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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第8章 誕生日会・前編

誕生日の朝。


「アネクシア様」


「起きてる」


「まだ何も申し上げておりません」


 目を開けると、いつものようにエマが立っていた。


 カーテンの向こうから朝日が差し込んでいる。


 普段と変わらない朝だった。


 ただし、一つだけ違う。


「今日は逃げないよ」


「まだ何も申し上げておりません」


「絶対それ言おうとしてたでしょ」


「さて、なんのことでございましょう」


 しれっとした顔で、エマがカーテンを開けた。


 今日はアネクシアの誕生日だ。


 去年は、朝から十五着のドレスを持ち込まれた。


 だから逃げた。


 今年は逃げないと約束している。


 ――たぶん。


「それで、今年は何着?」


「一着でございます」


「一着?」


 思わず聞き返した。


「本当に?」


「はい」


「十五着の中から一着選べ、とかじゃなくて?」


「ございません」


「着替えたあとに二着目が出てきたりは?」


「いたしません」


「お姉様、成長した……」


「私もそう思います」


 エマが深く頷いた。


 去年の惨劇を知る者同士、妙な連帯感が生まれている。


「もっとも」


 エマが続けた。


「その一着をお選びになるまで、三日ほど悩んでおられましたが」


「やっぱり成長してない」


「候補は二十三着ございました」


「増えてるじゃん!」


 そのとき、扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたのは、一人の侍女だった。


 落ち着いた雰囲気の女性で、腕には丁寧に畳まれた衣装を抱えている。


「アネクシア殿下、お誕生日おめでとうございます」


「ありがとう」


「セリシア様より、本日の衣装をお預かりしております」


 エマが受け取る。


「ありがとうございます、マリア」


「よろしくお願いいたします」


 マリア。


 セリシア付きの侍女だ。


 セリシアが聖女として外へ出るときも、よく付き添っている。


「マリア」


「はい」


「二十三着って本当?」


 一瞬だけ、マリアの視線がエマへ向いた。


「……エマ」


「私は事実を申し上げただけです」


「お姉様、三日も悩んだの?」


「正確には二日と半日ほどでございます」


「ほぼ三日じゃん」


「最後の半日は、二着まで絞られておりましたので」


「そこ重要?」


 マリアは少し考えてから、


「セリシア様にとっては」


「そっか……」


 アネクシアはセリシアの努力に免じて、それ以上追及しないことにした。


 ◇


 朝食を終えたあと、アネクシアは二人がかりで着替えさせられた。


 白を基調にしたドレス。


 金糸が少しだけ使われているけれど、去年ほどひらひらしていない。


 ちゃんと歩ける。


 ちゃんと座れる。


 走ろうと思えば、たぶん走れる。


「いいじゃん」


「アネクシア様」


「走らないよ」


「まだ何も申し上げておりません」


 最近、エマはこれを気に入っている気がする。


「よくお似合いです」


 マリアが微笑んだ。


「セリシア様がご覧になれば、お喜びになるでしょう」


「お姉様が選んだんだから、お姉様が喜ぶのはおかしくない?」


「それもそうですね」


 マリアが普通に納得した。


 この人、セリシアより話が早いかもしれない。


「では、そろそろ参りましょう」


「もうみんな来てる?」


「準備中でございます」


「見に行っちゃ駄目?」


「駄目です」


「なんで?」


「誕生日の主役が準備を手伝い始めると、皆が困りますので」


「見るだけ」


「アネクシア様の『見るだけ』を、私は信用しておりません」


「ひどい」


「去年の実績でございます」


 実績と言われると弱い。


 仕方なく、アネクシアはエマに連れられて廊下を歩いた。


 途中、見慣れた衛兵と目が合った。


「お誕生日おめでとうございます、殿下」


「ありがとう」


 少し歩く。


 別の侍女が頭を下げた。


「おめでとうございます、アネクシア様」


「ありがとう」


 また少し歩く。


 今度は、料理を運んでいた使用人たちが立ち止まった。


「殿下、お誕生日おめでとうございます」


「ありがとう。……それ、今日の?」


「はい」


 大きな皿から、いい匂いがしている。


「一個だけ――」


「アネクシア様」


「見るだけ」


「今、手を伸ばされました」


「気のせい」


 笑い声が起こった。


 アネクシアは少しだけ頬を膨らませて歩き出す。


 去年も、こんなだっただろうか。


 たぶん、そうだった。


 でも去年より、知っている顔が増えた気がする。


