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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第30章 異変

 最初の報告が届いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


「北街道で、魔物の群れを確認?」


 レティシアは、机の上に置かれた報告書へ目を落とした。


 数は多い。


 だが、討伐隊で対処できないほどではない。


 街道を一時封鎖し、近隣の村には外出を控えるよう通達。商隊についても迂回路への誘導が始まっている。


 対応としては、何もおかしくない。


「被害は?」


「現在のところ、確認されておりません」


「そう」


 ならば、ひとまずはいい。


 そう思って、次の書類へ手を伸ばした。


 その手が止まった。


「……待って」


「はい?」


「この魔物たち、どこから来たの?」


 報告を持ってきた役人が、わずかに言葉に詰まった。


「それが……」


 答えを聞く前に、扉が叩かれた。


「失礼いたします!」


 今度は別の役人だった。


 手には、また一枚の報告書。


「西部より急報です。街道付近で複数の魔物を確認。現在、警備隊が対応に向かっています」


「西?」


 レティシアは顔を上げた。


「北ではなく?」


「はい。西です」


 二枚の報告書を並べる。


 北と西。


 ほぼ同じ時間。


「……クロイツェル家にも伝えて」


「すでに使者を出しております」


「ならいいわ」


 レティシアは立ち上がった。


「私も行く」


     ◇


「増えましたね」


 クラウスは地図を見ていた。


 先日まで四つだった印。


 その隣に、新しい印が置かれている。


 一つ。


 そして、もう一つ。


「ずいぶん簡単に言うな」


 テオドールが腕を組む。


「この前は一個増えただけで、あれだけ難しい顔してたじゃないか」


「数だけなら、です」


「数だけ?」


 クラウスは答えず、机の上に並べられた報告書へ視線を戻した。


 魔物の種類。


 発見場所。


 時間。


 移動方向。


 討伐の有無。


 被害。


 どれも一件ずつなら、珍しい報告ではない。


 魔物が街道に現れることはある。


 群れが移動することもある。


 生息域から離れた場所で見つかることも、絶対にないわけではない。


 だからこそ。


「クラウス」


 ユリウスが呼んだ。


「何が気になる?」


「まだ分かりません」


「またそれか」


 テオドールがため息をつく。


「便利だな、その答え」


「分からないものを分かったとは言えません」


「はいはい」


 軽く返しながらも、テオドールの目は地図から離れなかった。


 やがて扉が開く。


「失礼します」


「レティシア殿下」


 クラウスが立ち上がった。


「座ったままでいいわ。新しい報告は?」


「二件です」


「こちらも二件」


 部屋の空気が変わった。


 レティシアが持ってきた書類が机に置かれる。


 クラウスは一枚目に目を通した。


「これは、北街道のものと同じですね」


「ええ。こちらは街道管理側から上がった報告よ」


 別の経路から、同じ異常が上がっている。


 クラウスはもう一枚を開いた。


「こちらは?」


「別件」


 クラウスは地図へ新しい印を置いた。


「七つ」


 テオドールが数えた。


「先日は四つだったな」


「同じものとは限りません」


 ユリウスが言う。


「はい」


 クラウスも頷いた。


「むしろ――」


 言葉が止まった。


 もう一枚。


 レティシアが持ってきた報告書を読む。


 地図を見る。


 先ほどの報告を見る。


 もう一度、地図。


「クラウス?」


「……少し待ってください」


 今度は移動方向だけを確認する。


 北。


 西。


 南東。


 北西。


 ばらばらだった。


「何か見つけたの?」


「まだです」


「じゃあ、その顔は何よ」


 レティシアに言われ、クラウスは眉間に触れた。


「そんな顔をしていますか」


「してる」


「そうですか」


「兄上は昔から考え込むとそうなるぞ」


「テオドール」


「はい」


 叱られても、テオドールは少し笑った。


 だが、それも長くは続かなかった。


 再び、扉が叩かれたからだ。


「失礼いたします!」


 入ってきた兵士は、息を切らしていた。


「東街道より急報です!」


 全員の視線が向く。


「魔物の群れが街道を横断。現在、東へ移動しています!」


「数は?」


「確認できただけで三十以上!」


「被害は?」


「ありません。警備隊は交戦を避け、街道を封鎖しています」


 レティシアがすぐに聞く。


「近隣の村は?」


