↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第三皇女の約束  作者: トカゲ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/101

第37章 慟哭・後編

 城壁が崩れた。


 その音は。


 王都のどこにいても聞こえた。


     ◇


「東壁の一部が崩落!」


「範囲は!」


「東門より南へおよそ――」


「数字は後でいい!」


 皇帝が遮った。


「人は!」


「兵士に負傷者多数! 避難民への被害は確認中です!」


「通れる道は!」


「東は使えません!」


「なら西へ回せ!」


「すでにレティシア殿下が!」


「そうか」


 一つ。


 答えが減る。


 次。


「北東部!」


「魔物の群れが市街へ!」


「誘導できるか!」


「試みています!」


「無理なら倒せ! ただし追うな!」


「はい!」


 次。


「火災!」


「場所は!」


「東三区!」


「消火隊を!」


「向かっています!」


 次。


 次。


 次。


 報告が途切れない。


 皇帝は地図を見る。


 まだ。


 西がある。


 南がある。


 王城も立っている。


 軍も動いている。


 避難も続いている。


「まだだ」


 誰に聞かせるでもなく呟いた。


「まだ、動ける」


     ◇


「こちらです!」


 レティシアが腕を振る。


「荷車は止めないで! 歩ける人は左! 怪我人と子供は右!」


「殿下、南から物資が!」


「そのまま西へ! 王城へ入れないで!」


「しかし備蓄が――」


「今必要なのは城じゃない! 避難先!」


「はい!」


 荷車が走る。


 人が走る。


 泣き声。


 怒鳴り声。


 馬の声。


 遠くで何かが壊れる音。


「レティシア殿下!」


「何!」


「西街道で混乱が!」


「何があったの!」


「避難民が集中しています!」


「誘導を分けて!」


「人手が!」


「ヴァレンティスから来た人たちは!」


「物資輸送へ!」


「半分こっちに回して!」


「では物資が!」


「荷物は待てる!」


 レティシアは叫んだ。


「人は待てない!」


「――はい!」


 伝令が走る。


 レティシアは次の報告へ手を伸ばした。


 指が震えていた。


「……止まって」


 自分の手に言う。


「今じゃないでしょ」


 握る。


 開く。


 もう一度。


 紙を受け取る。


「次」


     ◇


「開けろ!」


 ユリウスの声で、王城の倉庫が開かれた。


「水と布を優先! 食料は必要な分だけ!」


「はい!」


「中庭を負傷者の収容場所に!」


「治癒術師が足りません!」


「城内にいる者を集めろ!」


「セリシア殿下が戻られれば――」


「それまでを我々が持たせる」


 ユリウスは即答した。


「聖女殿下が戻るまで、負傷者に待てと言うつもりか?」


「……いえ!」


「なら動け!」


「はい!」


 人が散る。


「兄上!」


 振り返る。


 テオドールだった。


 泥だらけ。


 頬に血がついている。


「怪我は」


「俺のじゃない」


「東は?」


「ひどい」


 いつもの軽さがない。


「でも、まだ抜けられる道はある。東から南へ一本。狭いけど使える」


「案内できるか」


「そのために戻った」


「休め」


「嫌だね」


「命令だ」


「じゃあ聞かなかったことにする」


「テオドール」


「兄上」


 弟が笑った。


 いつものように。


 少しだけ。


「今、俺よりあの道を知ってる奴いないよ」


 ユリウスは黙った。


「……必ず戻れ」


「了解」


 テオドールが背を向ける。


「それと」


「何?」


「クラウスを見たら、城へ戻れと伝えろ」


「陛下から?」


「私からだ」


「了解」


 走っていく。


 ユリウスはその背中を見送った。


 すぐに。


「次!」


 仕事へ戻った。


     ◇


「水を!」


「こちらへ!」


 地下避難区画にも、負傷者が増えていた。


 エマはアネクシアの手を握ったまま、周囲を見る。


「殿下」


「……うん」


「少し移動いたします」


「どこに?」


「ここより奥へ」


「みんなは?」


「順番に移動します」


