第9章 誕生日会・後編
蝋燭に火が灯された。
小さな炎が、ひとつ、ふたつ。
並んだ光を眺めながら、アネクシアは首を傾げた。
「これ、消すの?」
「ええ」
セリシアが頷く。
「全部?」
「全部よ」
「一回で?」
「できる?」
挑発された。
「できる」
「アネクシア様」
後ろからエマの声がした。
「魔法は禁止でございます」
「使わないよ!」
「念のためでございます」
誕生日の蝋燭を消すために魔法を使う皇女がどこにいる。
……ちょっと考えたけど。
「今、考えたでしょう」
「考えてない」
「そういうことにしておきます」
アネクシアは大きく息を吸った。
ふうっ、と吹く。
炎が揺れた。
半分くらい消えた。
「…………」
「…………」
もう一度。
ふうっ。
残った炎が消える。
「二回だったわね」
レティシアが言った。
「一回とは言ってない」
「さっき言ってたじゃない」
「聞き間違い」
「便利な言葉ね」
みんなが笑った。
拍手が起こる。
別に何かを成し遂げたわけでもないのに、ちょっと嬉しい。
「では、切り分けましょうか」
「大きいところ!」
「アネクシア」
父だった。
「なんで?」
「主役だからといって、全部が許されるわけではない」
「でもお父様、好きなだけ食べていいって言った」
「……言ったな」
「陛下」
ユリウスが真面目な顔で言った。
「発言には責任が伴います」
「ユリウス」
「はい」
「今はクロイツェル家の仕事をしなくていい」
「失礼いたしました」
テオドールが吹き出した。
「兄上、怒られてる」
「お前は黙っていろ」
結局、アネクシアの分は少しだけ大きくなった。
勝った。
◇
「おいしい!」
「アネクシア、口についてるわよ」
「ん」
セリシアが布でアネクシアの口元を拭く。
「自分でできるよ」
「知ってるわ」
「じゃあなんでやるの?」
「私がやりたいから」
強い。
理由として強すぎる。
「セリシア」
向かいに座っていたレオンハルトが苦笑した。
「そろそろ自分でやらせてあげたらどうだ」
「嫌よ」
「即答か」
「だって妹よ?」
「知っている」
「可愛いのよ?」
「それも知っている」
「なら分かるでしょう?」
「分からないから言っているんだ」
その横でレティシアが静かに食事を続けている。
「レティシアお姉様」
「なに?」
「助けて」
「無理よ」
「なんで?」
「私も昔やられたもの」
「お姉様にも?」
「ええ」
「なら止めてよ」
「自分だけ逃げるなんて不公平でしょう?」
「ひどい」
「姉妹とはそういうものよ」
「違うと思う」
父を見る。
目が合った。
父は静かに視線を逸らした。
「お父様!」
「私は何も見ていない」
「皇帝が逃げた!」
「今日は父親だ」
「父親も逃げた!」
また笑い声が起きた。
誕生日とは、こんなに笑われる日だっただろうか。
まあ、楽しいからいい。
◇
食事が一段落したところで、テオドールが待ってましたとばかりに立ち上がった。
「よし」
「なに?」
「やろう」
持ってきてもらったのは、さっきの盤だった。
正方形の盤に、いくつもの線が引かれている。
駒は二種類。
「ここが自分の陣地」
「うん」
「交互に一個ずつ動かす」
「うん」
「相手の駒を挟んだら取れる」
「なるほど」
「最終的に多く取った方が勝ち」
「分かった」
「……本当に?」
「たぶん」
「その返事、今日何回目?」
「覚えてない」
向かいに座る。
「じゃあ、やろう」
「待ちなさい」
クラウスだった。
「説明が足りません」
「遊べば分かるって」
「分からないから規則があるのです」
「遊びだぞ?」
「遊びにも規則は必要です」
「クラウスらしいね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
結局、クラウスから追加で説明を受けた。
思っていたより簡単だ。
でも。
「ここ」
「そこ?」
「うん」
駒を置く。
テオドールが動かす。
アネクシアは次を置く。
また動く。
「……あ」
「取った」
「ちょっと待って」
「待たない」
「初めてだぞ?」
「勝負だから」
「さっきまで説明聞いてたよな?」
「聞いたから分かった」
数手後。
「…………」
「また取った」
「クラウス」
「なんです?」
「お前、何か教えた?」
「規則しか説明していません」
「ユリウス兄上」
「私は見ていただけだ」
「レティシア殿下」
