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剣は名を持たない誓いを抱く  作者: StoryTellingMusic


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25.川向こうの取水塔と、糸巻きの影

 夜は、もう一度だけ揺れた。


 川辺の灯りが一瞬ふっと暗くなり、影が伸びる。

 見回りの男が足を止めたのも、その瞬間だった。


 「――また来るぞ!」


 叫び声に混じって、羽音がした。


 霧鴉が二羽だけ、灯りの外縁をなめるように旋回し、地面へ降りる。

 吐く粉は少ない。だが、位置がいやらしい。柵の外、縄の切れ目、踏みやすい石段の手前。


 バルツが男たちへ腕を振る。


 「縄を張れ! 灯り、寄せすぎるな!」


 町の動きは昨日より速かった。

 誰かが転ぶ前に、誰かが支える。袋が落ちる前に、誰かが抱える。


 レオンは、霧鴉の下へ布袋を投げた。

 影が一瞬だけ暴れ、布の中で羽音が詰まる。


 「エリシア!」


 呼び捨てが口から出たのは、音を短くするためだった。

 エリシアは眉を動かすだけで頷き、光を細く落とす。布袋の中の動きが鈍り、霧鴉は震える塊になる。


 ガルドは斬らない。

 大剣の腹で風を作り、もう一羽を灯りの外へ押し出す。粉を吐く前に、羽音を散らす。


 霧鴉は、それ以上粘らなかった。

 風に押されるように闇へ溶ける。やけに素直だ。


 「……様子見だな」


 ガルドが低く呟く。


 エリシアが固まった粉の位置を目で追い、短く息を吐いた。


 「点を増やしたい。でも、こちらの対応も測ってる」


 夜明け前にもう一度来る可能性はあった。

 だが、町は持った。柵の内側に崩れは出ない。


 東の空が白むころ、ようやく羽音が消え、川霧が薄くなっていく。


 朝。


 町が起き出す前に、三人は川辺へ立っていた。

 灯りは消され、柵は残り、縄は張られたままだ。

 見回りの男たちが、眠い顔で手を振る。


 バルツが近づいてくる。


 「……行くのか」


 ガルドが頷く。


 「朝のうちに片を付けたい。今日は、町が踏ん張れる」


 バルツは唇を噛み、迷った末に言った。


 「俺も――」


 「お前は残れ。あっちで倒れると、結局こっちへ戻ることになる」


 言い方はぶっきらぼうだが、突き放しではない。

 バルツは肩を落とし、それでも頷いた。


 「……分かった。戻ってこい」


 それだけで、話は終わった。  


 エリシアが水晶片を鳴らす。

 地図に残っていた“旧取水塔”の印。その場所が、霧の薄い丘にそのまま立っていた。


 「糸の向きは川向こう。水の道に沿ってる」


 レオンは川面を見た。

 流れは穏やかで、浅瀬がある。だが石は滑る。落ちれば音が立つし、冷える。


 ガルドが先に川へ降りた。

 足の置き場を試すように、石を踏み、次の石を選ぶ。歩幅が一定ではない。安全な場所だけを拾っている。


 レオンが続き、エリシアが最後に渡る。


 途中、川の底で何かが動いた。


 水面が、わずかに盛り上がる。


 「……下だ」


 ガルドが言うのと同時に、ぬるりとした影が足首へ絡んだ。


 水紐。


 水草に似た魔物だが、絡み方が正確すぎる。引く力も均一。

 自然の獣ではなく、作業の手付きだった。


 レオンは反射で跳ねそうになり、寸前で踏みとどまる。

 跳べば滑る。滑れば転ぶ。転べば音が立つ。


 代わりに、膝を落として重心を沈める。

 引かれた方向へ半歩だけ寄せ、張りが緩んだ瞬間に短剣で断つ。


 ぷつり。


 水紐がほどけ、流れに溶ける。

 同時に、別の一本が伸びる――が、ガルドが大剣の柄で水面を叩いた。


 水が跳ね、影が散る。


 「足を取られるな。ここで転ぶと、全部が台無しだ」


 言葉は短いが、焦りはない。

 川を渡ること自体が“戦い”だと分かっている声だった。


 三人は音を増やさず、浅瀬を抜けた。


