第5章 三人のお忍び
「今度はちゃんと変装して」
そう言ったのは、レティシアだった。
だから。
「完璧ね」
自信満々に胸を張るセリシアを見て、アネクシアは思った。
たぶん駄目だ。
「セリシアお姉ちゃん」
「なに?」
「それ、変装?」
「そうよ」
「どこが?」
「帽子」
「……」
大きな白い帽子だった。
確かに普段のセリシアは帽子を被らない。
だからといって。
第一皇女にして、国内で名の知れた聖女。
特徴的な金色の髪。
そして顔。
その全てを残して帽子を被ったところで、何が変わるのだろう。
「前回から何も学んでない」
「今回は帽子があるわ」
「帽子を過信しすぎだよ」
「大丈夫よ。ほら」
セリシアが帽子を深く被った。
「どう?」
「セリシアお姉ちゃん」
「どうして!?」
「顔見えてるもん」
「じゃあもっと深く――」
「前が見えなくなるよ」
「……困ったわね」
「何をしてるんですか、二人とも」
呆れた声がした。
振り返る。
そこには、一人の少女が立っていた。
地味な色のワンピース。
髪型も普段とは変えている。
装飾品も最低限。
それでもよく見れば育ちの良さは隠せていないが、少なくとも一目で皇女とは思われない。
「レティシアお姉ちゃん」
「お待たせ」
レティシアが二人を見る。
アネクシア。
そしてセリシア。
もう一度アネクシア。
最後にセリシア。
「姉様」
「なに?」
「帰って着替えてきてください」
「そんなに!?」
「そんなにです」
アネクシアは深く頷いた。
「二対一」
「アネクシアまで……」
「多数決」
「こういう時だけ覚えた言葉を使うのやめない?」
「ヴァレンティス家も推奨します」
「レティシア!?」
第二皇女が立法府の権威を私物化した瞬間だった。
◇
「それで?」
皇帝は机に肘をつき、三人の娘を眺めていた。
「なぜ私のところに来た」
「許可をいただきに」
レティシアが答える。
「珍しいな」
「何がです?」
「セリシアと一緒なのに、出発前に許可を取りに来たことがだ」
「お父様」
「前回は事後報告だったな」
「あれは……」
「しかも私が許可したことになっていた」
「結果的には許してくれたでしょう?」
「そういう問題ではない」
アネクシアはレティシアの服を引いた。
「レティシアお姉ちゃん」
「なに?」
「これ、長くなるやつ」
「私もそう思う」
「聞こえているぞ」
二人は黙った。
皇帝がため息をつく。
「護衛は付ける」
「えー」
「セリシア」
「お忍びにならないじゃないですか」
「お前たち三人を護衛なしで城下へ出して、何かあったら私が歴史に残る」
「大丈夫ですよ。私がいます」
「お前が一番心配なんだ」
「どういう意味ですか?」
「前回を思い出せ」
セリシアが黙った。
「護衛は離れて付かせる。それが条件だ」
「はーい」
「返事」
「はい、お父様」
「レティシア」
「承知しました」
「アネクシア」
「わかった」
「よし」
皇帝が三人を見る。
ほんの少しだけ表情を緩めた。
「楽しんでこい」
「うん!」
最初に答えたのはアネクシアだった。
◇
三人で城下町へ出るのは初めてだった。
前回はセリシアと二人。
今日はレティシアもいる。
「アネクシア」
「なに?」
「走らない」
「走ってない」
「今から走ろうとしてたでしょう」
「なんで分かったの?」
「顔」
また顔。
前にも言われた気がする。
「ほら、手」
「子どもじゃない」
「子どもです」
「この前も聞いた」
それでもレティシアの手を握る。
「アネクシア」
「なに?」
反対側からセリシアが手を差し出していた。
「私も」
「歩きにくい」
「葬儀の時は繋いでくれたじゃない」
「あれは特別」
「今日は?」
「普通の日」
「じゃあ普通の日も繋ぎましょう」
「理屈がおかしい」
結局、両側から手を握られた。
三人並んで歩く。
「これ目立たない?」
アネクシアが聞く。
「なんで?」
「三人で横に並んでるから」
「大丈夫よ」
「そういう問題ではないと思います、姉様」
レティシアが言った。
「じゃあ縦に並ぶ?」
「もっと変です」
その後ろ。
距離を取って護衛たちが歩いていた。
彼らの表情は真剣だった。
仕事だから当然である。
ただし一人だけ、三人のやり取りを見ながら何度か顔を逸らしていた。
◇
「これ食べたい」
「さっき食べたでしょう?」
「違うやつ」
「同じ焼き菓子じゃない」
「形が違う」
「アネクシア」
「味も違うかもしれない」
「その理屈で何個食べるつもり?」
アネクシアは露店に並ぶ菓子を数えた。
「七個」
「駄目です」
「じゃあ三個」
「交渉の始め方がおかしい」
「二個」
「一個」
「二個」
「一個」
「二個」
「……一個と半分」
「成立」
「待って」
セリシアが割って入った。
「半分はどうするの?」
二人がセリシアを見る。
「……」
「……」
「なんで私を見るの?」
「食べる?」
「食べる」
交渉成立。
三人で菓子を買う。
アネクシアが財布を取り出そうとすると、レティシアが止めた。
「今日は私が払うわ」
「なんで?」
「姉だから」
「わたしも皇女だからお金あるよ」
「自分で稼いだお金?」
「……」
痛いところを突かれた。
「レティシアお姉ちゃんもじゃん」
「私はヴァレンティス家からいただいている分があります」
「それ自分で稼いだの?」
「……」
今度はレティシアが黙った。
セリシアが笑う。