「私を巻き込まないで」
「セリシア殿下」
「アネクシア頑張って!」
「駄目だこの姉」
「なんで!?」
セリシアが一番傷ついた顔をした。
盤を見る。
アネクシアの駒の方が多い。
「勝てそう」
「まだだ」
テオドールが真剣になった。
さっきまで笑っていたのに。
「ここ」
「じゃあ、ここ」
「……そこ置く?」
「駄目?」
「いや」
少し考える。
「こっち」
「あ」
三つ取られた。
「やられた」
「ふっ」
「もう一回」
「まだ終わってない」
「終わったらもう一回」
「いいぞ」
「アネクシア」
レティシアが呆れたように言った。
「気に入ったの?」
「うん!」
テオドールがクラウスを見る。
「聞いた?」
「聞こえています」
「気に入ったって」
「そうですね」
「俺の贈り物」
「分かっています」
「勝ったな」
「ですから何と競っているのですか」
ユリウスがため息をついた。
「テオドール」
「はい?」
「いい加減にしろ」
「兄上も本より玩具の方がよかった?」
「なぜそうなる」
「じゃあ今度、兄上にも買ってくる」
「いらん」
「クラウスは?」
「いりません」
「二人とも遠慮するなって」
「していない」
「していません」
二人の声が綺麗に重なった。
アネクシアは笑いすぎて、次の手を間違えた。
「あ」
「取った」
「今のなし」
「なしじゃない」
「笑わせたのテオドールじゃん」
「盤の上では関係ない」
「卑怯!」
「勝負の世界は厳しいんだ」
「クラウス」
「なんです?」
「こういうの法律で禁止できない?」
「できません」
「役に立たない」
「なぜ私が責められるのです?」
◇
二回目は負けた。
三回目は勝った。
「もう一回」
「休ませてくれ」
「まだ三回だよ?」
「三回も、だ」
「弱い」
「言ったな?」
「もう一回!」
「受けて立つ!」
「二人とも」
エマだった。
「少し休憩なさってください」
「まだできるよ」
「存じております」
「じゃあ」
「テオドール様ができません」
「俺?」
「先ほどから飲み物にも手をつけておられません」
見ると、確かにテオドールの杯はそのままだ。
「……エマ」
「はい」
「よく見てるね」
「侍女でございますので」
出た。
「それ便利だね」
「便利とは?」
「なんでも説明できる」
「そのようなことはございません」
「じゃあ、なんで私が夜中に本読んでるの分かったの?」
「侍女でございますので」
「ほら」
レティシアが笑った。
リディアも口元を押さえている。
マリアに至っては、普通に頷いていた。
「分かります」
「マリアも?」
「セリシア様も似たようなことをなさいますので」
「私?」
「はい」
「何かしら」
「お休みになると仰ったあと、聖務の資料を――」
「マリア」
「はい」
「今日はアネクシアの誕生日よ」
「そうでございますね」
「私の話はやめましょう」
「承知いたしました」
「お姉様も怒られてる」
「怒られてないわ」
「怒られてるよ」
「違うわ」
「レオンハルト」
「怒られているな」
「レオンハルト?」
「なんでもない」
セリシアがじっと彼を見る。
レオンハルトは菓子を食べ始めた。
大人も逃げるんだ。
◇
少し休んでから、今度はみんなで話をした。
グランヴェルのこと。
城下町のこと。
セリシアの聖女のお仕事のこと。
クロイツェル家のこと。
最近読んだ本のこと。
途中から、何の話をしていたのか分からなくなった。
「そういえば」
アネクシアはレオンハルトを見る。
「グランヴェルって、雪降る?」
「降るぞ」
「いっぱい?」
「場所によるな。北へ行けばかなり降る」
「見たい」
「雪ならこの国でも降るでしょう?」
レティシアが言った。
「でもグランヴェルの雪は見たことない」
「雪は雪じゃないの?」
「違うかもしれない」
「何が?」
「分かんない」
「分からないのね」
「だから見に行く」
レオンハルトが笑った。
「なら、冬に来るといい」
「ほんと?」
「ああ」
「お姉様も?」
「もちろんよ」
セリシアが答える。
「レティシアお姉様も」
「私も?」
「三人で行くって約束した」
レティシアが少し目を丸くして、それから笑った。
「そうだったわね」
「レオンハルト、三人でもいい?」
「歓迎するよ」
「やった」
「ただし」
「なに?」
「冬のグランヴェルは寒いぞ」
「どのくらい?」
「鼻が痛くなるくらい」
