第39章 聖女
泣き声が。
少しずつ。
小さくなった。
◇
「…………」
セリシアは何も言わず。
アネクシアの背中を撫でていた。
黒い髪。
触れれば。
いつもの妹だった。
小さな肩。
細い腕。
泣き疲れて。
時々、息を震わせる。
「……お姉様」
「なに?」
「レティシアお姉様」
セリシアの手が止まる。
「うん」
「エマも」
「うん」
「起きないの?」
答えは。
分かっていた。
アネクシアも。
きっと。
分かっている。
「……うん」
だから。
嘘はつかなかった。
「起きないわ」
「…………」
「もう」
声が震えそうになる。
それでも。
「起きない」
アネクシアが。
姉の服を握った。
「……そっか」
「うん」
「そっか……」
それだけだった。
セリシアは。
もう一度。
妹を抱きしめた。
◇
遠くで。
鐘が鳴っている。
まだ。
終わっていない。
「…………」
セリシアが顔を上げた。
「お姉様?」
「ここにいて」
「え?」
「少しだけ」
アネクシアの肩へ手を置く。
「どこ行くの?」
「外を見てくる」
「行かないで」
服を掴む手が。
強くなる。
「…………」
セリシアは。
その手を見る。
「すぐ戻るわ」
「ほんと?」
「うん」
「……約束?」
セリシアは。
答えようとして。
一瞬だけ。
止まった。
「約束」
アネクシアの手が。
少し緩む。
「待ってる」
「うん」
立ち上がる。
その時。
床に横たわる二人が。
視界に入った。
「…………」
レティシア。
エマ。
セリシアは。
二人の前で。
一度だけ。
目を閉じた。
そして。
歩き出した。
◇
階段を上がる。
「セリシア殿下!」
負傷した兵士が。
壁に手をつきながら立っていた。
「動いちゃ駄目!」
「ですが――」
「座って!」
手を当てる。
光。
「状況は?」
「東からの魔物が……まだ」
「避難は?」
「西へ続いています」
「お父様は?」
「陛下は……」
兵士が。
言葉を止めた。
「何?」
「まだ、指揮を」
「まだ?」
「王城の避難命令を出された後も」
セリシアの顔が変わる。
「どこ?」
「上階です」
「分かった」
治癒を終える。
「あなたは西へ」
「しかし」
「これは命令です」
「……はい」
セリシアは走った。
◇
「お父様!」
扉を開く。
皇帝が。
そこにいた。
「……セリシア」
地図。
報告書。
伝令。
いつもと。
同じ。
そんなはずはないのに。
「戻ったか」
父が言った。
「はい」
「そうか」
それだけ。
セリシアは。
父へ駆け寄った。
「避難してください」
「もう少しだ」
「駄目です」
「西への避難が――」
「他の方に任せてください!」
「セリシア」
「お父様!」
皇帝は。
娘を見る。
「……レティシアは?」
セリシアの口が。
開かない。
「地下へ向かったと聞いた」
「…………」
「アネクシアは?」
「います」
「そうか」
「アネクシアは」
声が。
震えた。
「生きています」
皇帝が。
動きを止めた。
「…………」
それだけで。
分かった。
「レティシアは」
セリシアが。
首を振った。
「…………そうか」
父は。
それしか言わなかった。
目を閉じる。
一度だけ。
そして。
地図を見る。
「お父様」
「まだ終わっていない」
「分かっています」
「なら」
「だからです!」
セリシアが。
机を叩いた。
「生きている人まで死ぬ必要はありません!」
部屋が静かになる。
「あなたがいなくなったら!」
声が震える。
「この後、誰が――」
言葉が。
止まった。
この後。
その言葉が。
あまりにも。
遠く感じた。
皇帝は。
娘を見る。
「セリシア」
「……はい」
「お前は、何をしに戻った」
「え?」
「私を逃がすためか」
「それもです」
「レティシアを救うためか」
胸が。
痛んだ。
「……はい」
「アネクシアを守るためか」
「はい」
「国民を救うためか」
「はい!」
皇帝は。
ほんの少しだけ。
