第7話 劇場の地下室と、自滅する窃盗団
「まあ……なんて華やかで素敵な舞台なのかしら!」
王都の繁華街に佇む、歴史ある『グランド・ロイヤル劇場』。
華やかな照明とオーケストラの生演奏が響く中で、デイジーは二階のバルコニー付きの特別観覧席から目を輝かせて舞台を見下ろしていた。
本日は、伯爵家の社交の一環として観劇に訪れていたのだ。
先日の『薬草店で壁を突き破った事故』のショックも癒え、今日ばかりは淑やかな伯爵令嬢として、文化的な一日を過ごすつもりであった。
(ふふふ、観劇なら椅子に座っているだけだもの! 転ぶ要素も、壁を壊す要素もどこにもないわ! 今日の私は完璧に安全よ!)
デイジーは満足そうに微笑み、胸元に添えていた刺繍入りの絹のハンカチを軽く持ち上げた。
――まさに、その瞬間のことである。
劇場の天井付近にある換気用の小窓から、気まぐれな強い一陣の風が吹き込んできた。
「あらっ!?」
ひらり。
デイジーの手から離れた家紋の刺繍入りのレースのハンカチは、風に乗ってゆらゆらと舞い上がり、そのままバルコニーの手すりを越え、一階席と舞台の間にある隙間へと吸い込まれるように落ちていった。
「まあ大変! デイジーお嬢様、私がお取りして参ります!」
「いいのよマリー、貴女はここで待っていてちょうだい。お母様からいただいた大切なハンカチだもの、自分で探してくるわ」
デイジーは侍女のマリーを制すると、席を立った。
(すぐ下の通路に落ちただけだもの。ちょっと拾ってくるだけだわ)
そう思っていた時期が、私にもありました……。
一階へ下りたデイジーは、ハンカチを追って舞台裏の暗い通路へと足を踏み入れた。
しかし、廊下はまるで迷路のように入り組んでおり、曲がり角をいくつか曲がるうちに、自分がどこにいるのか完全に分からなくなってしまったのだ。
(あれ……? どこかしらここ……? 出口はどちら……?)
焦ったデイジーは、見つけた重々しい木製の扉を開けた。
そこに書かれていた『関係者以外立ち入り禁止・地下大倉庫』という注意書きの札が、《《偶然》》ネジが外れて床に落ちていたことには、当然気づくはずもなかった。
「失礼いたします〜。……どなたかいらっしゃいませんか〜?」
一歩踏み出すと、そこは暗く湿った地下倉庫だった。足元には使い古された舞台道具や幕、大道具の木枠が乱雑に放置されている。
闇に目が慣れないまま、デイジーは手探りで進んだ。
そして――
カチャッ。
「きゃっ!?」
デイジーの華奢な足が、暗闇の中に放置されていた高所作業用の木製脚立の脚に引っかかった。
お約束の、完璧すぎるタイミングでの転倒である。
咄嗟に手を伸ばすも何も掴めず、デイジーの身体は派手に横倒しになった。
その倒れた先には、長年使われていない劇用の衣装がうずたかく積まれた『巨大な衣装の山』があったのだ。
ガシャーン!! ドガラガラガラッ!! ガシャガシャ!! ボフッ!!
「ひやあぁぁぁっ!?」
デイジーは脚立を巻き込みながら、衣装の山へと豪快に突っ込んだ。
積み上げられていた古い甲冑、木製の剣、大量の布地が崩れ落ち、地鳴りのような絶大な破壊音が地下倉庫全体にズズンと響き渡った。
◇
その頃。
倉庫の最深部、頑丈な鍵がかかった隠し部屋の内部では、息を潜めて潜伏していた『男たち』が、恐怖で顔を真っ青にさせていた。
彼らの正体は、数年前に王室の宝物庫から姿を消した伝説の秘宝『聖なる宝冠』を盗み出した、広域指名手配中の窃盗団『黒猫の爪』であった。
国宝だけに表立って売ることもできず、彼らは劇場の地下倉庫にある隠し部屋を数年間にわたって潜伏場所として利用し、宝冠を安全に売りさばける機会を伺っていた。
「ひっ……な、なんだ今の音は!?」
「木材が叩きつけられるような凄まじい音だ! 鉄の装備がぶつかり合う音まで聞こえたぞ……!」
「ば、バカな! ここがバレたのか!? 王立騎士団の重装歩兵部隊の突入か!?」
男たちは刃物を握りしめ、ガタガタと震え上がった。
暗闇の向こうから、崩れた衣装の山を蹴散らしながら「うぅ……痛い……」と呻くデイジーの低い、布越しでこもった声が響いてくる。
「くっ……重装甲の騎士たちが続々と崩落を起こしながら突入してきているのか!!」
「もうダメだ! 相手は国家の精鋭騎士団だ! 抵抗したら殺されるぞ!!」
