第15話 開かずの間に乱入する女神
「――建国記念舞踏会の今夜、我らはこの王宮の『開かずの間』を占拠する」
王宮の地下深く、重々しい鉄の扉で閉ざされた密談部屋。
不気味な燭台の光の下で、反王太子派閥の首謀者――ローゼンベルク公爵が不敵な笑みを浮かべていた。
「ライアン・ヴァンサンめ。我が派閥の密輸ルートと資金源を次々と潰してくれたな。だが、それもここまでだ。地上で華やかな祝賀会が行われている今この瞬間、我らは王太子とライアンをこの地下に閉じ込め、一気にクーデターを起こす!」
テーブルの上には王宮の内部地図と、クーデター決行の合図となる大量の爆竹、そして凶悪な『かぎ爪型発火装置』が広げられていた。
「王宮を炎で包み、国中を大混乱に陥れてくれるわ! くくく……勝利は我らの手に――」
国家を揺るがす最大の陰謀が、まさに決行されようとしたその瞬間。
◇
「うぅ……おしっこ……じゃなくて、お手洗いはどこかしら……っ!」
同じ頃、地上から遠く離れた地下の回廊で、デイジーは切実な危機に瀕していた。
人酔いとお酒、果実水と間違えて飲んだ果実酒のせいで、激しい尿意を催したデイジー。侍女のマリーを探す余裕もなく「すぐそこだから」と席を立ったものの、案の定、迷路のような王宮で完全に迷子になってしまったのだ。
(どこもかしこも似たような廊下ばかり! ああ、もう限界……限界だわ……っ!)
半泣きで地下の回廊を彷徨っていたデイジーの視界に、突き当たりにある『重々しい鉄の扉』が飛び込んできた。
(あっ……! あんなに頑丈で立派な扉……! きっとあそこが王宮のお手洗いに違いないわ!)
もはや理性的判断力を失っていたデイジーは、ふらつく足取りで鉄の扉へ駆け寄った。
ドアノブを掴み、ガチャガチャと引いてみる。しかし、長年使われていなかった開かずの間のドアノブは、老朽化で錆びつき、途中で「カチッ」と空回りして壊れてしまった。
(うそでしょ!? ドアノブが壊れて開かない……!?)
尿意はすでに限界突破寸前である。
(嫌……! こんなところで漏らして『失禁令嬢』として歴史に名を残すなんて絶対に嫌ぁぁぁっ!!)
切羽詰まったデイジーは、ドレスの裾をがばりと持ち上げると、後ろへ数歩下がって助走をつけた。
「開いてぇぇぇぇぇっ!!!」
ドカァァァァンッ!!!!
可憐な伯爵令嬢の全体重と『尿意』という名の危機感に追い詰められた決死の体当たりが、壊れた鉄の扉の鍵穴を一撃で粉砕した。
◇
「……なっ!?」
バキァァンと豪快な音を立てて鉄の扉が弾け飛び、密談中だったローゼンベルク公爵と反乱分子たちは跳び上がって絶句した。
扉の向こうから煙と共に雪崩れ込んできたのは――涙目になり、必死に内股になりながらお腹を押さえるデイジー。
「ハァ……ハァ……! た、助かった……! ここがお手洗――」
デイジーが安堵の息を漏らそうとした瞬間。
目の前に広がる、強面の男たちと大量の武器、そして広げられた王宮の地図が視界に入った。
「「「………………」」」
「あ……あら……? ここ……お手洗いではありませんの……?」
「な……なんだ貴様はぁぁぁっ!?」
ローゼンベルク公爵が血相を変えて叫んだ。
「なぜ噂の『間の悪い令嬢』がここにいる!? バカな! まさか……我々の計画を察知して、ここへ乗り込んできたというのか!? あの重い鉄の扉を体当たり一発でブチ破って……!?」
「ひっ……!? 違います! 私、ただお手洗いを探していただけで――」
「騙されるな! 斬り捨てろ! クーデターの計画が漏れるぞ!」
怒号を上げる反乱分子たちが一斉に剣を抜き、デイジーへ飛びかかろうとした――その瞬間。
デイジーは恐怖のあまり「ひやぁぁぁっ!?」と悲鳴を上げて後ろへ飛び退いた。
ポチッ。
「え……?」
デイジーの細いヒールが、足元に設置されていた『かぎ爪型発火装置』をズシッと完璧な角度で踏み抜いた。
チリチリチリ……ッ!!
「な……ッ!? かぎ爪を踏んだだと……!? 待て、そこには合図用の爆竹が――」
ちゅぎゃあぁぁぁぁぁんッ!!!!
爆竹が一斉に炸裂し、凄まじい閃光と爆音、そして大量の煙が部屋いっぱいに広がった。
古びた錠前が吹き飛び、鉄の扉が勢いよく開いた。
「ぎゃあああああっ!?」
「目が! 目が見えん!」
「自爆だぁぁぁっ!」
反乱分子たちは爆風と煙に巻き込まれ、次々と床へ倒れ込んでいった。
そして――お約束の奇跡的な『間の悪さ』と『強運』により、体当たりで壊れた鉄の扉の『陰』へと突風で吹き飛ばされたデイジーだけが、無傷のままポカンとそこに転がっていた。
(なんで……? 私、普通にお手洗いに体当たりして転んだだけなのに……なんで国家反逆罪の現場を大爆破しちゃってるのーーーーっ!?)
◇
ドカドカドカッ!
「そこまでだ、反逆者ども!」
爆音を聞きつけた王宮騎士団が、ライアンと王太子を伴って剣を抜き放って部屋へと雪崩れ込んできた。
しかし、騎士たちが目にしたのは――すでに自爆して煙の中で苦しそうに倒れ込み、全滅しているローゼンベルク公爵一派の凄惨な惨状であった。
「な……なんだこれは……?」
後ろから駆けつけた王太子ルークが、呆然と口を開ける。
黒煙の中から、涙目で「ライアン様……お手洗いは……どちらですか……」と半泣きで歩み出てくるデイジー。
それを見たライアンは、一瞬だけ驚きに目を見開いたが――次の瞬間、その美貌にこれ以上ないほど甘く、確信に満ちた笑みを浮かべた。
(……ああ。やっぱり彼女だ。私の女神だ)
ライアンは心の中で深く確信した。
王国を揺るがしかねなかったクーデターすら、彼女のあまりにも愛らしく、理不尽なまでの『間の悪さ』が一瞬で撃ち砕いてしまったのだと。
ライアンは迷いなく歩み寄ると、煙くさいデイジーを愛おしそうに力強く抱きしめた。
「ライアン様……だからお手洗いが……っ!」
「よくやってくれたね、デイジー。君はまたしても、私とこの国を救ってくれた」
「違います……! 体当たりして、何かを踏んで……そしたら、なぜか爆発しただけで……っ!」
「もう逃がさないよ」
ライアンはデイジーの耳元に優しく唇を寄せ、生涯を共にする覚悟を込めた言葉を低く囁いた。
「君のその間の悪さも、引き寄せる奇跡も、そのすべてを私の人生で受け止め続けると誓う。……事件が解決した今だからこそ、ここで伝えたい」
ライアンは崩れ落ちた部屋の真ん中で、膝をついてデイジーの手を恭しく取った。
「私と結婚してください、デイジー嬢。一生、君の引き起こす騒動の第一発見者でいさせてほしい」
「え……ええええええええっ!? 色んな意味でもう限界ーーーっ!!」
地下室にデイジーの悲鳴のような叫び声が響き渡る中、クーデターは呆気なく終結したのだった。
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