 川向こうは、少し空気が違った。


 草の匂いが薄い。

 代わりに、湿った石と、古い木の匂いがする。


 丘の斜面に、崩れかけた石造りの塔が見えた。

 取水塔。王都の水路が生きていた頃、水を引き上げるために使われた施設だろう。


 塔の周りだけ、霧が妙に薄い。

 風が抜けているのではない。霧が“寄りつかない”。


 入口の手前に、白い粉が点々と落ちている。

 道しるべのように、間隔が揃っていた。


 「ここだな」


 ガルドが言い、立ち止まる。


 エリシアは水晶片を掌で転がし、耳を澄ませるように目を閉じた。


 「……魔力の層が一枚ある。薄い膜みたいに」


 レオンは塔の入口へ視線を向けた。

 扉はない。代わりに、半分崩れた石のアーチが暗い口を開けている。


 その暗がりの奥から、かさり、と音がした。


 縫い甲虫だ。

 だが数が違う。黒い艶が、床の粉へ吸い寄せられるように集まっていく。


 さらに――粉の上で、別のものが動いた。


 泥が盛り上がり、人の形に近づく。

 腕、胴、脚。目も口もないのに、立ち上がる。


 粉と糸で、形だけを保った泥人形。

 叩けば崩れるが、崩れた泥に粉が混じれば厄介になる。


 「……無理に散らすなよ」


 ガルドが言う。

 大剣を抜くが、刃先は上げない。床を叩かない角度だ。


 レオンは頷き、剣を抜いた。

 ただし振るうためではなく、距離を保つために構える。


 泥人形が一体、ぬるりと踏み出す。

 足裏が床を擦り、粉がふわりと浮きかける。


 エリシアが光を落とす。床に膜が張られ、粉が舞い上がりにくくなる。


 「完全には止められない。動かされる前に」


 言葉は焦りではなく、計算だった。


 レオンは泥人形の胸元へ踏み込まない。

 狙うのは体ではない。関節の“縫い”だ。


 腕の付け根。

 泥が滑らかに繋がっているように見える場所に、細い黒い線が走っている。


 ――継ぎ目。


 レオンは剣先だけでそこを切る。深く入れない。

 ぷつり、と抵抗が切れた瞬間、腕が落ち、泥人形の動きが鈍る。


 崩れない。散らない。

 形だけがほどける。


 ガルドがその隙に踏み込み、刃を寝かせて胴を押す。

 泥人形が倒れ、床に張った膜の上で潰れる。


 縫い甲虫が寄ってくる。

 粉を整えるために、群れで動く。


 レオンが布袋を投げ、群れの上から被せる。

 ガルドが板切れを滑らせるように添え、逃げ道を潰す。


 「縛れ」


 ガルドの声に、レオンが紐で口を縛る。

 布袋の中で乾いた音が暴れるが、外へは漏れない。


 塔の入口が、少し静かになった。


 ――そのはずだった。


 床の粉が、ふっと吸われる。


 誰かが息を吸ったみたいに、粉が一点に寄っていく。

 粉が寄ると同時に、糸が張る。黒い線が床を走り、塔の奥へ伸びた。


 「……引く」


 エリシアが呟く。


 引かれるのは粉だけじゃない。

 足首が、空気の圧に掴まれるように重くなる。


 塔の奥から、羽音がした。


 霧鴉ではない。

 翼が薄く、鳴き声がない。代わりに、羽ばたきのたびに粉を落とす。


 粉撒きの小鳥――。


 数が多い。十羽以上。

 灯りの輪郭を揺らすのではない。床に“点”を打っていく。


 点が増えれば、線が引ける。線が引ければ、糸が通る。


 「……来させる気だ」


 ガルドが言った。


 レオンは息を吸い、呼びかけた。


 「ガルド! 入口を押さえてください。俺が、床を止めます」


 ガルドが頷き、大剣を横に構える。

 塔の奥へ入ろうとする小鳥を、風圧で押し返す。


 エリシアは塔の壁に光を這わせ、薄い膜を広げた。

 床だけでは足りない。壁に粉が付けば、また線になる。


 レオンは剣を抜いたまま、床へ踏み込まない位置を保つ。

 そして、粉が寄る一点――“吸い口”を探した。


 粉が動く。

 動きの中心が、床の割れ目にある。


 石の隙間に、黒い糸巻きが見えた。

 小さな紡錘。蜘蛛が巣を作る時の芯に似ているが、質が硬い。


