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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第10章 侍女たちのお茶会

誕生日会の翌朝。

「アネクシア様」

「起きてる」

「本日はまだ何も申し上げておりません」

「先に言った」

「左様でございますか」

 エマはいつも通りカーテンを開けた。

 昨日が誕生日だったからといって、朝が遅くなるわけではない。

 朝食を食べて。

 本を読んで。

 勉強をして。

 魔法の練習をして。

 たぶん、今日も何度かエマに怒られる。

 誕生日が終われば、いつもの一日だ。

「ねえ、エマ」

「はい」

「昨日の盤、どこ?」

「片付けてございます」

「出して」

「朝食のあとになさってください」

「ちょっとだけ」

「朝食のあとに」

「一回だけ」

「朝食のあとに」

「見るだけ」

「朝食のあとに」

「強い」

「侍女でございますので」

 昨日から、便利な言葉にしか聞こえなくなってきた。

 ◇

「それでは、行ってまいります」

「どこ行くの?」

「昨日お借りしたものの確認と、片付けの手伝いにございます」

「私も行く」

「アネクシア様には午前のお勉強がございます」

「忘れてた」

「私は覚えております」

「さすが侍女」

「お褒めいただき光栄です」

「褒めてない」

「では、行ってまいります」

「エマ」

「はい?」

「早く帰ってきてね」

 エマが少し笑った。

「もちろんでございます」

 扉が閉まる。

 アネクシアは机の上の本を見る。

「……勉強するか」

 昨日クラウスにもらった本が、その隣に置いてある。

 こっちを読みたい。

 でも今読むと、先生に怒られる。

 仕方ない。

 アネクシアは教科書を開いた。

 ◇

 王城の一角。

 主たちが普段使う場所から少し離れたところに、使用人たちのための小さな休憩室がある。

 豪華ではない。

 小さなテーブル。

 椅子が数脚。

 棚。

 湯を沸かすための道具。

 窓辺には、誰が置いたのか小さな花が飾られている。

「珍しいですね」

 エマが言った。

「何がです?」

 向かいに座ったマリアが聞く。

「三人揃うのが、です」

「昨日も揃っていたでしょう」

「昨日は仕事中でございます」

「今日も仕事中よ」

 リディアが言った。

「休憩も仕事のうちです」

「それをレティシア様の前でも言えますか?」

「もちろん」

 リディアは紅茶を一口飲んだ。

「適切な休息は業務効率を向上させます、と」

「ヴァレンティスらしいですね」

「どういう意味です?」

「そのままの意味です」

 マリアが笑う。

 三人とも、それぞれ仕える主人が違う。

 エマは第三皇女アネクシア。

 マリアは第一皇女セリシア。

 リディアは第二皇女レティシア。

 顔を合わせることは多い。

 話すこともある。

 だが、こうして三人だけで座る機会は意外と少なかった。

「それにしても」

 リディアがエマを見る。

「昨日は大変でしたね」

「例年に比べれば平穏でした」

「……あれで?」

「逃亡されませんでしたので」

「昨年は大変でしたものね」

 マリアが頷いた。

「私は、ご自身で捜しに行こうとなさるセリシア様をお止めするので手一杯でしたが」

「ああ」

 エマとリディアが同時に納得した。

「何です、その反応は」

「いえ」

「別に」

「気になります」

 エマは紅茶を置いた。

「侍女六名、衛兵八名、使用人十一名で捜索いたしました」

「そんなに?」

「皇女殿下が消えたのです。当然です」

「原因はセリシア様がお持ちになった十五着のドレスです」

 マリアが黙った。

「……十五着でしたか?」

「はい」

「十七着では?」

「増やさないでください」

「私の記憶では十七着だったような」

「アネクシア様は十五着と認識されています」

「では、十五着ということにしておきましょう」

「残り二着はどこから来たんです?」

「さて」

「マリア」

「昔のことでございますので」

「去年です」

 リディアが耐えきれずに笑った。

「セリシア様も大概ですね」

「今年は一着に絞られました」

「成長しましたね」

「候補は二十三着でした」

「悪化してるじゃないですか」

 エマが即答した。

 マリアは静かに紅茶を飲んだ。

「最終的には一着です」

「過程の話をしております」

「アネクシア様には内密に」

「もう知ってます」

「エマ」

「事実を申し上げただけです」

「だから朝から聞かれたのですね……」

 三人が顔を見合わせる。

 そして笑った。

 ◇

「失礼いたします」

 扉が開いた。

 入ってきた女性を見て、エマが席を詰める。

「お疲れさまです、ハンナ」

「ありがとうございます」

 落ち着いた声。

 クロイツェル家に長く仕える侍女、ハンナだった。

「こちら、昨日王城にお忘れになったものです」

 彼女がテーブルに置いたのは一冊の本だった。

