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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第36章 慟哭・前編


 最初に崩れたのは、東門ではなかった。

 その手前。

 避難民を守るために組まれた、兵士たちの列だった。

「撃て!」

 号令と同時に、矢が空を埋めた。

 魔法が続く。

 火。

 風。

 土。

 先頭を走っていた魔物が倒れる。

 一頭。

 二頭。

 その後ろから。

 さらに来る。

「次!」

「撃て!」

 また倒れる。

 それでも。

 止まらない。

 魔物たちは兵士を目指しているのではなかった。

 王都を襲いたいわけでもない。

 ただ。

 逃げている。

 だからこそ。

「止まらない!」

「足を狙え!」

「大型を優先しろ!」

「小型は通していい!」

「避難民の方へ行かせるな!」

 命令が飛ぶ。

 兵士たちは動く。

 誰も逃げない。

 誰も判断を止めない。

 それでも。

 数が多すぎた。

「東門、閉鎖まであとどれくらいだ!」

「まだです!」

「住民は!」

「残っています!」

「なら閉めるな!」

 門の向こう。

 人々が走ってくる。

 子供を抱えた母親。

 老人の手を引く男。

 荷物を捨てた商人。

 泣く子供。

 その背後。

 地面が揺れている。

「走れ!」

 兵士が叫ぶ。

「荷物は捨てろ! 走れ!」

 一人。

 また一人。

 門を抜ける。

「もう少しだ!」

 その時。

 大きな影が跳ねた。

「――上!」

 大型の魔物。

 前方を塞がれ。

 それでも止まれず。

 兵士たちの列を飛び越えた。

 城壁へ。

「避けろ!」

 轟音。

 石が砕ける。

 悲鳴が上がった。

     ◇

「東門で突破!」

 報告を聞いた皇帝が立ち上がった。

「被害は!」

「確認中です!」

「避難民は!」

「まだ残っています!」

「予備隊を出せ!」

「はい!」

「東だけではありません!」

 別の伝令が飛び込む。

「北東部でも魔物の群れを確認!」

「数は!」

「分かりません!」

 また。

「南東部からも!」

 また。

「王都東部の村より救援要請!」

 また。

 報告が重なる。

 昨日まで一つずつ処理できていた異変が。

 同時に。

 いくつも。

「お父様!」

 レティシアが地図を見る。

「西街道を避難専用にする!」

「物資は!」

「南へ回す!」

「できるか!」

「やる!」

「任せた!」

 レティシアが走る。

「ユリウス!」

「はい!」

「王城内の避難を始めろ!」

「承知しました!」

「使用人もだ!」

「はい!」

「クラウスは!」

「東門へ向かっています!」

「呼び戻せ!」

 皇帝は言った。

「もう調べる段階じゃない!」

     ◇

「下がってください!」

 クラウスは叫んだ。

「前へ出る必要はありません!」

「でも!」

「討伐ではない!」

 兵士を見る。

「追わなくていい! 王都から抜けるなら通せ!」

 目の前。

 小型の魔物が走り抜ける。

 兵士は剣を構えたまま。

 攻撃しない。

 その判断は正しかった。

 魔物も人間を見ない。

 ただ走り去る。

「大型!」

 声。

 クラウスが振り返る。

 建物の向こうから。

 巨大な影。

「道を空けろ!」

「その先に避難民が!」

「――っ」

 クラウスが地図を見る。

「右へ誘導!」

「右は住宅地です!」

「もう避難済みだ!」

 兵士たちが動く。

 魔法を撃つ。

 倒すためではない。

 進路を変えるために。

 爆発。

 魔物が身体を反らす。

 右へ。

「行った!」

「追うな!」

 成功した。

 クラウスは息を吐く。

 まだできる。

 まだ。

 対応できる。

「クラウス様!」

 伝令が来る。

「陛下より帰城命令です!」

「状況は?」

「複数方面で同時発生!」