「怪我してる人も?」


「はい」


 アネクシアは立とうとした。


 膝から力が抜ける。


「殿下!」


「だいじょうぶ……」


「大丈夫ではございません」


「でも」


「今だけは言うことを聞いてください」


「……はい」


 エマが身体を支える。


 髪は。


 黒いまま。


 変わっていない。


 けれど。


 瞳。


 黒かったはずの瞳に。


 紫が混じっている。


 もう。


 一瞬ではない。


 揺れるたび。


 紫が。


 残る。


「エマ」


「はい」


「私、変?」


 足が止まりかけた。


「どうしてです?」


「みんな見てる」


 周囲。


 使用人たち。


 負傷した兵士。


 子供。


 視線が集まっている。


 皇族に生まれながら。


 黒髪の少女。


 忌み子と呼ばれたこともある少女。


 その髪は。


 今も。


 黒い。


 ただ。


 目だけが。


 違う。


「少し」


 エマが答えた。


「瞳の色が変わっております」


「何色?」


「紫色です」


「……あの人みたい?」


 エマは一瞬だけ迷った。


「少し似ております」


「そっか」


 アネクシアは。


 自分の目には触れられず。


 困ったように笑った。


「変なの」


「そうでしょうか」


「変じゃない?」


「瞳の色が変わった程度でございます」


「程度?」


「はい」


「結構すごくない?」


「殿下が殿下であることに、変わりはございませんので」


「…………」


 アネクシアは少しだけ笑った。


「やっぱりエマだ」


「侍女でございますので」


「それ便利だね」


「便利でございます」


 その時。


 また。


 胸の奥が震えた。


「――っ」


「殿下?」


 近い。


 さっきより。


 ずっと。


「来る」


「何がです?」


「……分かんない」


 でも。


 来る。


 こちらへ。


 自分へ。


「エマ」


「はい」


「手」


 強く握る。


「離しません」


 今度は。


 約束とは言わなかった。


     ◇


「クラウス!」


 呼ばれて振り返る。


「テオドール兄上」


「いた!」


「どうしてここに?」


「その台詞そのまま返すよ」


 市街。


 煙。


 逃げる人々。


 兵士。


 その間を。


 二人は走る。


「陛下から帰城命令出てるだろ!」


「戻っている途中です!」


「途中で何してた!」


「避難路が魔物と交差していました!」


「それで?」


「変えました!」


「なら終わり!」


 テオドールがクラウスの肩を掴む。


「戻れ!」


「兄上は!」


「南への道を開ける!」


「危険です!」


「知ってる!」


「なら!」


「俺の仕事だ!」


 クラウスが黙る。


「お前はお前の仕事しろ!」


「……はい」


「よし!」


 テオドールが走り出す。


「兄上!」


「何!」


「必ず戻ってください!」


 テオドールが振り返った。


「ユリウス兄上にも言われた!」


 笑う。


「人気者はつらいね!」


 そして。


 走っていった。


     ◇


 魔物の流れは。


 さらに増えた。


 東。


 北東。


 南東。


 種類も。


 大きさも。


 関係ない。


 捕食するもの。


 されるもの。


 本来なら同じ場所にいないもの。


 全部が。


 同じ何かから逃げている。


 そして。


 逃げ道の先に。


 王都があった。


     ◇


 女は歩いていた。


 壁はもう近い。


 崩れている。


 魔物が通ったのだろう。


 人間が戦っている。


 火もある。


「…………」


 自分が原因だ。


 女は。


 ようやく。


 そこまで考えた。


 自分が近づく。


 弱いものが逃げる。


 その先に人間がいる。


 人間が巻き込まれる。


 単純だった。


「……そうか」


 理解した。


 なら。


 離れればいい。


 一瞬。


 そう考えた。


 足が止まる。


「…………」


 少女は。


 この先にいる。


 未来で何度も見た。


 長い間探した。


 ようやく見つけた。


 離れる。


 理由はある。


 人間が死ぬ。


 それだけだ。


 女にとって。


 今までなら。