 クラウスが持っていたものだ。

「クラウス様が?」

「はい」

「珍しいですね」

「殿下への贈り物について考えているうちに、ご自分の本を忘れられたようです」

 エマが瞬きをした。

「クラウス様、そんなに考えておられたのですか?」

「三時間ほど」

「三時間?」

「書店で」

 リディアが笑う。

「本を選ぶのに?」

「『難しすぎれば殿下がお楽しみになれない。しかし簡単すぎるものを贈るのも失礼ではないか』と」

「クラウス様らしいですね」

 マリアが言った。

「私もそう申し上げました」

「なんと?」

「考えすぎです、と」

「本人には?」

「もちろん」

 エマは思った。

 この人は強い。

「それで、あの本になったのですね」

「はい。絵が多く、しかし内容は省略しすぎていないものを」

「アネクシア様、喜んでおられましたよ」

「それを聞けば、クラウス様もお喜びになるでしょう」

「でも」

 リディアが口元を緩めた。

「昨日はテオドール様の贈り物に負けていましたね」

「勝ち負けではございません」

 ハンナが即答した。

「クラウス様と同じこと言ってる」

「当然です」

「何が当然なんです?」

「贈り物は競うものではございませんので」

「テオドール様は勝ったと仰ってましたよ」

 ハンナが少しだけ目を閉じた。

「テオドール様には、あとで申し上げておきます」

「何を?」

「余計なことを言わないように、と」

「たぶん聞かないと思います」

「存じております」

 長年の苦労が見えた。

「でも、あの盤も随分探したのでしょう?」

 マリアが尋ねる。

「四軒です」

「四軒?」

「最初の店で購入されるものと思っておりました」

「違ったんですか?」

「『アネクシア殿下が持っていなさそうで、難しすぎなくて、でもすぐ飽きないもの』だそうです」

 エマは昨日のアネクシアを思い出した。

 目を輝かせて箱を開けていた。

 テオドールに何度も再戦を挑んでいた。

「大成功ですね」

「そのようですね」

 ハンナも少しだけ笑った。

「ユリウス様は?」

 リディアが聞いた。

「あの髪飾り、ずいぶん立派でしたけれど」

「職人の選定に一番時間をかけておられました」

「やっぱり」

「弟君お二人の贈り物についても何度も確認を」

「心配だったんでしょうね」

「『皇女殿下への贈答であることを忘れるな』と」

「テオドール様は?」

「『誕生日なんだから本人が喜ぶものが一番だろ』と」

「クラウス様は?」

「『その点については同意する』と」

「ユリウス様、大変ですね」

「はい」

 ハンナの返事が早かった。

 四人が笑う。

 ◇

「レティシア様も大変だったのですよ」

 今度はリディアが言った。

「何かあったのですか?」

「贈り物です」

 昨日、レティシアがアネクシアへ贈ったのは、小さな革の鞄だった。

 城下町へ出かけるときにも使える、子供用のものだ。

「最初は装飾品になさる予定でした」

「皇女らしいですね」

「ですが、『セリシアお姉様と被るかもしれない』と」

 エマとマリアがマリアを見る。

「被りましたね」

「髪飾りはユリウス様でしたが」

「でもセリシア様なら何かしら装飾品を用意しそうです」

「用意しておりました」

「やっぱり」

「今回はドレスだけで十分だと説得いたしました」

「マリア」

「はい?」

「ありがとうございます」

「なぜエマがお礼を?」

「アネクシア様のためです」

「なるほど」

 リディアが続ける。

「本も考えていました」

「クラウス様と被る」

「ええ。ですからやめました」

「玩具」

「テオドール様と被る」

「食べ物」

「レオンハルト殿下と被りましたね」

 三人が黙った。

「……皆様、考えることが似ていますね」

「アネクシア様の好きなものが分かりやすいので」

 エマが言った。

「本、遊び、美味しいもの」

「それで鞄に?」

「ええ。あの子、城下町へ行くの好きでしょう、と」

 リディアの声が少し柔らかくなる。

「自分で選んだものを入れられるように、と」

「レティシア様らしいですね」

 マリアが言った。

「そうでしょう?」

 リディアが少し得意そうに答える。

 エマはそれを見逃さなかった。

「リディア」

「何?」

「嬉しそうですね」

「何が?」

「レティシア様を褒められて」

「あなたもアネクシア様を褒められれば嬉しいでしょう」

「もちろんです」

「マリアも」

「当然でございます」

 三人とも同じだった。

 ハンナが紅茶を飲みながら言う。

「皆様、主人がお好きなのですね」

 三人が彼女を見る。

「ハンナは違うのですか?」

「三人おりますので」

「答えになってません」

「三倍大変です」

「それも答えになってません」

「三倍大切に決まっているでしょう」

 さらりと言って、ハンナは紅茶を飲んだ。

 エマたちは一瞬黙った。

「……ハンナ」

「はい?」

「今の、三兄弟に言ったことあります?」

「ございません」

「言ってあげればいいのに」

「調子に乗ります」

「誰が?」

「主にテオドール様が」

