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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第7章 もうすぐ誕生日

朝。


 アネクシアが目を覚ますと、見慣れた顔がすぐそばにあった。


「おはようございます、アネクシア様」


「……おはよう、エマ」


 侍女のエマは、いつものようにカーテンを開けた。


 朝の光が部屋へ差し込む。


 眩しい。


 アネクシアは毛布を頭まで引き上げた。


「起きてくださいませ」


「起きた」


「では、こちらを」


 毛布が剥がされた。


「横暴」


「侍女でございますので」


「侍女って横暴なの?」


「アネクシア様付きの侍女には必要な資質かと」


「なんで?」


「そういうところです」


 よく分からない。


 エマはベッドから降りたアネクシアの寝間着を脱がせようとして――その手を止めた。


「自分でできる」


「存じております」


「じゃあなんで?」


「つい」


「子供じゃないんだから」


 エマが黙った。


「……何?」


「いえ」


「言いたいことあるでしょ」


「ございません」


「ある」


 エマは誤魔化すように、用意していた服を広げた。


「もうすぐお誕生日ですね」


「話そらした」


「今年は大人しくしてくださいね」


 今度はアネクシアが黙った。


「なんで?」


「去年が大変だったからです」


「去年?」


「……まさか」


 エマがこちらを見る。


「お忘れなのですか?」


「何かしたっけ?」


 エマは深く息を吸った。


「去年のお誕生日、セリシア様がお持ちになった衣装から逃げるため、ご自身のお誕生日会から姿を消されました」


「あ」


「思い出されましたか」


「ちょっと」


「侍女六名、衛兵八名、使用人十一名で捜索いたしました」


「そんなに?」


「皇女殿下が消えたのです。当然です」


「でも王城の中にいたよ?」


「それが分からなかったから捜したのです」


 正論だった。


「結局、書庫の隅で本を読んでいらっしゃいました」


「静かだったから」


「お誕生日会から逃げた方が静かな場所を求めないでくださいませ」


「今年は逃げない」


「本当ですか?」


「たぶん」


「アネクシア様」


「努力します」


 エマはため息をついた。


 ◇


 朝食のあと、アネクシアは書庫へ向かった。


 去年の逃亡先である。


 入口に立っていた衛兵が、こちらを見る。


「殿下」


「今日は逃げてないよ」


「何も申し上げておりません」


「顔に書いてある」


「気のせいでございます」


 最近、周囲の人間がエマに似てきた気がする。


 よくない傾向だ。


 アネクシアは書庫へ入り、いつもの棚へ向かった。


 以前は見上げるだけだった棚。


 背伸びをして、手を伸ばす。


 指先が本の背に触れた。


「……届いた」


 少し嬉しい。


 もう一度伸びる。


 今度は本を引き抜くことができた。


「取れた」


「おめでとうございます」


 後ろからエマの声。


 アネクシアは振り返った。


「見てた?」


「はい」


「いつから?」


「背伸びを始めたあたりから」


「取ってくれてもよかったのに」


「ご自身でできると仰ったのは、どなたでしたでしょう」


「…………」


 正論を覚えた侍女は厄介だった。


 アネクシアは本を抱え、いつもの席へ向かう。


 机も、少し低く感じるようになった。


 前は椅子に座るだけでも苦労した。


 文字を読むのも遅かった。


 知らない単語が出るたびに教師やセリシアに聞いていた。


 今では一人で読める本も増えた。


 知らないことは、まだ山ほどあるけれど。


 今日選んだのは、グランヴェル王国について書かれた本だった。


 先日、セリシアの仕事について行ってから何冊か読んでいる。


 姉がいつか暮らす国。


 それだけの理由で読み始めた。


「近いんだよね」


「グランヴェルですか?」


「うん」


「ええ。王都同士でも、そう遠くはございません」


 ページをめくる。


 街道。


 交易。


 税。


 領地。


 難しい言葉も増えてきた。


「エマ」


「はい」


「なんでうちの国はグランヴェルの属国なの?」


「…………」


 返事がない。


 アネクシアは顔を上げた。


「エマ?」


「私に聞かないでくださいませ」


「知らない?」


「説明し始めれば、歴史のお勉強になります」


「じゃあ教えて」


「教師にお尋ねください」


