32:デリンの書記
――リズミエラ・エンユは天才だ。僕は彼女を尊敬し、憧れる。
それはいつ書かれたものなのか、表紙の裏にデリンが書いたのであろう文字が目に入る。派手に書かれた、その筆跡から熱い感情が伝わってくるようだ。
最初のページに移る。この本に書かれた最初の一文はこれだろう。
――晴れて僕は迷宮ギルドの研究員になった。けどどういうわけか配属されたのは隔離された研究施設だ。そこには一人の魔族の研究者が居た。リズミエラ・エンユという名前らしい。僕の上司になる人だ。
デリンは初め、幼い容姿のリズミエラに対してあまり良い印象がなかったようだ。年齢を聞き自分より年上だということに驚いたようだが、それも良くなかった。当時の背の低い魔族に対する認識は、子供か魔力量が少ないかのどっちかというのは今と同じだが、魔力量が少ない場合は魔族内で迫害を受ける対象だった。彼らは魔族の中でも落ちこぼれであり能力が低く、頭もおかしい。同じ魔族が皆同じようにそう言っているのだから、他の種族もそういうものなのだと認識していたのだ。迫害対象で隔離された研究施設、自分は迷宮ギルドの厄介者を押し付けられただけなのではないかと不安にもなったのだろう。
しかしそんな不安も研究を続けるに連れあっさりと無くなる。リズミエラの研究者としての実力に嫌でも気付かされたからだ。半年も経つ頃には迷い無く彼女を尊敬していた。
――リズミエラ女史の考えたとおり、新たな方法で採取された希樹液はそれまでのものより効能が段違いだ! これで探索者たちの負傷による引退者の数も減らせる! 資源確保の安定にも繋がるぞ!
リズミエラは今でこそ当たり前に行われている素材の採取方法や薬品の精製など、それらの発見に大いに関わっていた。俺の知らない情報だ。いや、ほとんどの者が知らない事なんだろう。
デリンも助手として精力的に協力し、それらの研究に携わっている。
リズミエラの研究はあらゆる分野に及んでいるようだった。俺には研究成果に関して書かれている内容が理解できないものが多いが、目にした事があるもの、耳にした事があるものも多い。
数年経った頃には迷宮へも行ったようだ。
――リズミエラ女史は運もあるのだろうか? 一度の探索で敵意のない迷宮羊と迷宮牛の捕獲に成功した。すでに地上にいる迷宮羊と迷宮牛との繁殖に成功すれば、地上での食料調達も職の確保も楽になる。未来への希望へと繋がる偉業だ。
そう言えば、それらの繁殖が成功した時代とリズミエラのいた時代は重なっている。……そんな事にも関わっているのか? なら何故その記録が残されていない? 毒薬一つで消されるようなものなのか?
迷宮羊や迷宮牛の繁殖は成功した。それもリズミエラの研究があってこその成果だったらしい……。
数年が経過する。リズミエラの研究は順調だ。既に成果を挙げたものも、改良し更に便利なものへとしていた。その頃にはデリンはリズミエラの助手としてすっかり板についており、迷宮ギルド内での評判も良かったようだ。しかしそれはデリンが求めていたものとは違う形だった。
――何故リズミエラ女史は自身の手柄に対して名を明かさないのだろうか。周りの者が勘違いをして僕の成果だと言っている。何度訂正しても直らない。一人の研究者として、それは辛い。
デリンはリズミエラに名を明かさない理由を何度も尋ねた。最初は誤魔化していたリズミエラも、やがて根負けする。
――僕は昔、リズミエラ女史の運が良いのではないかと考えた事がある。馬鹿な話だ。当時の僕を殴ってやりたい。
デリンは研究者を目指して、研究ばかりに目がいっていた。だからそれに関係のない社会情勢や他種族の問題など、ほとんど聞き流していた。魔族内ではリズミエラのような者に対して迫害があるとは聞いていたが、その内容については軽く考えていた節がある。
リズミエラは、一度命を狙われていたのだ。
リズミエラの命を狙ったのは、リズミエラの祖父だったらしい。当時の迫害は酷く、原因は魔族が本能的に持つ嫌悪もあるが、魔族の種としての価値の劣化を防ぐため、優れた遺伝子を持つ者に積極的に子を産ませ、劣った遺伝子を持つ者は排除しようとする動きがあったという。魔力量はほとんどの場合遺伝する。そのため魔力量の多い者を優れた遺伝子を持つ者とし、魔力量の少ない者を劣った遺伝子を持つ者として扱ったのだ。魔族は当時から迷宮のおかげで優遇を受けていた。魔力量を増やし優れた者たちばかりになれば、自分達魔族こそが最も偉大な種族としてこの世界を導く事が出来ると妄信したのだ。本能的な嫌悪と、現状の地位からくる優越感、その結果の暴走なのだろうか。他にも原因は色々とあったのだろうが、なんと言おうとも、俺には低魔力者に対する嫌悪感を排除するための言い訳にしか聞こえないが。