 向こうも、アネクシアを知っている。


 それがなんとなく嬉しかった。


 ◇


「アネクシア!」


 控えの間へ入った瞬間、セリシアが飛んできた。


「お誕生日おめでとう!」


「ぐえ」


「セリシア様」


 マリアが静かに声をかける。


「ドレスが崩れます」


「……そうだったわ」


 セリシアが名残惜しそうに離れた。


「どう? そのドレス」


「動きやすい」


「そこ?」


「大事だよ」


「可愛いでしょう?」


「それはお姉様が決めることじゃないと思う」


「可愛いわ」


「聞いてない」


「可愛いです」


「マリアまで」


 助けを求めてエマを見る。


「よくお似合いでございます」


「裏切られた」


「事実でございます」


 そこへ、もう一人。


「朝から賑やかね」


「レティシアお姉様!」


 レティシアが入ってきた。


 その後ろには、彼女付きの侍女がいる。


「お誕生日おめでとう、アネクシア」


「ありがとう!」


「今年は逃げなかったのね」


「まだ始まってないから」


「逃げる予定があるの?」


「ないよ!」


「たぶん、が抜けましたね」


 エマが言った。


「エマ」


「はい」


「今日は私の味方じゃないの?」


「いつでもアネクシア様の味方でございます」


「絶対嘘」


 レティシアの後ろで、侍女が小さく笑った。


「リディア」


「申し訳ございません、レティシア様」


「いいのよ。今日はそういう日でしょう」


 リディア。


 レティシア付きの侍女だ。


 これで部屋の中には、皇女が三人。


 侍女も三人。


 なんだか妙に揃っている。


「そうだ、アネクシア」


 レティシアがリディアから小さな包みを受け取った。


「これ、私から」


「なに?」


 包みを開くと、中から出てきたのは小さな革の鞄だった。


 子供の身体でも持ちやすい大きさで、飾りは控えめだ。


「私に?」


「ええ。城下町へ行くときにも使えるでしょう?」


「使う!」


「気に入った?」


「うん。ありがとう、レティシアお姉様!」


 レティシアが少しだけ得意そうに笑った。


「ねえ」


 アネクシアはエマたちを順番に見た。


「三人とも、いつも一緒にいるの?」


「いいえ」


 エマが答える。


「それぞれお仕えする方が違いますので」


「仲悪い?」


「どうしてそうなるのです?」


「だって、お姉様たちは仲いいよ」


 三人の侍女が顔を見合わせた。


 最初に答えたのはマリアだった。


「私どもも、仲が悪いわけではございませんよ」


「じゃあ仲いい?」


「……普通でございます」


「普通ってなに?」


「アネクシア」


 レティシアが笑った。


「その質問を始めると、誕生日会が終わるわよ」


「そんなに?」


「そんなにです」


 リディアまで頷いた。


 失礼な。


 ◇


 最初にやってきた客は、レオンハルトだった。


「誕生日おめでとう、アネクシア殿下」


「ありがとう!」


 アネクシアは彼の後ろを見る。


「今日は荷物運んでないね」


「王城の誕生日会に支援物資を持ってくるほど、グランヴェルは困っていない」


「よかった」


「そこは心配しなくていい」


 レオンハルトが笑う。


「これ、プレゼント」


 小さな包みを渡された。


「開けていい?」


「もちろん」


 中に入っていたのは、小さな木箱だった。


 蓋を開ける。


 色とりどりの焼き菓子。


「これ!」


「グランヴェルの菓子だ」


「この前言ってた美味しいやつ?」


「その一つだな」


「食べていい?」


「今?」


「今」


「もうすぐ宴なのだけれど」


 セリシアが困った顔をした。


「一個だけ」


「一個だけよ?」


「うん!」


 レオンハルトが笑いながら箱を差し出す。


 アネクシアは一つ取って口に入れた。


「……おいしい」


「それはよかった」


「グランヴェル、いい国だね」


「判断が早すぎないか?」


「食べ物がおいしい国はいい国」


「政治家には向いていない評価ね」


 レティシアが呆れた。


「じゃあ、お姉様は?」


「制度と統治を見るわ」


「私は食べ物」


「知ってる」


 ◇


 次にやってきたのは、三人だった。


「アネクシア殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 先頭で綺麗に礼をしたのはユリウス。


「誕生日おめでとうございます、殿下」


 その横でクラウスも礼をする。


「おめでとう、アネクシア殿下」


 最後にテオドール。


「来た!」


「来ましたよ」


 テオドールが笑った。


「三人ともありがとう!」


「まずはこちらを」


 ユリウスから渡されたのは、綺麗な箱だった。


 中には細工の入った髪飾り。


「綺麗」