「エマの意見が聞きたい」


「なぜです?」


「人によって答え違うから」


 エマが少しだけ困った顔をした。


「……そういうことを、どこで覚えてくるのでしょう」


「本」


「本を取り上げた方がよろしいでしょうか」


「横暴」


「冗談です」


 たぶん。


 アネクシアは再び本を見る。


「じゃあ、なんで国境があるの?」


「教師に」


「こんなに近いのに?」


「教師に」


「税も違うよ?」


「教師に」


「人は普通に行き来してるのに?」


「先生をお呼びいたしましょうか?」


「エマは?」


「私は侍女です」


「何でも知ってると思ってた」


 エマが止まった。


「……それは」


 少し嬉しそうだった。


「嬉しい?」


「いいえ」


「顔に書いてある」


「気のせいでございます」


 やっぱり嬉しいらしい。


 ◇


 昼からは魔法の授業だった。


 アネクシアは庭の一角に置かれた的へ手を向ける。


「もう一度お願いします」


 教師に言われる。


「はい」


 魔力を集める。


 以前より、その感覚が分かるようになってきた。


 体の中にある何かを、指先へ。


 小さな光が生まれる。


 放つ。


 光は真っ直ぐ飛んで――的の少し横を通り過ぎた。


「…………」


「威力は十分です」


「当たってない」


「ですから、次は制御を」


「もう一回」


「少し休憩を」


「もう一回」


 教師がエマを見る。


 エマが首を横に振る。


「始まると聞きません」


「聞こえてる」


「聞こえるように申し上げました」


 もう一度。


 今度は的の端に当たった。


「当たった」


「端ですが」


「当たった」


「はい。お見事です」


 少しだけ胸を張る。


 魔法は面白かった。


 前の世界にはなかった。


 だから、できるようになるたびに嬉しい。


 ただ。


「先生」


「はい」


「私、魔力多いんだよね?」


 教師の動きが、ほんの少し止まった。


「……同年代の方と比較すれば、多い方ですね」


「どれくらい?」


「それは成長してみなければ分かりません」


「セリシアお姉様より?」


「聖女様と比較するものではございません」


「なんで?」


「適性も性質も異なりますので」


「じゃあ――」


「本日の授業はここまでにいたしましょう」


「まだ時間あるよ?」


「ここまでです」


 逃げられた。


「エマ」


「私に聞かないでくださいませ」


「まだ何も聞いてない」


「先回りいたしました」


 侍女が成長している。


 あまり嬉しくない。


 ◇


 夕方。


 部屋へ戻ると、先客がいた。


「おかえりなさい、アネクシア」


 セリシア。


 その隣にはレティシア。


「二人ともどうしたの?」


「妹に会いに来るのに理由が必要?」


 セリシアが両腕を広げる。


 嫌な予感がして、一歩下がった。


「抱きつかないで」


「まだ何もしてないでしょう?」


「する顔してる」


「そんな顔ある?」


「ありますね」


 レティシアが即答した。


「レティシアまで!」


 その隙にアネクシアはレティシアの隣へ避難した。


「こっち」


「はいはい」


 レティシアが笑う。


「それで、今日は何?」


「もうすぐお誕生日でしょう?」


「あ」


 朝も聞いた。


「今年は何が欲しい?」


 セリシアが聞く。


「去年みたいに勝手に服を用意する前に聞いておこうと思って」


「去年の服、いっぱいあった」


「全部似合うと思ったのよ」


「十五着」


「選べなかったの」


「だから逃げた」


「そういうことだったの!?」


 知らなかったらしい。


 レティシアが肩を震わせている。


「笑わないで、レティシア」


「ごめんなさい。でも、十五着は逃げます」


「あなたまでアネクシアの味方をするの?」


「私は常に合理的な側につきます」


「ヴァレンティス家みたいなこと言わないで」


「ヴァレンティス家ですから」


 セリシアが言葉に詰まった。


 アネクシアは少し考える。


「今年は服いらない」


「一着くらい――」


「いらない」


「……はい」


 珍しく姉が素直に引いた。


「本は?」


 レティシアが聞く。


「欲しい」


「では本にしましょうか」


「でも」


「でも?」


「別に、プレゼントなくてもいい」


 二人がこちらを見る。


「どうしたの?」


「欲しいものがない?」


「あるけど」


 アネクシアは考えながら答えた。


「みんなでご飯食べたい」


 セリシアが瞬きをする。