「ああ」

 全員が納得した。

 ◇

「それにしても」

 マリアが言った。

「昨日の三人は楽しそうでしたね」

「三人?」

「皇女殿下方です」

「ああ」

 リディアが微笑んだ。

「いつも通りですよ」

「そうですね」

 エマも頷く。

 セリシアがアネクシアの世話を焼く。

 アネクシアが嫌がる。

 レティシアが呆れながら、それでも二人のそばにいる。

 いつもの三人。

「レティシア様は、あまり表には出されませんが」

 リディアがカップを見つめる。

「負けず嫌いなのですよ」

「存じております」

 マリアが答えた。

「え?」

 リディアが顔を上げる。

「セリシア様も負けず嫌いですので」

「お姉様が?」

 エマが聞く。

「はい」

「そうは見えません」

「アネクシア様が絡むと特に」

「それは負けず嫌いなんですか?」

「昨日、レオンハルト殿下から先にお菓子を渡されたあと、『私も何か追加した方がいいかしら』と」

「何と競っているんです?」

「私もそう申し上げました」

「みんな同じじゃないですか」

 笑い声。

「アネクシア様は?」

 ハンナが聞いた。

「負けず嫌いですか?」

 エマは考える。

 昨日の盤。

 負けた瞬間、「もう一回」と言った。

「……かなり」

「でしょうね」

「でも、変なところで勝ち負けを気にしないのです」

「変なところ?」

「自分より誰かが褒められても、普通に一緒に喜びます」

「それは良いことでは?」

「良いことです。ただ、ご自分が褒められると『なんで?』から始まります」

「アネクシア様らしいですね」

「その『なんで?』に答えるのが私です」

「大変ですね」

「侍女でございますので」

 マリアとリディアが笑った。

「気に入ってるでしょう、それ」

「便利でございます」

「認めた」

 ◇

 休憩時間は、あっという間に過ぎた。

「そろそろ戻りましょうか」

 マリアが立ち上がる。

「セリシア様が本日は午後から聖務ですので」

「レティシア様も講義がございます」

 リディアも立つ。

「私はクラウス様の本を届けてまいります」

 ハンナが忘れ物を持つ。

 エマも立ち上がった。

「私はアネクシア様のところへ」

「今日は何を?」

 リディアが聞いた。

「おそらく、昨日いただいた盤を」

「勉強は?」

「午前中に終わっているはずです」

「終わっていなかったら?」

「終わらせます」

「誰が?」

「アネクシア様が」

「どうやって?」

 エマは微笑んだ。

「侍女でございますので」

「やっぱり便利じゃないですか」

 また笑い声が起きた。

 扉を開ける。

 それぞれ別の場所へ戻っていく。

「またこうしてお茶でもしましょう」

 マリアが言った。

「次はいつ?」

「皆様のお時間が合う日に」

「それが一番難しいですね」

「では、来年の誕生日のあとにでも」

 リディアが冗談めかして言う。

「一年後ですか?」

「少なくとも、全員王城に集まるでしょう?」

「それなら確実ですね」

「ハンナも」

「クロイツェル家がお招きいただければ」

「アネクシア様なら呼びますよ」

 エマが言った。

「昨日、来年はもっと人を呼ぶと仰っていましたから」

「では決まりですね」

「ええ」

 四人は、それぞれの主人のもとへ戻っていった。

 ◇

「エマ!」

 部屋へ戻るなり声が飛んできた。

「お帰り!」

「ただいま戻りました」

「勉強終わった!」

「それは何よりでございます」

「だから盤出して」

「承知いたしました」

「あとね、クラウスの本も読んだ」

「もうですか?」

「途中まで」

「そうでしょうね」

「分からないところあった」

「クラウス様にお聞きになりますか?」

「うん。今度来たとき」

「では、覚えておかなくてはなりませんね」

「書いた」

 机の上に紙が置かれている。

 質問がいくつも並んでいた。

 エマは数えようとして、やめた。

「……クラウス様も大変ですね」

「なんで?」

「なんでもございません」

 エマは棚から盤を取り出した。

「やる?」

「私とですか?」

「うん」

「仕事がございます」

「一回だけ」

「アネクシア様」

「昨日、テオドールに勝った」

「存じております」

「エマには勝てるかな」

 エマの手が止まった。

「……よろしいでしょう」

「やった!」

「ただし、一回だけです」

「うん!」

 二人で盤を挟む。

「エマ、やったことある?」

「少々」

「じゃあ私から」

「どうぞ」

 駒を動かす。

 一手。

 二手。

 三手。

「……あれ?」

「どうかなさいましたか?」

「取れない」

「そうですね」

「ここ」

「では、こちらへ」

「……また取れない」

「そうですね」

 アネクシアは盤を見る。

 エマを見る。

 もう一度、盤を見る。

「エマ」

「はい」

「強くない?」

「少々嗜んでおりますので」

「少々じゃない」

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