笑った。
「欲張りだな」
「誰の娘だと思ってるんですか」
「そうだった」
父が立ち上がる。
「なら」
娘の肩へ。
手を置く。
「全部やれ」
「…………」
「私もやる」
「お父様」
「生きている者を、一人でも多く外へ出す」
「はい」
「王城は捨てる」
「はい」
「国も」
言葉が。
止まる。
皇帝は窓の外を見た。
「必要なら、形など後で作り直せばいい」
セリシアは。
父を見る。
「人がいれば」
静かに。
「国はまた作れる」
「…………はい」
「行け」
セリシアは頷いた。
「はい」
◇
王城を出た。
外。
地獄だった。
炎。
煙。
魔物。
人。
「聖女様!」
声。
セリシアが振り返る。
「結界を!」
兵士たち。
その向こう。
避難民。
さらに。
魔物。
「下がって!」
セリシアが両手を上げる。
光。
広がる。
大きく。
大きく。
壁になる。
魔物がぶつかる。
「――っ!」
腕に。
重さ。
「殿下!」
「大丈夫!」
押す。
魔物が。
横へ逸れる。
「今!」
人々が走る。
「西へ!」
「聖女様!」
「振り返らないで!」
次。
別の魔物。
「右!」
結界。
止める。
次。
「負傷者!」
「こちらへ!」
治癒。
立たせる。
「歩ける?」
「はい!」
「行って!」
次。
次。
次。
何度も。
光が。
王都に灯った。
◇
「聖女が戻った!」
誰かが叫んだ。
その声が。
広がった。
「セリシア殿下だ!」
「聖女様が!」
「まだ行ける!」
兵士が立つ。
人が走る。
負傷者が運ばれる。
道が。
一本。
できる。
◇
「すごいな……」
レオンハルトが。
遠くから見ていた。
片目。
それでも。
見えた。
光の壁。
魔物の流れを変え。
人を逃がしている。
「殿下」
兵士が声をかける。
「お怪我を」
「後だ」
「ですが」
「俺より先に運ぶ奴がいる」
目の前。
負傷者。
「西へ送れ」
「はい!」
「それからグランヴェルへ使者」
「何と?」
「救援要請」
「規模は?」
「出せるだけ全部」
「王国軍を?」
「兄上には俺から謝る」
「しかし国境を越えることになります」
「許可は取る」
レオンハルトが王城を見る。
「この国の皇帝にな」
◇
時間が。
どれだけ経ったのか。
分からなかった。
セリシアは。
立っていた。
まだ。
「殿下!」
「次!」
「東の避難、ほぼ完了です!」
「西は!」
「続いています!」
「南!」
「テオドール様が確保を!」
「分かった!」
息を吸う。
苦しい。
魔力。
減っている。
それでも。
まだ使える。
「セリシア殿下!」
クラウスが走ってくる。
「クラウス!」
「原因が!」
「分かったの!?」
「いえ!」
「えぇ!?」
「ですが、王都内です!」
セリシアの表情が変わる。
「どこ」
「東から入りました」
「魔物?」
「分かりません」
「人?」
「分かりません」
「じゃあ何が分かったの!」
「位置です!」
クラウスが指す。
「移動しています!」
「どこへ?」
「…………」
答えない。
「クラウス?」
「王城です」
セリシアの息が。
止まった。
「何?」
「原因と思われるものが」
クラウスが。
王城を見る。
「王城へ向かっています」
◇
アネクシアは。
一人で座っていた。
レティシア。
エマ。
そばにいる。
動かない。
「…………」
セリシアは。
すぐ戻ると言った。
だから。
待つ。
「…………」
胸の奥。
熱い。
でも。
少しだけ。
慣れてきた。
「私の……」
魔力。
そう思う。
でも。
やっぱり。
違う気もする。
「…………」
目を閉じる。
見える。
女。
近い。
もう。
すごく。
近い。
「なんで」
アネクシアが呟く。
「私なの?」
答えは。
来なかった。
◇
女は。
王城の前にいた。
「…………」
大きい。
人間の建物。
だが。
興味はない。
中。
少女。
「…………」
一歩。
入る。
兵士が。
女を見た。
「止まれ!」
剣。
向けられる。
