第52章 できること
足音は、すぐに部屋の前まで来た。
扉が開く。
何人かが入ってくる。
アネクシアは天井を見たまま、その音を聞いていた。
「本当に?」
「はい。先ほど目を――」
さっきの女の人の声だった。
今度は言葉が分かる。
聞こえなかったわけではない。
目を覚ましたばかりで、頭が追いついていなかっただけらしい。
別の足音が近づいてくる。
視界に、年配の男の顔が入った。
「聞こえるかい?」
アネクシアは一度、目を閉じた。
「分かるんだね」
男はそう言うと、アネクシアの目を覗き込んだ。
片方ずつ確認する。
眩しい。
思わず目を閉じる。
「すまないね」
男は少し離れた。
「名前は分かる?」
答えようとして、やめた。
声は出ない。
どう答えればいいのだろう。
知らない少女が口を開いた。
「一回と二回で答えてもらっていました」
「ああ、なるほど」
男が頷く。
「それなら、少しずつ確認しよう」
名前。
分かる。
一回。
「自分が誰なのかは分かっている?」
一回。
「ここがどこか分かる?」
二回。
「どうしてここにいるのかは?」
二回。
男は何度か頷いた。
何かを書いている音がする。
「最後に覚えているのは、どんなこと?」
アネクシアは瞬きをしなかった。
一回でも二回でも。
答えられない。
「これは答えられないね」
男が苦笑した。
知らない少女も少しだけ笑った。
「ごめん。今のは私が悪かった」
男はそう言って、今度はアネクシアの腕に触れた。
「少し触るよ」
腕を持ち上げられる。
自分の腕なのに、自分では動かせない。
男がゆっくりと曲げる。
痛くはなかった。
ただ、変な感じがした。
手。
指。
足。
順番に確かめていく。
そのたびに、男は何かを確認していた。
「指先の感覚はある?」
手に何かが触れた。
一回。
「こっちは?」
一回。
触られていることは分かる。
なのに動かせない。
それが不思議だった。
「焦らなくていい」
男が言った。
「目を覚ました。それだけで、今日は十分だから」
また、それだけ。
知らない少女も似たようなことを言っていた。
今の自分は、目を開けているだけで褒められるらしい。
なんだか変な気分だった。
「しばらくは身体の様子を見よう。無理に動かそうとしなくていい」
男は周りにいた人たちと何かを話し始めた。
難しい言葉が混じっていて、よく分からない。
アネクシアは聞くのをやめた。
天井を見る。
もう随分長いこと、これを見ている気がする。
白い天井。
少しだけ色の違うところがある。
端の方には、細い線も入っている。
さっきまでは気づかなかった。
暇だった。
とても暇だった。
サウラ。
呼んでみる。
返事はない。
寝ているのだろうか。
それなら、そのうち起きるだろう。
アネクシアは、そう考えることにした。
男たちの話が終わる。
「今日はここまでにしよう」
年配の男が言った。
「また様子を見に来るよ」
足音が離れていく。
何人かが部屋を出ていった。
扉が閉じる。
静かになった。
けれど、一人分の気配が残っていた。
視界の端を見る。
知らない少女が、まだ椅子に座っている。
「疲れた?」
アネクシアは少し考えた。
二回。
「そっか」
少女は笑った。
「じゃあ、もう少しここにいるね」
アネクシアは瞬きをした。
一回でも。
二回でもなく。
ただ、目を閉じて。
また開いた。
少女は、まだそこにいた。
天井も、まだそこにあった。