 「……あれだ」


 レオンが呟くと、エリシアが一瞬だけ目を細めた。


 「触ると張る。切るなら、継ぎ目」


 助言はそれだけ。必要な情報だけが落ちる。


 レオンは剣先を伸ばし、紡錘に繋がる糸の根元を見た。

 糸は一本ではない。床に吸い込まれ、別の糸へ繋がっている。


 その繋ぎ目だけ、わずかに光を吸いすぎる。


 ――そこ。


 レオンは刃を当て、押さえるように切った。


 ぷつり。


 粉が、止まった。

 寄っていた粒がばらけ、床に落ちる。線がほどけ、足首の重さが抜ける。


 小鳥が一斉に羽ばたいた。

 揃いすぎている動き。誰かが糸を引いたみたいに、同時に引く。


 塔の奥――暗がりに、人影が立っていた。


 フード。小柄。

 だが今度は、距離が近い。肩幅がある。子どもではない。


 影は、こちらを見ている。

 顔は見えないのに、“笑った”気配がした。


 「……見つけたか」


 声が、低い。

 小柄な体に似合わない音だ。


 ガルドが一歩前に出る。


 「お前が、ここの手か」


 影は肩をすくめる。


 「手? いいね。仕事ってやつだ」


 軽い口調。だが、距離の取り方が上手すぎる。

 戦う前から、逃げ道を確保している足だ。


 エリシアが光を絞り、床の粉を見た。

 止まっている。だが“残っている”。


 影は、レオンの剣へ視線を向けたようだった。


 「それ……まだ寝てるんだな」


 レオンの手が、わずかに熱を持つ。

 聖剣は反応しない。だが、沈黙が深くなった。


 ガルドが問い詰める。


 「目的は何だ。町を壊したいのか」


 影は、ため息をつくように首を振った。


 「壊す? そんな大雑把じゃない。

 ……縫うんだよ。残すんだ。あちこちに」


 言葉の意味はまだ掴めない。

 だが、“残す”という響きだけが、レオンの胸に引っかかった。


 影は手を上げる。

 指先に、黒い糸が絡む。紡錘を失っても、糸はまだある。


 「じゃ。続きがあるからさ」


 次の瞬間、床の粉がふわりと舞った。


 舞うはずがない。膜がある。

 ――なのに舞った。膜の“外”で。


 塔の壁のひび割れから、細い霧が噴き出す。

 霧は鳥ではなく、煙のように広がり、視界を削る。


 ガルドが大剣を振るが、当たるのは霧だけ。

 影は、霧の隙間を抜けるように後ろへ下がる。


 レオンが追おうと一歩出た瞬間、床の粉が足元で揺れた。

 点が、線になりかける。


 ――ここで追えば、また広がる。


 レオンは歯を食いしばり、足を止めた。

 追うのは後。今は、残り火を消す。


 影は霧の向こうで、最後に一言だけ残した。


 「面白くなってきた。

 その剣と、その手つき――噛み合ったら厄介だ」


 霧が薄れた時、影はいなかった。

 残っていたのは、切れた糸の端と、床に落ちた小さな金具だけだ。


 エリシアがそれを拾い上げ、掌で転がす。


 「……水路の鍵。古い。王都の、もっと古い型」


 ガルドが塔の奥を見つめた。


 「次の口が、別にある。

 あいつは、ここで終わらせる気がない」


 レオンは床の白い粉を見た。

 止まっている。だが、消えてはいない。残っている。


 この騒動は、町だけの問題じゃない。

 そう思うのに、理由が少しずつ増えていく。


 レオンは、拾われた金具を見た。

 掌に乗るほどの小さなものが、次の場所への道標になる。


 追う準備は、整った。


 町へ戻り、バルツに伝え、柵を補強し、そして――次の口へ向かう。


 ガルドが言った。


 「帰るぞ。今日は、やることが増えた」


 エリシアも頷く。


 「痕を残したままは危険。町を固めて、それから追う」


 レオンは一度だけ塔を振り返った。

 霧はもう薄い。粉雀の羽音もない。


 それでも、床の白い粒は確かにそこにある。

 誰かが“縫った”痕として。

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