「何者だ!」
女は。
兵士を見る。
邪魔。
そう思う。
殺せばいい。
いつもなら。
それで終わる。
「…………」
でも。
少女が。
悲しんでいる。
なぜか。
それが。
分かった。
女は。
手を上げなかった。
「止まれ!」
兵士が近づく。
女は。
横を通った。
「待て!」
腕を掴もうとする。
触れる前に。
兵士の身体が弾かれた。
壁へ。
倒れる。
死んではいない。
「…………」
女は。
少しだけ。
自分の手を見る。
殺さなかった。
「……なぜ?」
また。
分からない。
歩く。
◇
「待って!」
セリシアが走る。
「殿下!」
クラウスが追う。
「王城は危険です!」
「アネクシアがいる!」
「分かっています!」
「なら!」
「俺も行きます!」
「駄目!」
「なぜです!」
「あなたにはあなたの仕事があるでしょう!」
クラウスが止まる。
「避難を続けて!」
「しかし!」
「原因が王城に行ったなら」
セリシアは振り返る。
「外は少しだけ安全になるかもしれない!」
「…………」
「今のうちに、一人でも多く!」
クラウスは。
拳を握った。
「……分かりました」
「お願い」
「殿下」
「何?」
「アネクシア殿下を」
言葉を探す。
「お願いします」
「……うん」
セリシアは走った。
◇
王城。
廊下。
女は。
迷わなかった。
少女がいる。
分かる。
階段。
地下。
一歩ずつ。
◇
アネクシアが。
顔を上げた。
「…………」
来た。
◇
セリシアも。
王城へ入った。
「アネクシア!」
走る。
◇
女が。
地下へ降りる。
◇
「アネクシア!」
◇
アネクシアは。
立ち上がった。
黒を基調に、銀の混じった髪が揺れる。
紫の瞳が。
暗い通路を見る。
◇
足音。
一つ。
◇
そして。
暗闇の向こうから。
女が現れた。
◇
銀色の髪。
紫の瞳。
◇
髪は。
違う。
◇
けれど。
瞳だけが。
同じ色。
◇
「…………」
二人は。
初めて。
同じ場所で。
互いを見た。
◇
女は。
長い間探していた少女を見つめた。
未来より幼い。
未来とは違う。
泣いた跡がある。
それでも。
間違いない。
「……見つけた」
◇
見に来た。
ただ。
それだけだった。
◇
未来で。
何度も見る少女が。
何なのか。
自分の目で。
確かめたかった。
◇
そして。
実際に見て。
もう一つ。
分かった。
◇
少女の内側。
◇
一つではない。
◇
「……器としても、有能だな」
◇
アネクシアが。
眉を寄せる。
「うつわ?」
◇
女は。
答えず。
さらに見る。
◇
「私を受け入れても、壊れないだけの深さがある」
「……何の話?」
◇
女は。
ほんの少しだけ。
目を細めた。
◇
「見に来た価値はあった」
「だから、何の話?」
◇
答えは。
まだ。
なかった。
アネクシアは。
一歩。
後ろへ下がった。
「誰……?」
女は。
答えなかった。
名前を聞かれたことより。
別のことが。
気になった。
少女の後ろ。
二人の人間。
動かない。
少女は。
泣いていた。
女は。
それを見る。
そして。
自分でも理由の分からないまま。
口を開いた。
「……それが」
少し。
言葉を探す。
「お前を、悲しませているのか?」
アネクシアの瞳が。
揺れた。
◇
「アネクシア!」
階段から。
声。
セリシア。
◇
女が振り返る。
◇
聖女と。
女の目が。
合った。
◇
セリシアは。
理解した。
説明など。
必要なかった。
目の前の存在。
そこにある魔力。
アネクシアの中で暴れているものと。
同じ。
いや。
もっと。
ずっと。
深い。
◇
「アネクシアから」
セリシアが。
妹の前へ立った。
「離れて」
◇
女は。
首を傾げた。
「なぜ?」
◇
セリシアの手に。
光が集まった。
◇
姉として。
妹を守る。
◇
そして。
聖女として。
この力を。
止める。
◇
「この子は」
光が。
地下を照らした。
「私の妹だから」




