第75話 甘い視線に晒されて
二日間続いたお祭りが終わった。今日は、機材の撤収とゴミなどの清掃、後片付けのあと夕方からサークルで打ち上げがある。話によると大所帯になりそうと言うことで、パーティースペースを貸し切っているらしい。
朱音や陽介・玲央、他のみんなと一緒に和気藹々と撤収作業を終えて、数時間後に指定された場所へやってきた。だいぶ日が短くなってきたこの頃だ。すでに太陽は地平線の向こうに飲み込まれ、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。
中に入るとすでに人がいた。楽し気な声が響いている。思っていたよりも小洒落たパーティースペースに、少しだけ肩に力が入った。
カウンターにはズラリと料理が並び、出入り口付近にドリンクコーナー。少し開けた場所にはダーツやビリヤードが置かれ、どうやらカラオケも出来るらしい。
「わあ、すっご〜」
隣で、朱音の声が上がる。部屋の照明に照らされ、綺麗に塗られたアイシャドウがきらきらと輝いていた。
「お疲れ〜」
奥から誰かがやってきた。
「玲央じゃん。もう来てたの?」
先に朱音が気が付いて、名前を呼んだ。
「さっき着いたとこ」
「そっか」
「みんな早いね」
「陽も来てるよ。たぶんすぐ来る」
立ったままみんなでいつものように話していると、少しして陽介がひょっこり顔を見せた。
「二人ともお疲れさま」
「陽くんもお疲れ様〜」
「なにかしてたの?」
「うん。たっくんたちに使われてた」
小晴が尋ねると陽介がわざとらしく肩をすくめた。
「え、でも拓也さんたち居なくない?」
「ああ、もうすぐ来るんじゃない?」
陽介の視線につられて会場の出入り口を振り返った。しかし、拓也の姿はない。少し残念に思いながら顔を戻すと、目の前に同じような顔をした三人がいた。
「居なくて寂しいんだ?」
揶揄う算段があることを隠す気がないニヤついた顔の陽介だった。瞬時に顔が赤く染まる。それが良くなかった。
「そうだよね〜、ずっと拓也さん忙しいもんね〜」
「小晴もついにそういう時期かあ」
朱音も玲央もニヤニヤと揶揄ってくる。
「ち、ちがうから!」
真っ赤な顔で否定したが、意味はなかった。彼らの表情がさらにあからさまになるだけだ。
「みんなで何話してんの?」
急に、耳の近くで聞こえた声に息が止まった。ちょうど真後ろに感じる人の気配と香水の香りは、振り返らなくても誰なのか分かってしまう。小直前にしていた会話のせいもあって、小晴はパクパクと水に上がった魚のように口をまごつかせた。
「相変わらず仲良しだね〜」
続いて、聞こえた声も小晴の後方からだった。
「あれ、小晴顔赤いよ」
隣に並んだ悠真に覗き込むように顔を見られる。赤いことを指摘されて、さらに顔に熱が溜まった。
「近いんだよ」
台詞と一緒に拓也は、悠真の顔を無遠慮に鷲掴んだ。強制的に距離を取らせた拓也が悠真を軽く睨む。
「うわ〜、こわ〜。余裕ぜろ〜」
「うるせえ」
二人のやりとりは、絵に描いたような仲良しではないのに、どこか戯れているようにも見えるから不思議だ。
「頼まれたことはやっといたよ」
「さすが。助かるわ」
「悠真は、なんもやらないの?」
「は? やってるわ」
拓也と悠真の間に、当たり前に陽介や玲央が交ざる。違和感のない彼らの会話は、幼馴染特有の空気を完成させている。いつもの如くそこに交じるでもなく、小晴は朱音と別で話しているとポンっと頭に手を置かれた。
「じゃ、またあとで」
二人はたぶん、ふらりと立ち寄っただけ。なのに、ちゃんと小晴に向けられた視線は甘い優しさを纏っていた。去っていく背中を見つめる目は、恋した少女の顔だった。朱音と玲央、それから陽介は目を合わせて肩をすくめる。小晴の頭に乗った体温と重みは、ほんのひと時だったのに、なくなった今もまだ微かに残っているみたいだった。