「それだけ?」


「うん」


「もっと欲しいものを言っていいのよ?」


 レティシアも少し心配そうだ。


「じゃあ、美味しいご飯」


「そこは譲らないのね」


「重要」


 セリシアとレティシアが顔を見合わせる。


 そして二人とも笑った。


「では、お父様にも伝えておきましょう」


「レオンハルトも呼ぶ?」


「呼びたい?」


「うん。グランヴェルの話聞きたい」


 セリシアの顔が少しだけ不満そうになる。


「私の婚約者なのだけれど」


「知ってる」


「アネクシア、最近レオンハルトの話ばかりしてない?」


「グランヴェルのこと聞きたいだけ」


「本当に?」


「お姉様」


 レティシアが呆れた声を出した。


「子供相手に何を張り合っているのですか」


「だって」


「セリシアお姉様も来ればいいじゃん」


「行くわ」


 即答だった。


「絶対に行くわ」


「お姉様の妹の誕生日ですよ」


「もちろんレティシアも来るでしょう?」


「最初からそのつもりです」


 アネクシアは二人を見る。


 少し考えて、もう一つ思い出した。


「クロイツェルの三人も呼んでいい?」


「三人?」


「ユリウスとクラウスとテオドール」


 セリシアが少し意外そうな顔をする。


「もちろん構わないけれど。どうして?」


「この前、また遊びに来てって言ったから」


「それは『遊びに』ではなく、クロイツェル家のお仕事で来ていたのでは?」


 レティシアが笑う。


「でもクラウス、質問に答えてくれた」


「それで気に入ったの?」


「うん」


「クラウス様も大変ですね」


「なんで?」


「何でもないわ」


「テオドールは面白い」


「ユリウスは?」


「真面目」


「間違ってはいませんね」


 レティシアが頷いた。


「じゃあ三人とも呼ぶ」


「アネクシア」


 セリシアが少し笑う。


「あなたのお誕生日なのだから、あなたが呼びたい人を呼べばいいのよ」


「じゃあ呼ぶ」


「ええ」


 アネクシアは指を折った。


 お父様。


 セリシア。


 レティシア。


 レオンハルト。


 ユリウス。


 クラウス。


 テオドール。


 去年より、少し多い。


「賑やかになりそう」


「あなたが逃げなければね」


「逃げないってば」


 セリシアが疑わしそうに見る。


「エマ」


「はい」


「今年もし逃げたら私にも教えてね」


「もちろんでございます」


「裏切り者」


「侍女でございますので」


「関係ある?」


「ございます」


 たぶん、ない。


 ◇


 夜。


 エマに髪を梳かされながら、アネクシアは鏡を見ていた。


「伸びたね」


「髪ですか?」


「背」


「ああ」


 エマは鏡越しにアネクシアを見る。


「伸びましたね」


「去年より?」


「もちろんです」


「どれくらい?」


「こうして毎日見ていますと、案外分からないものですが」


 エマの手が、アネクシアの頭に触れる。


「最初にお世話を始めた頃は、本当に小さかったですから」


「今も小さい?」


「まだまだ」


「もうすぐ誕生日なのに」


「お誕生日を迎えたからといって、突然大人にはなりませんよ」


「知ってる」


「でしたら、もう少し甘えてくださってもよろしいのですが」


「なんで?」


「……何でもございません」


 エマはブラシを置いた。


「さあ、お休みください」


「うん」


 ベッドへ入る。


 灯りが一つ消される。


「エマ」


「はい」


「来年は、もっと大きくなってるかな」


「きっと」


「再来年は?」


「もっと大きくなっていらっしゃいます」


「じゃあ、その次は?」


 エマが笑った。


「毎年お尋ねになるおつもりですか?」


「だめ?」


「いいえ」


 最後の灯りを消す前に、エマが振り返った。


「毎年、お答えいたします」


「じゃあ約束」


「はい。お約束いたします」


 扉が静かに閉じる。


 もうすぐ、また一つ歳を重ねる。


 去年より少し背が伸びた。


 読める本が増えた。


 魔法も少し使えるようになった。


 知らない国のことも知った。


 知らない人とも出会った。


 そして、誕生日に呼びたいと思う人も増えた。


 それでも、まだ知らないことの方がずっと多い。


 だから明日もきっと、誰かに聞くのだろう。


 なんで、と。


 アネクシアは目を閉じた。


 今年の誕生日は、きっと去年より賑やかになる。


 そんなことを考えながら、眠りについた。

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