「二人とも同じね」
「セリシアお姉ちゃんは?」
「私は聖女として――」
「それはずるい」
「どうして!?」
「自分で働いてる」
「褒められてる気がしないわ」
結局、三人で少しずつ出した。
店主は目の前の少女たちが皇女だとは気づいていないらしい。
「仲のいい姉妹だねえ」
そう言って笑った。
三人とも、一瞬黙った。
「はい」
レティシアが答えた。
「仲良しです」
セリシアも笑う。
アネクシアは菓子を頬張りながら頷いた。
美味しかった。
◇
「ねえ」
市場を歩いていたアネクシアが足を止めた。
「今度は何?」
レティシアが振り返る。
「あれ」
少し先。
人だかりができていた。
男が二人、言い争っている。
「だから昨日まではこれで通れたんだ!」
「今日から変わったんだよ!」
「聞いてないぞ!」
「俺に言うな! 決めた連中に言え!」
どうやら荷車を市場へ入れる際の料金でもめているらしい。
「また通行料?」
アネクシアが呟く。
「少し違うわね」
レティシアが答える。
「市場の使用料でしょう」
「また値段上がる?」
「場合によっては」
「じゃあ、なんで変えたの?」
「アネクシア」
「なに?」
「今日は遊びに来たの」
「分かってる」
「その顔、分かってない」
「聞くだけ」
「駄目」
「なんで?」
「始まった」
セリシアが笑った。
「何がです?」
「アネクシアの『なんで』」
「一回だけだよ」
「本当に?」
「……たぶん」
レティシアがため息をつく。
「調べるのは帰ってから」
「覚えてたら」
「絶対覚えてるでしょう?」
「うん」
「でしょうね」
アネクシアはもう一度、人だかりを見る。
男たちはまだ言い争っている。
何か理由があるのだろう。
誰かが決めた。
誰かが困っている。
だったら。
どうしてそうしたのか知りたい。
ただ、それだけだった。
「アネクシア」
セリシアが呼ぶ。
「置いていくわよ」
「待って!」
今日は遊ぶ日だ。
アネクシアは走って二人を追いかけた。
◇
夕方。
三人は城壁近くの小さな丘に座っていた。
街が見える。
皇宮も見える。
「疲れた」
レティシアが言った。
「楽しかった?」
アネクシアが聞く。
「疲れたって言ったでしょう」
「楽しかった?」
「……楽しかったわ」
「わたしも」
「私もよ」
セリシアが答える。
少しだけ風が吹いた。
「また来ようね」
アネクシアが言う。
「ええ」
「次はどこに行く?」
「もう次の話?」
「だめ?」
「駄目じゃないけど」
レティシアが考える。
「今度は城下町じゃないところもいいわね」
「遠く?」
「少しだけ」
「海!」
「遠すぎます」
「山!」
「セリシア姉様がいますから、それなら――」
「どういう意味?」
「迷っても生還できるという意味です」
「私を何だと思ってるの?」
「聖女」
「合ってるけど違う気がする」
三人で笑った。
「じゃあ」
アネクシアが言う。
「三人でいろんなところ行こうよ」
「いいわね」
セリシアが答える。
「レティシアお姉ちゃんも」
「もちろん」
「約束?」
ほんの一瞬。
アネクシアの中で、その言葉が重くなる。
母との最後の約束。
またね。
今度。
次。
前の人生では、突然なくなってしまったもの。
「約束よ」
レティシアが答えた。
セリシアも頷く。
「三人でね」
「うん」
アネクシアは笑った。
この時は。
三人とも、本当にそうするつもりだった。
◇
帰りの馬車。
アネクシアはセリシアにもたれて眠っていた。
「寝ちゃいましたね」
「朝から騒いでたもの」
セリシアがアネクシアの髪を撫でる。
向かい側に座るレティシアが、その様子を見ていた。
「セリシア姉様」
「なに?」
「アネクシアって、昔からあんな感じでした?」
「あんな感じ?」
「なんで、って」
「ああ」
セリシアが笑った。
「最近ひどくなったわ」
「やっぱり」
「本を読むようになってからかしら」
「面倒ですね」
「面倒よ」
二人は眠っている妹を見る。
「でも」
レティシアが言った。
「ちゃんと答えてあげたいですね」
「ええ」
「分からないなら、分からないって言えばいいし」
「そうね」
「適当に答えたら、たぶん気づくでしょう?」
「絶対気づくわ」
「ですよね」
また少し笑う。
馬車が揺れる。
「……姉様」
「なに?」
「フィオナ様との約束」
セリシアの手が止まった。
「覚えてる?」
「もちろん」
「私もです」
レティシアは窓の外を見る。
「私のお母様ではなかったのに」
「ええ」
「最後まで、私のことも気にしてくれたんですね」
「お母様、レティシアのこと好きだったもの」
「知ってます」
「じゃあ何よ」
「言ってみただけです」
少しの沈黙。
「私たち」
レティシアが言った。
「ずっと、このままでいられますよね」
セリシアは眠っているアネクシアを見る。
それから、レティシアを見た。
「当たり前でしょう?」
「ですよね」
馬車は皇宮へ向かって進んでいく。
その少し後ろを、護衛の馬が追っていた。
さらに遠く。
城下町の市場では。
今日も誰かが、新しく決まった規則について話していた。
税。
通行料。
市場。
皇帝。
ヴァレンティス。
クロイツェル。
国は、三人が遊んでいる間にも動いている。
けれど。
そんなものより。
今日食べた菓子の方が大切な日があってもいい。
三人の皇女には。
まだ、そんな時間が残っていた。