打ち上げは順調な盛り上がりだった。全体で纏まっていた空気が少しずつ解け始め、会場内に個々の輪が出来始めた。お酒も回り始めたのか、賑やかさが増している。ビリヤードにダーツ、カラオケ…食事をしながらの楽しげな談笑。
そんな中で、盛り上がりから少し離れた隅っこ。仲の良いメンバーたちと丁度いい具合の立ち席でひっそり楽しんでいた小晴に近づく人物がいた。
「片付けお疲れ」
目を向けると、両手にグラスを持った拓也が立っていた。小晴は、まさか拓也が話しかけてくるとは夢にも思っていなくて目を丸くする。こんな風に大勢の人がいる中で堂々と話しかけられるのは、付き合ってから初めてのことだった。
拓也の空気の違いをなんとなく察知したのか、朱音たちが素早く目線を合わせて体を引いた。え、と声にならない音が空気を弾く。三人の行動に小晴は戸惑ってそれぞれを見たが、無言のままヒラヒラと手を振られて終わってしまった。
拓也が三人に何か伝えたわけではない。けれど拓也は小晴のように戸惑った様子もなく、当たり前のように彼らの行動を受け取っている。そんな彼にも戸惑った目を向けると、とびきり優しい笑みが返された。それから、持っていたグラスの片方を差し出される。
「このジントニック美味いんだって。飲んでみる?」
「あ、ありがとう…ございます」
「乾杯しよっか」
視界にはたくさんの人がいて、音だって溢れているのに、なぜか拓也と二人きりみたいな錯覚を起こした。柔らかな笑みに引き寄せられるように、グラスをカチンとぶつける。目の前に立つ拓也は小晴の前で見せるいつも通りで、逆に違和感が働かないことにドギマギする。周りを気にしている自分の方がおかしいような気がした。
緊張なのか警戒なのかわからないまま、胸に張った思いを飲み込むようにグラスを傾ける。お酒の味が強くて苦手かもと思っていたが、案外スッキリとした飲み口に少し驚いた。
「美味しい」
思わず声が漏れた。
「口に合ってよかった」
拓也が嬉しそうに笑う。ジントニックの予想外の感動のおかげで、さっきまでの緊張がやや解れ、小晴は真正面から拓也を見ることができた。
「あの…」
「ん?」
「その、なんで…来て、くれたんですか?」
迷いに迷って敬語にした。
「だって、小晴と話したかったから」
ただ素直に気持ちを伝えてくれているだけなのに、勝手に心臓がドキンと反応を起こす。小晴の唇が小さく震えた。無意識に拓也を見つめる瞳が甘い温度を持った。
「可愛い。照れたの?」
赤く染まった耳を見て、拓也が瞳を細める。自分を見つめる瞳に揶揄いに混じって別の熱が宿っているのを見つけて、小晴はさらに顔を赤くさせた。直視することが出来ず視線を逸らす。ふと耳のそばをなぞられるような感覚にびっくりして、逸らした視線をもう一度拓也に向けた。
「ねえ、顔真っ赤だけど」
触れられた感触は、拓也が顔を逸らした小晴の髪を耳に掛けたせいだった。
「それは、…た、拓也さんのせいだから」
「もしかして、意識してんの?」
図星を当てられ動揺した。
「学祭終わったもんね」
まるで小晴の反応を楽しんでいるみたいに、拓也が二人だけにしかわからない約束を口にする。何を意味するのか分かる小晴は、どんな顔をしたら正解なのかもわからないまま、ただ顔を真っ赤にさせ揶揄う拓也の瞳を凝視した。
「俺めっちゃ楽しみに学祭頑張ったから、ちゃんとご褒美ちょうだいね」
色を含んだ瞳で告げられ、小晴は出かかったパニックを瞬時に飲み込んだ。ドクドクとさっきから脈が早い。さほど広くもないテーブルの上。グラスを持つ手が何かの拍子で彼に触れてしまいそうで――。
カラン、とグラスの中の氷が揺れた。