 クラウスの顔が変わった。

「……始まった?」

「何がです?」

「いえ」

 東を見る。

 原因は。

 まだ見えない。

「戻ります」

     ◇

 アネクシアにも。

 音が聞こえた。

 遠く。

 何かが壊れる音。

「エマ」

「大丈夫です」

 すぐに返事が来た。

「でも」

「大丈夫です」

 地下の避難区画。

 人が増えている。

 使用人。

 子供。

 負傷した兵士まで運び込まれ始めていた。

「これ、血……」

「殿下」

 エマが視界を遮る。

「こちらへ」

「外で何が起きてるの?」

「魔物が王都へ入り始めたそうです」

「お父様は?」

「お仕事をされています」

「レティシアお姉様は?」

「同じく」

「セリシアお姉様は?」

 エマが一瞬だけ止まった。

「戻っておられます」

「まだ?」

「……はい」

 アネクシアは俯いた。

 胸の奥。

 さっきから。

 ずっと。

 変だった。

 近い。

 何かが。

 どんどん。

 近づいている。

 怖い。

 はずなのに。

 それだけではない。

 知らないものが近づいているのに。

 なぜか。

 知っているような気がする。

「……誰なの」

 小さく呟く。

 答えはない。

 代わりに。

 また。

 頭の中に景色が流れ込んだ。

 炎。

 崩れる塔。

 赤い空。

 そして。

 銀色の髪。

「――っ」

「殿下?」

 アネクシアは頭を押さえた。

「また……」

「また?」

「見えるの」

「何がです?」

「分かんない」

 違う。

 さっきより。

 はっきりしている。

 炎の中。

 小さな少女。

 銀色の髪。

 紫色の瞳。

 こちらを見ている。

 ――違う。

 こちらではない。

 あれは。

「……私?」

     ◇

 馬が止まった。

「どうした!」

 レオンハルトが叫ぶ。

 前方。

 街道を塞ぐように、人が集まっている。

「避難民です!」

 兵士が答えた。

「東部の村から!」

「王都へ向かってるの?」

 セリシアが馬を寄せる。

「いえ! 王都へ入れず、西へ迂回しています!」

「怪我人は!」

「います!」

 セリシアは馬から降りた。

「セリシア」

「分かってます!」

 レオンハルトを見る。

「五分だけ!」

「三分だ!」

「四分!」

「分かった!」

 セリシアが走る。

「怪我人をこちらへ!」

 声を聞いた人々が振り返る。

「聖女様……?」

「セリシア様!」

 光が広がる。

 傷。

 血。

 折れた腕。

 動けない足。

 一人ずつ。

 全部は無理でも。

 動けるように。

「次!」

「殿下!」

 マリアが人を整理する。

「重傷者から! 歩ける方は西へ!」

「子供を先に!」

「はい!」

 泣いていた子供が母親に抱かれる。

「ありがとう、ございます……!」

「いいから行って!」

 セリシアが次を見る。

 その時。

 地面が揺れた。

「……何?」

 レオンハルトが東を見る。

「全員、伏せろ!」

 森から。

 何かが飛び出した。

 巨大な魔物。

 避難民。

 一直線。

「――っ!」

 セリシアが手を上げる。

 光。

 壁。

 魔物がぶつかる。

 轟音。

「きゃあっ!」

「走って!」

 セリシアが叫ぶ。

「今のうちに!」

 魔物が身を起こす。

 もう一度。

 壁へ。

「セリシア!」

「大丈夫!」

 だが。

 別の方向。

 子供が一人。

 転んだ。

 母親の手から離れて。

「――!」

 レオンハルトが走った。

「レオンハルト!」

 魔物の尾が振られる。

 子供を抱える。

 地面へ。

 衝撃。

「ぐっ――!」

「レオンハルト!」

 セリシアの声。

 光が弾ける。

 魔物が横へ逸れる。

 逃げていく。

 追わない。

 セリシアはすぐに駆け寄った。

「レオンハルト!」

「……子供」

「無事です!」

 マリアが抱き上げる。

「殿下!」

 レオンハルトが顔を上げる。

