体調は大丈夫なんですか?」
「国からの命だ。体調は関係ない」
「ああ、それと。お前も一緒に来い」
そう言って薬を飲み干した。
(聞き間違いかな)
「私が?ご一緒に?」
「暇だろ?」
そう言い残し、天幕の奥へと消えていった。