「やだ」
「行かないのか?」
「行く」
「即答だな」
「美味しいものある?」
「ある」
「絶対行く」
「やっぱり食べ物なのね」
レティシアが笑った。
「何を食べたい?」
レオンハルトに聞かれる。
「知らない」
「では、来るまでに考えておこう」
「全部食べる」
「全部?」
「おすすめ全部」
「それは大変だな」
「レオンハルトならできる」
「ずいぶん信頼されたものだ」
「だって王様の弟でしょ?」
「兄が王だと、食べ物に詳しくなるわけではないぞ」
「じゃあ調べて」
「分かった。調べておこう」
「約束ね」
「ああ、約束だ」
約束が、また一つ増えた。
◇
気づけば、窓から差し込む光が赤くなっていた。
「もう終わり?」
「もう、という時間でもないわよ」
レティシアが言った。
「朝からずっとでしょう?」
「まだ遊べる」
「明日もあるでしょう」
「明日は誕生日じゃない」
「でも私たちはいるわ」
セリシアが言った。
「……明日も?」
「いるわよ」
「レティシアお姉様も?」
「毎日来るわけにはいかないけれど、また来るわ」
「レオンハルトは?」
「私はグランヴェルに帰らないとな」
「そっか」
「だが、また来る」
「三兄弟は?」
「まとめられたな」
テオドールが笑う。
「私は呼ばれれば参ります」
ユリウス。
「質問があれば」
クラウス。
「遊びたくなったら」
テオドール。
「じゃあ、また呼ぶ」
三人がそれぞれ頷いた。
アネクシアは部屋を見る。
朝より少し散らかっている。
空になった皿。
飲み終わった杯。
遊びかけの盤。
開けられた贈り物。
少し疲れた顔。
でも、みんな笑っていた。
「アネクシア」
父が呼んだ。
「今日一日、どうだった?」
「楽しかった!」
「そうか」
「来年もやる」
「それは誕生日だからな」
「またみんな呼んでいい?」
「好きにしなさい」
「もっと増えても?」
「部屋に入る程度にな」
「じゃあ大きい部屋にする」
「そういう意味ではない」
また笑われた。
◇
みんなが帰ったあと。
アネクシアはエマと一緒に、自分の部屋へ戻った。
「疲れた」
「楽しまれておりましたから」
「うん」
髪飾りを外す。
ドレスを脱いで、いつもの寝間着に着替える。
鏡の前に座ると、エマが髪を梳いてくれた。
「ねえ、エマ」
「はい」
「来年も今日みたいになるかな」
「アネクシア様次第ではございませんか?」
「私?」
「来年までに、またお呼びしたい方が増えるかもしれません」
「そっか」
今日だって、去年はいなかった人がいる。
レオンハルト。
ユリウス。
クラウス。
テオドール。
来年には、また誰か増えているかもしれない。
「じゃあ、再来年は?」
「さらに賑やかになるかもしれませんね」
「その次は?」
「さて」
「エマ」
「はい」
「ずっと答えてよ」
鏡の中で、エマが少し笑った。
「昨日、お約束いたしましたでしょう?」
「あ」
そうだった。
毎年、アネクシアがどれだけ大きくなったか答えてくれる。
「じゃあ来年もいるね」
「もちろんでございます」
「再来年も」
「はい」
「その次も」
「はい」
「じゃあ大丈夫」
「何がでございますか?」
「分かんない」
「そうですか」
エマは、それ以上聞かなかった。
髪を梳く音だけが、静かな部屋に続く。
アネクシアは今日のことを思い返した。
セリシアが選んだドレス。
グランヴェルのお菓子。
レティシアにもらった革の鞄。
綺麗な髪飾り。
クラウスの本。
テオドールの盤。
みんなで食べた料理。
たくさん笑ったこと。
冬のグランヴェルへ行く約束。
来年も誕生日を祝うこと。
明日になれば、いつもの日になる。
セリシアは聖女のお仕事へ行く。
レティシアも自分の勉強がある。
父はまた忙しくなる。
レオンハルトはグランヴェルへ帰る。
ユリウスたちも、自分たちの家へ戻る。
アネクシアも本を読んで、魔法を習って、エマに怒られる。
そして一年経ったら、また誕生日が来る。
きっと来年は、今年より少し大きくなっている。
できることも増えている。
知っている人も増えている。
その人たちを呼んで、またみんなでご飯を食べよう。
「エマ」
「はい?」
「今日、楽しかった」
「それは何よりでございます」
「エマも?」
「もちろんです」
「よかった」
アネクシアは笑った。
今年の誕生日は終わった。
明日からは、またいつもの毎日だ。