 セリシアの息が止まった。

 血。

 顔の片側。

「目……」

「後でいい」

「よくない!」

「見える」

「片方でしょう!」

「片方あれば馬には乗れる」

「何言ってるんですか!」

「セリシア」

 残った目で。

 彼は王都を見る。

「行くんだろ」

「…………」

「なら行こう」

 セリシアの手が震えた。

 それでも。

 傷へ光を当てる。

 血を止める。

「絶対に」

 声が震える。

「絶対に後でちゃんと治しますから」

「ああ」

「約束です」

「分かった」

 レオンハルトは立ち上がった。

「約束だ」

     ◇

 王都の鐘が。

 変わった。

 避難を知らせる鐘。

 レティシアは足を止めた。

「……王都全体?」

「東部から侵入した魔物が増えています!」

「西は!」

「まだ安全です!」

「避難を始めて!」

「はい!」

「城下から順番に! 走らせない! 子供と老人を先に!」

「殿下!」

「何!」

「ヴァレンティス家から、追加の人員が到着しました!」

「物資へ回して!」

「はい!」

 走る。

 次。

 次。

 次。

 考える暇はある。

 まだ。

 道はある。

 人もいる。

「レティシア!」

 クラウスが向こうから走ってくる。

「クラウス!」

「東門は一部突破されました!」

「知ってる!」

「原因はまだ東です!」

「分かるの?」

「逃走方向から!」

 クラウスが地図を開く。

 走りながら。

「ここ!」

「……近い」

「はい!」

「どれくらい!」

「分かりません!」

「またそれ!」

「でも!」

 クラウスがレティシアを見る。

「まだ王都の外です!」

「なら、その間に出せるだけ人を出す!」

「はい!」

 二人が同時に走り出す。

 別々の方向へ。

「クラウス!」

 レティシアが振り返る。

「何です!」

「死なないでよ!」

 一瞬。

 クラウスが止まった。

「……殿下も!」

「返事が遅い!」

「申し訳ありません!」

「そういうところ!」

 レティシアは走った。

 クラウスも。

 まだ。

 二人とも。

 次があると思っていた。

     ◇

 女は。

 王都のすぐ近くまで来ていた。

 騒がしい。

 人間が走っている。

 魔物も走っている。

 何かが壊れている。

 煙も見える。

「…………」

 自分が近づいたから。

 魔物が逃げた。

 それは分かっている。

 だが。

 人間がなぜ騒いでいるのか。

 少し考えた。

 魔物が邪魔なのだろう。

 なら。

 消せばいい。

 そう思った。

 手を上げる。

 その時。

 止まった。

「…………?」

 少女の気配。

 揺れた。

 強く。

 自分へ反応するように。

 女は手を下ろした。

「……なぜ?」

 未来で。

 何度も。

 見た。

 少女。

 まだ銀色ではない。

 まだ紫ではない。

 なのに。

 確かに。

 同じ。

 女は王都へ向かって。

 一歩。

 進んだ。

     ◇

「――っ!」

 アネクシアの身体が跳ねた。

「殿下!」

 熱い。

 今度は。

 熱い。

 身体の中。

 何かが。

 開く。

「痛い……」

「どこが!」

「分かんない!」

 エマが抱きしめる。

「誰か! 治癒術師を!」

 声。

 人。

 全部が遠くなる。

 魔力。

 自分の中にあったもの。

 ずっと。

 そこにあったもの。

 それが。

 急に。

 形を変える。

「やだ……」

「殿下!」

「エマ……」

「ここにおります!」

「怖い」

「はい」

「何これ」

「大丈夫です」

「分かんない」

「大丈夫です!」

 エマの声。

 その声だけを掴む。

 けれど。

 別の何かが。

 もっと深いところから。

 アネクシアを見ていた。

     ◇

 炎。

 赤い空。

 銀色の少女。

 紫の瞳。

 その向こう。

 女。

     ◇

 目が合った。

     ◇

「――あ」