「避難の準備に入っています!」


「討伐隊は?」


「すでに向かっています!」


 対応はできている。


 まだ、できている。


 レティシアは地図へ近づいた。


「東へ?」


「はい」


 クラウスが、新しい報告を受け取る。


 種類を確認した。


 場所を確認した。


 そして。


「……違う」


 小さく呟いた。


「何が?」


 レティシアが聞く。


 クラウスは答えなかった。


 机に散らばった報告書を集め始める。


「クラウス?」


「ユリウス兄上。以前の報告も全部ここへ」


「全部?」


「はい。討伐報告だけではありません。目撃だけで終わったものも。商隊、村、警備隊――魔物の移動が記録されているものは、可能な限り」


 ユリウスは一瞬だけ弟を見た。


「分かった」


「テオドール」


「今度は俺か」


「城の記録もお願いします」


「どこまで?」


「一か月」


「多いな」


「お願いします」


「分かったよ」


 二人が動く。


 レティシアは残った。


「何が違うの?」


「今までの報告は、少なくとも説明できました」


「説明?」


「餌を求めた。縄張りを追われた。繁殖期だった。気候が変わった。可能性はいくつもあります」


「今回は?」


 クラウスは東街道の報告を見る。


「分かりません」


「それなら、今までと同じじゃない」


「いいえ」


 クラウスは首を振った。


「今までは、理由が分からなかった」


 地図を見る。


「今回は――」


 また、扉が叩かれた。


 二人とも、そちらを向いた。


「失礼します!」


 また報告だった。


 南部。


 魔物の群れ。


 移動中。


 被害なし。


 警備隊が対応。


 レティシアは何も言わなかった。


 クラウスも何も言わない。


 ただ、新しい印を地図へ置いた。


「……陛下に報告しましょう」


 レティシアが言った。


「はい」


「まだ何も分かってないけど」


「だからです」


 クラウスは地図から目を離さなかった。


     ◇


 皇帝への報告は、すぐに行われた。


「街道の封鎖は?」


「必要な箇所から順次」


「村への連絡は?」


「進めています」


「討伐隊は」


「すでに出ています」


 返ってくる答えに、皇帝は一つずつ頷いた。


「なら、そのまま続けろ。討伐を急がせるな。住民と街道の安全を優先する」


「はい」


「商隊には迂回路を。食料の輸送に影響が出るなら、備蓄を確認しろ」


 指示が飛ぶ。


 人が動く。


 国は、いつも通り動いていた。


「それから」


 皇帝が言った。


「セリシアにも知らせろ」


 一瞬だけ、部屋が静かになった。


「現在、グランヴェルへ向かわれております」


「分かっている」


 皇帝は短く答えた。


「だから知らせるんだ」


「承知いたしました」


 使者が下がる。


 レティシアは、その背中を見送った。


 一昨日まで、三人で街を歩いていた。


 昨日は、グランヴェルへ持っていく贈り物を渡した。


 今朝、セリシアは城を発った。


 まだ、それだけしか経っていない。


「お父様」


「なんだ」


「呼び戻しますか?」


 皇帝はすぐには答えなかった。


「まだだ」


 地図を見る。


「今のところ、通常の戦力で対応できている。婚約披露も国同士の予定だ。理由も分からないまま呼び戻す必要はない」


「……はい」


「ただし、状況が変わればすぐに戻ってもらう」


「分かりました」


 それで話は終わった。


 誰も、その判断に異論はなかった。


     ◇


 夕方。


 クラウスの前には、一か月分の記録が積まれていた。


「持ってきたぞ」


 テオドールが最後の束を置く。


「ありがとうございます」


「礼はいいから、そろそろ何か教えてくれ」


「まだです」


「お前なあ」


 クラウスは紙をめくる。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 途中で手が止まった。


 古い記録を横に置く。


 今日の報告を置く。


 さらに別の一枚。


「……これも」


「何だ?」


 クラウスは答えない。


 地図へ手を伸ばす。


 印を見る。


 移動方向を見る。


 これまで、自分たちは魔物がどこへ向かっているのかを見ていた。


 だが。


 もし。


「兄上」


「なんだ」


「魔物が向かっている先ではなく――」


 クラウスの指が、一つの印に触れる。


「どこから離れようとしているのかを見るべきだとしたら?」


 テオドールの表情から、笑みが消えた。


「……何から逃げてるっていうんだ?」


「分かりません」


 クラウスは答えた。


 そして、地図を見つめる。


「まだ」


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