 それで終わる話だった。


「…………」


 足を。


 後ろへ。


 動かそうとする。


 動かなかった。


「……なぜ?」


 自分に聞く。


 答えはない。


 代わりに。


 少女の気配が。


 また。


 強くなった。


 女は顔を上げる。


「…………」


 そして。


 前へ進んだ。


     ◇


「陛下!」


 クラウスが会議室へ飛び込んだ。


「戻りました!」


「状況は!」


「原因は東! 距離はもう――」


 言葉が止まる。


 分からない。


 だが。


「王都近郊です!」


「確かか!」


「逃走の発生地点が、ほぼ王都東部まで来ています!」


 皇帝が地図を見る。


「正体は」


「まだ!」


「魔物か」


「分かりません!」


「人か」


「分かりません!」


「自然現象か」


「それも!」


 皇帝は目を閉じた。


 一瞬だけ。


「なら」


 開く。


「分かることだけで動く」


「はい」


「東から来る」


「はい」


「生き物が逃げる」


「はい」


「近づいている」


「はい」


「十分だ」


 皇帝が立ち上がる。


「王都西部の避難を開始」


「陛下」


「城もだ」


 クラウスが顔を上げた。


「王城を放棄するのですか」


「必要なら」


「しかし」


「城は建て直せる」


 皇帝は言った。


「人は戻らない」


 クラウスは。


 深く頭を下げた。


「承知しました」


     ◇


「王城も避難?」


 レティシアは報告を聞いた。


「はい!」


「お父様は?」


「指揮を続けておられます!」


「ユリウスは!」


「城内避難を!」


「クラウスは!」


「帰城しました!」


「テオドールは!」


「南東部です!」


「……分かった」


 一つずつ。


 確認する。


「殿下も城へ!」


「まだ」


「しかし!」


「この人たちを出してから!」


 目の前。


 避難民の列。


 もう。


 長くはない。


「あと少し!」


 レティシアが声を上げる。


「西門まで止まらないで! 道は空いてる!」


 人々が進む。


 一人。


 一人。


 また一人。


 最後尾。


 老夫婦。


 兵士に支えられながら歩いていく。


「殿下!」


「分かった!」


 レティシアが振り返る。


 その時。


 東から。


 轟音。


 空気が震えた。


「……何?」


 煙の向こう。


 大きな影。


 一つではない。


「殿下!」


「走って!」


 レティシアも走る。


 王城へ。


     ◇


 南東。


「こっちだ!」


 テオドールが叫ぶ。


「走れ!」


 細い道。


 人々が抜けていく。


 予定していた避難路ではない。


 けれど。


 使える。


「次!」


「もうすぐ最後です!」


「よし!」


 子供。


 母親。


 老人。


 兵士。


「テオドール様!」


「何!」


「魔物です!」


 後ろ。


 来る。


「数は!」


「三!」


「倒せる?」


「大型が一!」


「なら誘導!」


 剣を抜く。


「こっちへ来させるな!」


 兵士たちが並ぶ。


「テオドール様は下がって!」


「嫌だね!」


「またですか!」


「今日それ何回目?」


 笑う。


 まだ。


 笑えた。


「終わったら数えよう!」


     ◇


 王城地下。


 灯りが。


 一つ。


 消えた。


「きゃっ」


 子供の声。


「大丈夫!」


 エマが言う。


「まだ灯りはございます!」


 もう一つ。


 消える。


「エマ」


「はい」


「これ、私?」


「……何がです?」


「分かんない」


 アネクシアは胸を押さえる。


 魔力。


 溢れている。


 止め方が分からない。


「いつもみたいにできない」


「いつも?」


「魔法」


 習った。


 流す。


 止める。


 形にする。


 何度も。


 失敗して。


 できるようになった。


 なのに。


「言うこと聞かない」


「殿下」


「私のなのに」


 涙が落ちる。


「私の魔力なのに」


 違う。


 そんな感覚が。


 一瞬だけ。


 頭をよぎった。


 ――違う?


「…………」


 誰の?