リズミエラは運良く迷宮ギルドに保護されたために助かったが、次があるとは限らない。迷宮ギルドの研究所には勿論魔族の研究者もいる。魔族同士がどこで繋がっているか分からないため、リズミエラは隔離された場所でずっと研究を続けていたのだ。迷宮へ行く際には迷宮ギルドの職員が多く居たというが、その中に魔族は居なかったらしい。魔族がリズミエラ一人しか居ないから警戒して人員が多いと思っていたが、まさかリズミエラを守るための事だったとは思いもよらなかったという。
リズミエラは名を明かさなかったのではない。明かせなかったのだ。
彼女の自由は限られた場所にしかない。それも、他の誰かに守られないと維持できないものだ。そんな場所で、リズミエラはその才を揮う。
――彼女はただ、この世界がより良くなるよう願っている。研究も全て、人類のためだ。そこには勿論、魔族も含まれている。
デリンは目の前で微笑む尊敬する人の事を世界に知らしめたかった。だがそれは許されない。リズミエラの自由がなくなるから。彼女から研究という名の自由さえ奪ってしまうことになるから。
迷宮ギルドの上層部は知っているだろう、理解しているだろう。だがそれだけだ。成した偉業に対して、あまりにも狭い。
デリンは相当悔しかったようだ。口の堅い、信頼できる弟にそれらをぶつけるように吐き出す。
それからは弟にリズミエラの自慢をするのが日課になる。
――僕があまりにもリズミエラ女史を褒めるものだから、弟が興味を持ってしまった。お前には婚約者がいるだろう。あっちいけ。
自業自得だろう。何やってんだこの人は。
リズミエラとデリンの共同研究は続く。新たに人員を増やすことは無かったようだ。現状上手くいっている以上、余計な手を加えないほうが良いと上が判断したのだろう。
弟が結婚したらしい。リズミエラたちは新たな薬品を生み出したようだ。弟家族に子供が生まれたらしい。リズミエラたちは探索に役立つ道具を開発したようだ。
リズミエラに、あなたは結婚しないのかと尋ねられたらしい。デリンは、既に子供が沢山いますからね、と研究所に溢れる薬品や道具を指して笑ったんだと。
デリンはリズミエラに恋していたのだろうか?
書記からは強い尊敬は感じられるが、そういった淡い気持ちは上手く隠されている。
「え」
いや、なにその声。ユカリさんは俺と違う何かを感じ取ったのだろうか。
まぁいいや、次だ次。
またしばらく時が経ち、とうとうあの薬が開発された。
だがそれは、俺が当初考えていた理由とは違うものだった。
――失敗した。こんな事になるとは。彼女の表情が頭から離れない。
リズミエラは自身でその薬を試した。そうして、ただでさえ少ない彼女の魔力量は更に少なくなったらしい。
その薬は、迫害が酷くなる一方の低魔力量の魔族を救うために開発したものだった。つまり、あの薬を生み出した目的は魔力量を減らすことではなく、増やす事だったのだ。それは……。
「ロウと同じだったんだな」
俺は静かに首を振る。
「俺は自分のためにだよ。リズミエラは他の人のためにだ。全然違う」
俺は今まで自分の魔力量を増やす事だけを考えてきた。他の、何処かにいるだろう俺と同じような者の事など考えたことすらない。誰も救おうだなんて思っていない。ずっと俺だけだった。
「全然違うよ……」
強く握り込んだ手に、ユカリさんの手が被せられる。
「良いじゃないですか。ロウさんの目的が達成できれば、それが同じ悩みをもつ人の力になるかもしれないんですから」
「そうだぞ。新たな手段を見つけ出せれば、そのおかげで救われる人も多いんだ。ロウの動機とリズミエラさんの動機は違うものだとしても、どっちも誇れる動機だぞ」
テンカが俺の背に手を当て励ます。
「自分のためにやってるだけなのに?」
「自分の弱点を克服しようと頑張ることが誇れないわけないだろ」
「そうですそうです」
なんかユカリさんがマナさんみたいな口調で励ましてくる。
「ありがとう」
嬉しいよ、とは言葉に出来なかったけど。
なんか照れくさくなってきた。デリンの書記を読むことにする。
デリンが言うには、リズミエラはその薬の効果に対して酷く絶望したようだ。自身の魔力量が減った事もあるだろうが、迫害を受けている人たちを救えるかもと思った物が、まさか逆の効果を発揮するとは思いもよらなかったのだろう。これは魔族に絶望を与えるものだ。希望を目指した彼女にはあまりにも酷だったのだ。
リズミエラの研究が滞る。悪いことは続くもので、とうとうリズミエラの居場所が迫害をする魔族達に知られたらしい。
ある日、リズミエラが失踪した。魔力量を増やす手段を探してくるとの書置きを残して。