 アネクシアが呟いた。

 知らない。

 初めて見る。

 なのに。

 分かる。

 あの人だ。

 近づいてきていた。

 ずっと。

 自分を探して。

「……誰?」

     ◇

 女も。

 少女を見た。

 壁も。

 石も。

 距離も。

 関係なかった。

 存在そのものが。

 重なる。

「…………」

 未来で見た。

 少女。

 間違いない。

 見つけた。

 ようやく。

 女は。

 ほんの少しだけ。

 笑った。

     ◇

 その瞬間。

 アネクシアの中で。

 何かが。

 割れた。

     ◇

 光ではなかった。

 音でもなかった。

 けれど。

 王城の中にいた魔術師たちは。

 一斉に顔を上げた。

「……何だ?」

 魔力。

 膨大な。

 あり得ないほどの。

 魔力。

 地下から。

「陛下!」

「どうした!」

「王城内で魔力反応!」

「どこだ!」

「地下です!」

 皇帝の顔から。

 血の気が引いた。

「……アネクシア」

     ◇

「殿下!」

 エマの声が聞こえる。

 遠い。

 身体が熱い。

 苦しい。

 何かが流れ込んでくる。

 違う。

 流れ込んでいるのではない。

 最初から。

 ここにあった。

「エマ……」

「はい!」

「手」

「ここです!」

 握る。

 温かい。

 いつもの手。

「離さないで」

「もちろんです」

「約束?」

「はい」

 エマは強く握り返した。

「約束です」

 その瞬間。

 地下全体が揺れた。

     ◇

 轟音。

「何!」

 レティシアが王城を見る。

 窓。

 壁。

 震える。

「城内です!」

「何が!」

「分かりません!」

 また。

 分からない。

 でも。

 今度は。

 レティシアの顔が変わった。

「アネクシアは?」

 誰も。

 すぐに答えなかった。

「アネクシアはどこ!」

「地下避難区画です!」

 走る。

「殿下!」

「どいて!」

「危険です!」

「妹がいるの!」

 階段へ。

 その途中。

 床が。

 大きく揺れた。

     ◇

 王都の外。

 女が止まる。

「…………」

 少女の気配が。

 変わった。

 知っている。

 これは。

 自分に近い。

 あまりにも。

「……そういうこと」

 初めて。

 少しだけ。

 理解した。

 なぜ。

 あの少女を。

 未来で何度も見るのか。

 その答えではない。

 ただ。

 少女が何なのか。

 その一部だけ。

 女は。

 もう一歩。

 進んだ。

     ◇

 アネクシアが。

 顔を上げる。

「……殿下?」

 エマが。

 息を止めた。

 髪は。

 黒いまま。

 けれど。

 その瞳の奥。

 黒。

 その中に。

 ほんの一瞬だけ。

 紫が灯った。

 消える。

 また。

 灯る。

「エマ……?」

「殿下」

 エマの声が震えた。

 それでも。

 手は離さない。

「ここにおります」

 アネクシアは。

 泣いていた。

「怖いよ」

「はい」

「お姉様……」

「戻ってこられます」

「お父様……」

「いらっしゃいます」

「レティシアお姉様……」

「皆様、いらっしゃいます」

「エマ」

「はい」

 強く。

 手を握る。

「ずっといて」

 エマは。

 いつものように。

 少しだけ笑った。

「もちろんでございます」

     ◇

 その時。

 王都東部で。

 城壁が崩れた。

     ◇

 そして。

 遠くから。

 セリシアにも。

 その音が聞こえた。

「……王都?」

 馬上で顔を上げる。

 煙。

 遠く。

 空へ昇っている。

「セリシア!」

 レオンハルトが叫ぶ。

「行きます!」

 馬を走らせる。

「アネクシア……!」

 その名前を。

 何度も。

 呼びながら。


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