「職人に作らせたものです」


「ありがとう、ユリウス!」


「お気に召したのであれば何よりです」


 いつも真面目だ。


 次はクラウス。


 予想通り、本だった。


「やっぱり本だ」


「……お気に召しませんでしたか?」


「ううん。クラウスっぽい」


「それはどういう意味でしょう」


 表紙を見る。


 子供向けに書かれた、この国の制度についての本だった。


 絵も多い。


「これなら読めそう」


「難しい箇所があれば、説明いたします」


「本当?」


「はい」


「全部聞いていい?」


 クラウスが止まった。


「……全部、ですか」


「うん」


「クラウス」


 テオドールが肩を叩いた。


「頑張れ」


「他人事ですね」


「俺の贈り物は説明いらないからな」


 そう言って、テオドールが大きめの箱を差し出した。


「はい」


「なにこれ?」


「開けてみて」


 蓋を取る。


「――これなに!?」


 中には、木で作られた盤と、たくさんの小さな駒。


「遊び道具。駒を動かして相手の陣地を取る」


「どうやるの?」


「あとで教える」


「やる!」


「ほらな」


 テオドールが得意げにクラウスを見る。


「……まだ私の本を開いてすらいませんが」


「勝った」


「何と競っているのです」


 ユリウスが真顔で言った。


「誕生日プレゼント」


「競うものではない」


「でも勝った」


「テオドール」


「はい」


「黙れ」


「兄上が怖い」


 アネクシアは笑った。


 ユリウスも、ほんの少しだけ口元を緩めていた。


 ◇


 人が増えた。


 声も増えた。


 テーブルの上には料理が並び始めている。


 エマたちは忙しそうに動いていた。


 マリアがセリシアの服を直し、リディアがレティシアに何かを確認している。


 レオンハルトとユリウスが話している横で、テオドールがアネクシアに遊び方を説明し始め、クラウスが「宴のあとにしてください」と止めている。


「アネクシア」


「なに、お姉様?」


「楽しそうね」


「うん」


 セリシアが笑った。


「よかった」


 それだけだった。


 アネクシアはもう一度、部屋を見回した。


 父は、まだ来ていない。


 でも、姉が二人いる。


 レオンハルトもいる。


 ユリウスも。


 クラウスも。


 テオドールも。


 エマも、マリアも、リディアもいる。


 去年より、少し多い。


 昨日、自分で数えた通りだ。


 けれど、実際にみんなが同じ部屋にいると、思っていたよりずっと賑やかだった。


「来年はもっと増えるかな」


 ぽつりと言う。


「何が?」


 セリシアが聞いた。


「誕生日に呼びたい人」


「増えるわよ」


 セリシアは、当然のように答えた。


「アネクシアは、これからもっとたくさんの人と出会うもの」


「そっか」


「ええ」


 だったら来年は、もう少し大きな部屋が必要になるかもしれない。


 そんなことを考えていると、扉の向こうが騒がしくなった。


 エマたちが姿勢を正す。


 ユリウスたちも立ち上がった。


 そして扉が開く。


「随分と賑やかになったな」


「お父様!」


 皇帝である父が、部屋へ入ってきた。


 今日はいつもの執務用の服ではない。


 アネクシアを見ると、少しだけ表情を緩めた。


「誕生日おめでとう、アネクシア」


「ありがとう、お父様!」


「それにしても」


 父は部屋を見回した。


「随分と人を集めたものだ」


「私が呼んだ」


「知っている」


「なんで?」


「ここは私の城だからな」


「あ、そっか」


 みんなが笑った。


「では」


 父が席へ向かう。


「主役も待ちきれないようだ。始めるとしよう」


「待って」


「どうした?」


「レオンハルトのお菓子、一個食べた」


「……そうか」


「言わなくてよろしいのですよ、アネクシア様」


 エマが小声で言った。


「でも、お父様の城だから知ってるかもしれない」


「そこまで把握していたら怖いわ」


 レティシアが笑う。


 父は額を押さえた。


「アネクシア」


「なに?」


「今日は好きなだけ食べなさい」


「ほんと!?」


「ただし、腹を壊さない程度にな」


「うん!」


 長いテーブルに、みんなが着く。


 料理の匂い。


 重なる話し声。


 笑い声。


 そして、アネクシアの前にはまだ火の灯されていない、小さな蝋燭の並んだ菓子が置かれていた。


 去年より、人が増えた。


 知っている顔も増えた。


 名前を呼べる人も増えた。


 だから今年の誕生日は、去年より少しだけ賑やかだ。


 アネクシアは、それが嬉しかった。


 ――誕生日会は、まだ始まったばかりだった。

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