極度の緊張状態にあった窃盗団の精神は、デイジーのたった一回の豪快な転倒音によって完全に崩壊した。
「降伏だ! 自首する! たすけてくれぇぇぇっ!!」
バンッ!と隠し部屋の扉が内側から開かれ、強面の大男たちが全員手を挙げて、ボロ切れのように倒れているデイジーの前に飛び出し、床に平伏した。
「ひえっ!?」
大量の古いドレスと甲冑に埋もれていたデイジーは、突然現れて土下座を始めた怪しい男たちを見て悲鳴を上げた。
「許してください! 宝冠は……『聖なる宝冠』はあちらの衣装の山の中に隠してあります! だから命だけはぁぁっ!」
「え……? ほう……かん……?」
デイジーが訳も分からず自分の膝元を見下ろすと、自分が崩した衣装の山の中から、燦然と輝く純金製の宝冠がコロンと転がり出て、彼女の膝の上にすっぽりと収まった。
宝石が無数に散りばめられた、紛れもない国家の至宝であった。
「……え?」
そこに広がっていたのは、自首しようとおいおい泣いている凶悪犯たちと、無傷で『聖なる宝冠』を抱えたデイジーの姿であった。
(私……またやってしまったの……!? ただハンカチを探しに来ただけなのに、なんで国家規模の盗賊団と国宝を見つけちゃってるのーーー!?)
◇
数分後。
異変を聞きつけて駆けつけた劇場の警備員と、ライアンの密命を受けて影でデイジーを尾行していた騎士たちが地下室になだれ込んできた。
そこに広がっていたのは、自首しておいおい泣いている凶悪犯たちと、無傷で至宝頭に乗せたデイジーの姿であった。
「デイジー様! 無事ですか!?」
「マリー……私、もう観劇すら怖くて来られないわ……」
涙目で呆然とするデイジーは、騎士たちに保護され、無事に地上へと連れ出されたのだった。
◇
「……ふはっ、くははは! 観劇に行って、ハンカチを落として地下室の脚立に引っかかり、数年間行方不明だった『聖なる宝冠』を物理的に掘り出すとはね!」
劇場の最上階にあるVIP席。
遠眼鏡で騒ぎの一部始終を報告させていたライアンは、あまりの面白さに目元を拭いながら、心底楽しそうに笑っていた。
「ライアン様、笑い事ではありません」
侍従のルイスが真顔で書類を差し出す。
「あの『黒猫の爪』は、王立騎士団が年単位で追っていた凶悪な窃盗団です。それをデイジー様は、ただ転倒し、危機感を煽っただけで自首させました。……もはや神の域です」
「失礼だなルイス。彼女は可憐な私の幸運の女神だよ」
ライアンは立ち上がると、アイスブルーの瞳にすっと冷徹で鋭い光を宿した。
「……さて。今回の件、表向きの発表はどう処理する?」
「はい。新聞発表では『ロメオ伯爵家の令嬢が、怪しい気配を察知して自ら危険を顧みず地下へ赴き、見事に事件を解決した』と記載させる予定ですが……」
「却下だ」
ライアンは即座に首を振った。
「彼女に『凶悪犯を捕まえた英雄』のレッテルを貼ってみろ。窃盗団の残党や、彼女の強運を恐れる反王太子派閥の連中から命を狙われることになる。……私のデイジーに、そんな危険を冒させるわけにはいかない」
「では、どのように?」
「『ロメオ伯爵家が極秘に入手していた捜査協力の情報を元に、王立騎士団が手柄を挙げた』ことにしろ。功績と賞金はすべてロメオ伯爵家へ回すが、デイジー個人の名前は表に出すな。……それと」
ライアンは甘く危険な笑みを浮かべた。
「あの地下倉庫で、彼女の美しいドレスが埃まみれになってしまっただろう? ヴァンサン公爵家が誇る最高級の絹で仕立てたドレスを、十着ほど『怪我のなかったお祝い』としてロメオ伯爵家に贈っておけ」
「……またそうやって、公爵家からのアプローチを当然のように混ぜ込むのですね」
「当然だろう? 私の未来の妻になる人なんだから」
ライアンは窓の外、無事に馬車へ乗り込むデイジーの姿を優しく見つめた。
「君がどれだけ無自覚に世界を揺るがそうと、私がそのすべてを包み込み、守り抜いてみせるよ。……次の夜会が、実に楽しみだ」
知らぬ間にまたしても国家を救い、そして知らぬ間に腹黒公爵からの囲い込みを強化されたデイジー。
彼女の『平穏な日常』への道は、ますます遠ざかっていくのであった。
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