第16話 建国記念舞踏会と、永遠に続くハプニング
王立オーケストラが奏でる荘厳なファンファーレが、王宮『天上の間』に高らかに鳴り響いた。
年に一度の建国記念舞踏会。
天井の巨大なクリスタルのシャンデリアからは幾千の光の粒子が降り注ぎ、色とりどりのドレスを纏った貴族たちが、まるで咲き誇る花々のように広大なホールを埋め尽くしている。
今夜の舞踏会は、単なる国家の祝賀イベントではなかった。
つい数時間前、王宮の地下室にて『間の悪い令嬢』ことデイジー・ロメオの手によって一網打尽にされた、ローゼンベルク公爵一派による反乱未遂事件――その国家の危機を脱した祝勝会としての意味合いも兼ねていたのである。
「諸君! 今夜は王国の偉大なる平和と、我らが『幸運の女神』に乾杯を!」
国王陛下の朗らかな宣言とともに、金色の酒杯に祝杯の酒が次々と注がれていく。
ホールの中央では、噂の渦中にある男――ヴァンサン公爵家の令息、ライアンが、完璧な立ち振る舞いで各国の使節や高位貴族たちの挨拶を受けていた。
プラチナブロンドの髪、氷のように美しい瞳、隙のない漆黒の夜会服。
社交界の『氷の貴公子』と称えられた彼は、今や『王国で最も深く婚約者を溺愛する男』として全貴族の注目の的となっていた。
「ライアン様、この度は見事な手際での反乱分子の鎮圧、恐れ入ります」
「ええ、だが手柄はすべて、私の素晴らしい婚約者のものです」
ライアンは甘く魅惑的な笑みを浮かべ、自身の隣――怯えた小動物のように縮こまっている令嬢へと視線を送った。
そこにいたのは、ペールピンクの上質なドレスに身を包んだデイジー・ロメオであった。
(ひやぁぁぁ……! 視線が……全貴族の視線が刺さるように痛いわ……!)
デイジーは手にした扇子をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしていた。
先ほどの『開かずの間』での大爆発事件から数時間。
爆煙の中でライアンから捧げられた怒涛の求婚劇は、瞬く間に王宮中の噂となり、いまやデイジーは『反乱を物理的に粉砕し、王国屈指の人気貴公子を射止めた伝説の令嬢』として崇め奉られていたのだ。
デイジーは半ば混乱したまま、ライアンの求婚を受け入れることになった。
(違うのよ……! 私、ただお手洗いを探して扉に体当たりして、落ちていた爆竹をヒールで踏んづけただけなのよ……! なんで英雄扱いされているのーーーーっ!?)
心の中で叫び続けるデイジー。
そんな彼女の緊張を察したように、ライアンがそっと手を取り、その指先に優しく唇を寄せた。
「デイジー、あまり身構えなくてもいい。今夜の君は、世界で一番美しいよ」
「ラ、ライアン様……! 大人数が見ていますから、そういう甘い言動はお控えくださいませっ!」
「おや、困ったな。私の愛しい婚約者を誇るのに、遠慮など必要かい?」
ライアンのアイスブルーの瞳が、トロリとした濃密な熱を帯びる。
ライアンの手がデイジーの細い腰に回り、自然な動作でぐっと自身の身体へと引き寄せられた。息が触れ合うほどの距離に、デイジーの心臓が「ドキン!」と跳ね上がる。
(やっぱりこの人、前より一層距離感が近くなってるわ……! 逃げ場がない……!)
◇
舞踏会が盛り上がりを見せる中、主賓のダンスの時間が近づいてきた。
オーケストラの演奏が優雅なワルツへと変わり、中央の広場が開けられる。
「さあ、デイジー。私と踊ってくれるかい?」
ライアンが恭しく手を差し伸べる。
「は、はい……! ライアン様、私、絶対にステップを踏み外さないよう全集中いたしますわ!」
デイジーは意を決してその手を取った。
今日こそは完璧に踊りきり、『間の悪い不運な令嬢』を卒業してみせる。それがデイジーの密かな決意であった。
優雅に交わされるステップ。旋律に合わせて旋回する二人。
ライアンのエスコートは完璧であり、デイジーの動きを自然にリードしていく。周囲からは「なんて幻想的で美しいお二人……」「まるで絵画のようだわ」と溜息が漏れていた。
(ふふふ、踊れている! 私、ちゃんとワルツを踊れているわ! 今日の私は完璧よ!)
デイジーが心の中で歓喜の舞を踊った――まさにその瞬間のことである。
くるりと大きく回転した際、デイジーの靴の細い踵が大理石の床を滑った。
「あっ……!?」
お約束の、完璧すぎる『不運』発動である。
右足が滑り、体勢が崩れる。
デイジーは豪快に前傾姿勢になり、ライアンの胸元へと突っ込んでいった。
「きゃああああっ!?」
本来なら、二人が派手に転倒して終わるはずのハプニング。
しかし――相手はあのライアン・ヴァンサンである。
ガシッ!
「っと……危ないね」
ライアンは驚くべき反射神経と筋力で、倒れかかるデイジーの腰を片腕でしっかりと受け止めた。そのまま身体を支えながら大きく一回転し、流れるように元の姿勢へ戻した。
バサァッ……!
宙を舞うデイジーのドレスが、大輪の花のように美しく広がった。
「「「おおおぉぉぉぉぉ!!!!」」」
会場全体から、割れんばかりの嵐のような拍手と歓声が巻き起こった。
「素晴らしい! まるで空を舞う天使のような素晴らしいワルツだ!」
「わざと体勢を崩して見せるなんて、なんという高度なダンス表現!」
宙に浮いたかと思ったら、くるりと身体を回され、気がつけばライアンの腕の中に収まっていたデイジーは、ポカンと口を開けて呆然としていた。
(なんで……!? 私、普通に転びかけただけなのに……なんで歓声が起きているのーーー!?)
◇
「ふふ……本当に、君といると一秒たりとも退屈しないな」
歓声に包まれるホールの真ん中で、ライアンは呆然とするデイジーを愛おしそうに見つめ、耳元で低く囁いた。
「ライアン様……私、また転びそうに……」
「知っているよ。だが、君がどれだけ転ぼうと、私は何度でも君を抱き留める。……君のその不運も、ハプニングも、すべて私が最高の奇跡に変えてみせるさ」
ライアンの瞳に宿る、深く、決して離さない執着と溺愛の光。
彼は全貴族が見守る目の前で、デイジーの指先に、そして彼女の頬に、甘く情熱的な誓いのキスを落とした。
「ひやぁぁぁっ……!?」
真っ赤になってライアンの胸に顔を埋めるデイジー。
これまで『間の悪い令嬢』と自称していた少女は、いまや王国中の注目を集め、王国最高の貴公子に全身全霊で愛される『最愛の婚約者』となっていた。
(もう……私の人生、絶対に平穏なんて訪れないんだわ……!)
遠くで呆れ顔で見守る友人シルヴィアと、嬉し泣きしている侍女マリー。
そして、彼女を二度と離さないと言わんばかりに強く抱きしめる腹黒公爵令息。
デイジー・ロメオの『災難だらけの日常』は、これからも甘く賑やかなハプニングと共に続いていくのだった。
ハッピーエンド
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