クイーンズ・ギャンビット
前書き
「NTR王子は悪役令嬢と返り咲く」前提、「燃え尽き王の再燃」の後日談となります。読まなくてもモブ公爵からみた二人という雰囲気で楽しめるように書いてあります。
「自由を取り戻した男娼王子は南溟の楽園で不義の騎士と邂逅する」→9〜10年後「NTR王子は悪役令嬢と返り咲く」→そこから5年後「燃え尽き王の再燃」
燃え尽き王の再燃は王位を退いたヴィルヘルムがサミュエルとリベルタを旅して、かつての目標を思い出す話になります。完結済です。
サミュエル・ベルグラード→NTR王子のヒロインであるソフィアの父。英雄色を好む。若かりし頃に女だったらとエリアスに言った男。そういう諸々があってリヒャルトからきついお灸を据えられている。
書斎の片隅で差し向かい、ベルニカの先代公爵サミュエルはリベルタ大公のエリアスとチェスを指していた。
「ディクソンから連絡が来ていると思うが、ディアーラの氷華を九五万ターラで落札している。公爵家としては一〇〇万出す用意があるが、リベルタでの働きを踏まえて五〇万にしてくれ」
チェス盤の上の駒を取りながらサミュエルはエリアスに提案した。
商談の最初は大幅な値切りからだ。
「話にならない。原価九五万なら一〇五万は払ってもらわないと。ノアから金をふんだくったんだろ? 一二〇万だ」
逆に良い駒を取られてサミュエルは舌を打った。
「無茶言うな。その金はリベルタで使っちまった。結果的にお前の懐にずいぶん入ってると思うが? 六〇万」
対局を進めながら、ディアーラの氷華の価格を交渉していく。
交渉がメイン、チェスがついでなのだが、エリアスは優れた指し手でついついそちらに気を取られる。
「まだ倍の差があるし、嫌なところに指す。これじゃあ埒があかない」
鼻を鳴らして駒を進めたエリアスは、サミュエルが次のコマを置こうとする絶妙なタイミングを狙って口を開いた。
「うちの店の四華のうちの三華と同時に楽しんだこと奥方は知ってるのか? 一三〇でどうだ?」
「ぐっ! それを出すのは卑怯だぞ!」
「動揺して指し違えるかと思ったが……」
「そんな素人みたいな真似するか。ほらチェックだ。七五万。譲歩したぞ」
エリアスの手が止まる。まだ詰みには程遠い状況だから、どれが最良手か考えているのだろう。
サミュエルはサイドテーブルに置かれた酒を一口飲んだ後、己が唇を舐めた。
「ラトゥーチェ・フロレンスの娼婦達の手管は見事だったが、お前が仕込んだのか?」
「ディックだよ。あいつのあだ名はリチャード由来じゃない」
一寸の狂いもない美貌のすました顔は大きく動かなかったが、ごく一瞬、ほんのわずか、その眉が動いた事を見逃さなかった。
「実技はヤリチン任せにしても、あれは王族への奉仕の発展だろ? あの男に再現できるはずもない」
メルシアの閨房術がベースだとベルニカにも似たような物があったから分かる。
そこを揺さぶると今まで静謐な動きだったエリアスのクイーンがチェス盤とぶつかって、木の鳴る音を深夜の書斎に小さく響かせた。
「ダンマリか? そうだな、八〇万までは出してもいい」
言外に仕掛けたのはそちらだろ、という責めを匂わせながら駒を手に取った。
「何を聞きたい? 彼女らにどういう風に指導したのか、か? それとも私がそれを出来るかか?」
エリアスの金緑の瞳が蠱惑的な色を帯びて、サミュエルの視線を絡め、駒を握る手に華奢な指が重ねられた。
そのごくわずかな接触でエリアスからふわりと甘い花の香を感じる。
意思とは無関係に口の中に生唾が溜まり、自身がわずかに兆したのを自覚してサミュエルは喉を鳴らし、ろくに盤も見ないでエリアスの手に導かれるままに駒を下ろしてしまった。
「九五……出そう。いや、ためさせてもらえるなら一〇〇出しても」
エリアスはそれには答えずにほんのわずかに俯いて、駒を動かす。
はらりと顔に落ちた髪を耳にかけると、形のいい耳朶にガーネットと琥珀をあしらった銀のピアスが煌めいた。
彼に穿たれた己の髪色の白銀と自分の瞳よりもほんの少しだけ暗い赤に劣情を掻き立てられる。
「私は……その程度の価値しかないと?」
その視線に気がついているのかエリアスは酒に口をつけて、婀娜めいた吐息を吐き出した。
「そんなことはない。一一〇ならどうだ?」
エリアスから視線を外せないまま、気もそぞろに駒を動かす。
先程チラリと見えた舌に身体を舐られたい、彼を跪かせ奉仕させてみたい、この凪いだ美貌を快楽に喘がせて剥き出しにさせてみたい、という強烈な劣情が湧き上がる。