 その瞬間。


 また。


 景色。


     ◇


 女が。


 歩いている。


     ◇


「……見える」


「殿下?」


「歩いてる」


「誰がです?」


「女の人」


 エマが息を止める。


「どこです?」


「分かんない」


 でも。


 アネクシアには。


 見えた。


 銀。


 紫。


 そして。


 自分の瞳にも。


 灯り始めた。


 同じ紫。


「こっちに来る」


     ◇


 女も。


 少女を見ていた。


 今。


 未来ではなく。


 現在を。


「…………」


 少女が泣いている。


 誰かの手を握っている。


 怖がっている。


 自分を。


 女は。


 足を止めた。


「……怖い?」


 なぜ。


 そう思ったのか。


 分からなかった。


 少女の感情など。


 未来では見えなかった。


 今なら。


 少しだけ。


 分かる。


 自分が近づくたび。


 少女の中の力が揺れる。


「…………」


 離れるべきか。


 また。


 考える。


 だが。


 その時。


 背後から。


 咆哮。


 女は振り返った。


 巨大な魔物。


 逃げ道を失い。


 狂ったように。


 王都へ向かっている。


「邪魔」


 女が。


 手を上げた。


     ◇


 光った。


     ◇


 王都東部。


「伏せろ!」


 兵士が叫んだ。


 次の瞬間。


 巨大な魔物が。


 消えた。


     ◇


「……え?」


 クラウスが窓の外を見る。


 東。


 一瞬だけ。


 空が。


 白く染まった。


「今のは……」


 遅れて。


 音が来た。


     ◇


 轟音。


     ◇


 王城が揺れた。


 窓が割れる。


 壁に亀裂が走る。


「伏せろ!」


 皇帝が叫ぶ。


「お父様!」


 扉の向こう。


 レティシアの声。


「レティシア!」


 扉が開く。


「無事か!」


「はい!」


「外は!」


「避難は続いてる!」


「西へ行け!」


「お父様も!」


「私はまだだ!」


「なら私も!」


「レティシア!」


「仕事がある!」


 皇帝が。


 一瞬。


 言葉を失った。


 そして。


「……分かった」


 それしか。


 言えなかった。


     ◇


 地下。


「エマ!」


「ここです!」


 暗い。


 灯りが。


 ほとんど消えた。


「手!」


「握っています!」


「怖い!」


「はい!」


「エマ!」


「ここにおります!」


 また揺れる。


 天井から。


 小さな石が落ちる。


 悲鳴。


「移動します!」


 エマが叫ぶ。


「皆様、奥へ!」


 人々が動く。


 アネクシアも。


 一歩。


 進む。


 その時。


 誰かの泣き声。


 振り返る。


 子供。


 転んでいる。


「待って!」


「殿下!」


 アネクシアが戻る。


 手を伸ばす。


「大丈夫?」


 子供を立たせる。


「お母さんは?」


「あっち……」


「行こ」


 手を取る。


 その瞬間。


 また。


 強い魔力。


「――っ!」


「殿下!」


 床へ膝をつく。


 瞳の紫が。


 さらに濃くなる。


「アネクシア殿下!」


 遠くから。


 声。


「お姉様……?」


 違う。


 セリシアではない。


 レティシア。


「アネクシア!」


 階段から。


 レティシアが降りてくる。


「お姉様!」


 アネクシアの顔が。


 少しだけ。


 明るくなった。


「よかった……」


 レティシアが駆け寄る。


 その途中。


 アネクシアの瞳を見た。


 足が止まる。


「……アネクシア?」


「変になっちゃった」


 笑おうとする。


「でもエマが、私のままだって」


「…………」


「お姉様?」


 レティシアは。


 何も言わず。


 妹を抱きしめた。


「わっ」


「……そうよ」


 強く。


「あなたはアネクシアよ」


「苦しいよ」


「我慢して」


「えぇ……」


 その声を聞いて。


 レティシアは。


 少しだけ笑った。


     ◇


 外では。


 人が逃げている。


 兵士が戦っている。


 テオドールが道を守っている。


 ユリウスが城を空にしようとしている。


 クラウスが原因を追っている。


 皇帝が命令を出している。


 マリアが負傷者を支えている。


 レオンハルトが片目で馬を走らせている。


 セリシアが。


 帰ってくる。


 みんなが。


 できることをしていた。


 だから。


 多くの人が。


 生きていた。


     ◇


 それでも。


     ◇


 王都の東。


 女が。


 崩れた城壁を越えた。


     ◇


 その瞬間。


 王都に残っていた魔物たちが。


 一斉に。


 鳴いた。


     ◇


 咆哮。


 悲鳴。


 羽音。


 地響き。


 ありとあらゆる音が。


 一つになる。


     ◇


「何……?」


 アネクシアが顔を上げる。


     ◇


 女も。


 王城を見た。


     ◇


 近い。


     ◇


 もう。


 壁はなかった。


     ◇


 セリシアは。


 遠くに王城を見た。


「見えた!」


 煙の向こう。


 傷ついた城壁。


 逃げる人々。


 燃える街。


 それでも。


 まだ立っている。


「アネクシア……!」


 馬を走らせる。


 もっと速く。


 もっと。


     ◇


 帰らなければ。


     ◇


 妹のところへ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。