第14話 嵐の夜の舞踏会と、深まるライアンの執着
外は凄まじい大雨と吹き荒れる風。建国記念舞踏会が開催されている王宮の大広間は、天候の荒れ模様とは対照的に、絢爛豪華な熱気に包まれていた。
デイジーは、生きた心地がしなかった。
今夜の彼女のエスコート役は、プラチナブロンドの髪を華やかに整え、隙のない夜会服を纏った、社交界きっての人気者――ライアンだからである。
「デイジー嬢、顔色が悪いね。緊張しているのかい?」
「は、はい……。ライアン様とお隣で歩くなんて、粗相があったらと思うと……」
「ふふ、可愛いね。君がどんな粗相をしようと、私がすべて受け止めるよ」
ライアンは甘く目を細め、デイジーの細い手首を愛おしそうになぞった。
前回の仕立屋での事件以降、ライアンの密着度と甘い雰囲気は留まることを知らず、デイジーの心臓はすでに限界を迎えていた。
(だ、ダメよデイジー! 今夜こそ絶対に何事もなく静かに過ごして、ライアン様にご迷惑をおかけしないのよ……!)
デイジーが心の中で固く誓った――まさにその時である。
ピカッ……ゴガガガガァンッ!!!!
ガラス窓を割らんばかりの凄まじい雷鳴が、大ホール全体を激しく揺らした。一時的に王宮の灯りが点滅し、ホールが一瞬、薄暗い闇に包まれる。
「ひゃあああああっ!?」
雷が大嫌いなデイジーは、反射的に悲鳴を上げて跳ね上がった。
そして、お約束の完璧すぎる『間の悪さ』を発揮し、ドレスの裾を自ら踏みつけて豪快に体勢を崩したのだ。
倒れた先は――当然のごとく、目の前にいたライアンの胸の中である。
ドスンッ!
「きゃっ……ご、ごめんなさいライアン様――」
慌てて離れようと身体を引き戻そうとしたデイジー。
しかし、運命の悪戯はここで終わらなかった。
チリリッ……カチャッ!
デイジーのドレスの胸元にあしらわれていた細かな銀糸のレースと真珠の飾りが、ライアンの上着の胸元に付いていた金細工の飾りボタンに引っかかってしまった。
「え……? あ、あれ……!? 離れない……!?」
「おや……」
デイジーが慌てて離れようとするたび、真珠の飾りがボタンに引っかかり、かえって絡みがひどくなっていく。
結果として、デイジーの顔がライアンの胸板にピタリと押し付けられた状態のまま、二人は『超至近距離』での密着を余儀なくされてしまったのである。
「う、うソでしょ……!? ライアン様、解けませんわ!」
「困ったね……。これでは一歩も離れられない」
口では困ったと言いつつ、ライアンの口元は完璧な笑みを浮かべていた。
彼はごく自然な動作で、逃げようと身もだえるデイジーの腰に回した手に力を込め、より深く自分の身体へと引き寄せたのだ。
(ち、近すぎる! ライアン様の体温と、甘い香りが身体中に……っ!)
デイジーが真っ赤になってパニックを起こしていた――まさにその瞬間。
吹き抜けの二階バルコニーの暗がりから、先日の刺客が、無音の吹き矢を構えていた。
狙うは、公爵家の陰謀を次々と暴いてきた『間の悪い令嬢』デイジーの首筋である。
シュッ……!
放たれた毒針が、デイジーの首筋へまっすぐに飛来した。
しかし――。
まさにその瞬間、密着した体勢から逃れようとデイジーがライアンの胸の中で「ううぅ……!」と不意に身を捩り、ライアンが彼女の頭を抱え込むように位置を微調整したのだ。
バシッ!
毒針はデイジーの首筋を逸れ、二人のすぐ横にある柱へ突き刺さった。
(なっ……!? 狙撃が逸れただと!?)
刺客は焦り、二発目、三発目の毒針を連続で放った。
シュッ! シュッ!
だが、雷に怯えてライアンの胸に顔を埋めてバタバタと暴れるデイジーと、彼女が倒れないよう完璧な体勢で抱き留め、不意に向きを変えるライアン。
毒針の軌道を察したライアンが、デイジーを抱えたままわずかに身体の向きを変えた。
二人の絶妙すぎる『密着の動き』によって、放たれた毒針はすべて柱に刺さり、完全に無効化されたのである。
(バカな……! 二人がぴったりと密着して動くせいで、隙間が一切ない……!?)
狙撃の手応えがないことに焦った刺客は二階の暗がりで足を滑らせ、近くに飾られていた大きな壺を倒してしまった。
ガシャンッ!!
「……そこか!」
ライアンのアイスブルーの瞳が、一瞬で氷のように冷たく光った。
彼はデイジーを抱きしめたまま、警備にあたっていた近衛騎士へ視線だけで合図を送る。二階の暗闇へ近衛騎士が走り、刺客は悲鳴を上げる暇もなく取り押さえられた。
◇
「ふぅ……間一髪でしたね、ライアン様」
刺客が連行されたのを確認すると、侍従のルイスがライアンのもとへ駆け寄った。
その声に我に返ったデイジーが、ライアンの胸元から顔を上げる。
「……ライアン様、この体勢は少々目立ちすぎます。周囲の貴族たちがざわついておりますわ」
見れば、大ホールの貴族たちが、
「まあ……ヴァンサン公爵令息様が、ロメオ伯爵令嬢をあんなに強く抱きしめて……」
「まあ……ずいぶん親密なのね……」
と、ひそひそと噂話を始めていた。
デイジーは恥ずかしさのあまり、ライアンの胸に顔を埋めたまま「もうおしまいだわ……穴があったら入りたい……」と小さく震えていた。
しかし、ライアンの唇には、計算通りと言わんばかりの危険で甘い笑みが浮かんでいた。
(……良い機会だ。彼女を狙う害虫どもに、明確な牽制を仕掛けるとしよう)
ライアンは絡み合った装飾を外そうとせず、むしろ誇らしげにデイジーの細い腰をしっかりと抱き抱えると、周囲の貴族たちに向かって堂々と声を響かせた。
「皆様、驚かせてしまって申し訳ない。……可憐な私のパートナーが、雷に怯えて私から離れてくれないのだ」
「「「まあ……っ!」」」
会場に黄色い悲鳴と歓声が上がった。
ライアンは真っ赤になっているデイジーの髪に優しく口づけを落とすと、アイスブルーの瞳に強い独占欲と威圧感を宿し、ホール全体を見渡した。
「今夜、皆様の前で宣言しておこう。……デイジー・ロメオ伯爵令嬢は、私の大切な人であり、私が婚約者候補として望んでいる令嬢だ。……彼女に危害を加えようとする者は、このヴァンサン公爵家が全力をもって叩き潰す」
静まり返る大ホール。
それは、影からデイジーを狙っていたローゼンベルク公爵派閥に対する、完璧で絶対的な『宣戦布告』であった。
「ひえええええっ……!? こ、婚約者候補ーーー!?」
ライアンの胸の中で、デイジーの悲鳴が小さく虚しく響き渡った。
(なんで……!? 私、ただ雷に驚いて服の飾りが絡まっただけなのに、どうして社交界全体に婚約者候補だと宣言されちゃってるのーーー!?)
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