どうして彼に引き込まれているのだろう。
生まれてこのかた同性に対して劣情を覚えたことなどない。自他共に認める、女好きの好色公爵だ。
今までエリアスに抱いたことがある気持ちは、ライバル心と女性だったら魅力的だったろう程度だし、先日は殴ってやると思っていた。
男でも構わないから、その花を手折ってみたいと思った事はない。
だが、今おかしな事にそういう気持ちになっている。
食い入るように彼の形のいい指が騎士の駒をつまんで盤上におろすのを見つめる。
しかし、彼の駒がチェス盤を打った瞬間にかかった魔法が解けた。
「そんな端金でこの人を抱けるものか。対価は命だ。好色公」
「チェックメイト」
「えっ?」
気がつけば聞き覚えのある声の誰かに背後を取られて喉元に短剣を突きつけられ、チェスも負けが決まっていた。
喉元に突きつけられた短剣を握る左手の薬指。
そこにこれみよがしにはめられているのはエリアスの色の金とグリーンガーネットの指輪だ。
不覚にも彼が後ろに迫っていた事にも、チェスでいつの間にか負けの道筋に入れられていたことにも意識が向いていなかった。
「耄碌したな……。俺も」
「私もだ。昔なら交渉なんてさせずに堕とせたんだが」
「いやいや、たいしたもんだ。新たな扉を開きそうになっちまった」
実際彼は、いや、彼らは鮮やかな手並みだった。チェスも交渉も。
クイーンに翻弄され、我に返ったときにはキングはナイトに取られていた。盤の上でも現実でも。
「くわばらくわばら。お前らを敵にまわすのは愚策だな。九五万。何かがあったときにお前ら二人の側に立つようにイェルドに働きかける保険付き。この条件でどうだ?」
ピアスを示唆して耳朶を叩くと、エリアスが苦笑する。
「……その粘り腰は大したものだ」
「じゃなきゃ長年の動乱の中、ノーザンバラとの国境を守れんし、女も善がらせられんからな」
短剣を首からどかそうとしない男を、しっし、と犬の子を散らす仕草で離して、釘を刺す。
「血狼公。この傾国を自由気ままにさせておくな。鎖で繋いで貞淑にさせておけ。煽られりゃあ、俺も本気になるかもな?」
先程好色公と言われたお返しにちくりとつついてやると、あからさまな舌打ちが返ってきて溜飲が下がる。
「お前さんは強いがまだまだ小僧だ。もう少し人生を楽しんだ方が良いぞ。エリアス、メルシュのお勧め娼館はどこだ?」
「宿木通りのユヴェーレンには金を入れてる。オリヴェルに場所を聞くと良い」
その前に、と文机に向かったエリアスは眼鏡をかけると慣れた様子で書類を作った。
「ほら、ディアーラの氷華の売買契約書だ。問題なければサインしろ」
「む……もう少し文字を大きく書け」
貸してやる、と、先程まで彼がかけていた老眼鏡を手渡され、それを使って内容を確認すると九五万ターラで書かれた売買契約書にサインする。
ついでに一筆したため、懐にしまい込んでいたディアーラの氷華を取り出してエリアスに見せ、机の上に置いた。
「では、これと一緒に妻のところに送ってくれ。あいつもこの宝石のことは気にしていたから良きにはからうだろう」
「分かった」
外した途端にフィリーベルグ公ケインに老眼鏡を取り上げられて、慇懃に出口まで案内される。
「我々はこれから人生を楽しむので、さっさとお帰りください。ベルグラード殿」
「サムと呼んでもらって構わんよ。お前さんは貴重な組手仲間だからな」
「では俺の事もケインと。お休みなさい。宿木通りに行くのであれば、西の通用門から出入りするのがお勧めだ」
エリアスへの挨拶もそこそこに書斎を追い出され、サミュエルは頭を掻いた。
「あの二人、鎖をつけあってもらっているのが一番平和そうだな」
そしてその足で深夜外出をしたサミュエルは、翌日昼餐に現れなかったエリアスと艶々したケインの様子で人生を楽しんだのだろうと察した。
実際、彼にそう言ってやったのは刹那的な意味だけではなかったのだが、そこまで親切にしてやる事もない。
小さく肩をすくめるとサミュエルは出された味わい深い珈琲を楽しんだ。
お読みいただきありがとうございました。
ヴィルヘルムの息子とサミュエルの娘の恋愛を始まりに、レジーナのその後を描いた【NTR王子は悪役令嬢と返り咲く】
そのさらに後のヴィルヘルムとサミュエルのおっさん旅を書いた【燃え尽き王の再燃】を続編として書いています。シリーズでまとめてありますのでよろしくお願いします。
王子シリーズ
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