第29章 行ってらっしゃい
朝から、城の前はいつもより騒がしかった。
馬車が並んでいる。
荷物が運ばれている。
護衛の兵士たちが最後の確認をしている。
その真ん中で。
「多くない?」
アネクシアは首を傾げた。
「何が?」
「荷物」
「そう?」
セリシアが馬車を見る。
「多いよ」
「必要なものだけよ?」
「馬車何台あるの?」
「数えなくていいの」
「なんで?」
「……必要なものだからよ」
「今考えたでしょ」
「考えてないわ」
「セリシア様」
後ろからマリアが声をかけた。
「何?」
「最後に追加された二箱について、ご説明いただけますでしょうか」
セリシアが黙った。
「二箱?」
アネクシアが聞く。
「何入れたの?」
「……服」
「必要なもの?」
「必要よ」
「昨日までなかったのに?」
「必要になったの」
「セリシア様」
「マリア、そんな顔しないで」
「どのような顔でございましょう」
「怒ってる顔」
「怒ってはおりません」
「ほんと?」
「はい。ただ、出立当日の朝に荷物を増やされますと、確認をやり直す者がおります」
「……ごめんなさい」
「よろしい」
アネクシアが笑った。
「セリシアお姉様、怒られてる」
「あなたも一昨日、市場で何回エマに怒られたの?」
「怒られてないよ」
「注意されてたでしょう」
「怒られてない」
「同じようなものじゃない?」
「違うよ」
「どう違うの?」
「エマ」
「私に聞かないでくださいませ」
少し離れたところで、父が笑った。
「朝から元気だな」
「お父様!」
アネクシアが駆け寄る。
「見送り?」
「ああ」
「お仕事は?」
「このくらいの時間はある」
「大丈夫にした?」
父が一瞬、目を丸くした。
それから笑った。
「ああ。大丈夫にした」
「そっか」
アネクシアも笑う。
◇
「レティシアお姉様は?」
アネクシアは辺りを見回した。
何となく分かっていた。
それでも聞いた。
「今日はヴァレンティスの会合だ」
父が答えた。
「朝から?」
「ああ」
「来れない?」
「難しいだろうな」
「そっか」
一昨日、三人で遊んだ。
市場へ行って。
噴水を見て。
お菓子を食べて。
本屋にも行った。
だから、会えなかったわけではない。
「昨日、レティシアから預かったわ」
セリシアが小さな包みを見せた。
「何それ?」
「向こうで開けて、ですって」
「中身知らないの?」
「知らないわ」
「開けよう」
「向こうでって言われたでしょう?」
「ちょっとだけ」
「駄目」
「なんで?」
「レティシアが向こうでって言ったから」
「気になる」
「私も気になるわよ」
「じゃあ開けようよ」
「駄目」
「セリシアお姉様、真面目」
「そうよ?」
「マリアに怒られてたのに?」
「それは関係ないでしょう!」
「アネクシア様」
エマが小声で言う。
「そろそろお許しして差し上げては」
「エマまで!」
マリアが小さく笑った。
◇
出立の準備は着々と進んでいた。
最後の荷物が積み込まれる。
馬の状態が確認される。
護衛の責任者が父へ報告する。
「予定通り、昼過ぎには国境付近へ到着できる見込みです」
「分かった」
「街道についても、今朝の時点で異常なしとの報告を受けております」
「途中で何かあれば無理をするな」
「はっ」
「セリシア」
「はい」
父に呼ばれ、セリシアが向き直る。
「向こうへ着いたら知らせを寄越しなさい」
「分かりました」
「レオンハルト殿にもよろしく伝えてくれ」
「はい」
「それから」
父が少し止まる。
「無理はするな」
セリシアが笑った。
「お父様までマリアみたいなことを言うのね」
「それだけお前が信用されていないということだ」
「ひどい」
「陛下」
マリアが言う。
「その点につきましては、私も同意いたします」
「マリア!?」
「ほら」
「二人ともひどいわ」
「セリシアお姉様、無理するの?」
「しないわよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「魔物いたら?」
「必要なら助けるわ」
「するじゃん」
「それと無理することは別よ」
「同じじゃない?」
「違うの」
「なんで?」
「それは……」
セリシアが考える。
「私が聖女だから?」
「それずるい」
「エマの真似」
「私を巻き込まないでくださいませ」
また父が笑った。
「まあいい。向こうにはレオンハルト殿もいる」
「ええ」
「一人で全部背負おうとするな」
今度は、セリシアもすぐには答えなかった。
「……はい」
短く頷く。
◇
「アネクシア」
「なに?」
「これ」
セリシアが小さな袋を差し出した。
「何?」
「一昨日買ったお菓子」
「セリシアお姉様の分じゃん」
「一つ余ったから」
「食べないの?」
「向こうにも持っていくもの」
「じゃあ食べる」
「早いわね」
「今食べていい?」
「朝食食べたでしょう?」
「じゃあ後で」
「ちゃんと後で食べるのよ」
「うん」
アネクシアは袋を受け取った。
「セリシアお姉様」
「ん?」
「グランヴェル着いたら何するの?」
「まずは王宮へ行って、陛下にご挨拶ね」
「そのあと?」
「レオンハルト様と婚約披露の確認」
「そのあと?」
「ドレスの確認もあるかしら」
「また変える?」
「変えないわよ!」
「ほんと?」
「もう決めたの!」
「四回目ない?」
「ない!」
マリアが後ろで小さく咳払いをした。
「……たぶん」
「セリシア様」
「変えません!」
「よろしい」
「マリア怖いね」
「誰のせいだと思ってるの?」
「セリシアお姉様」
「そうね!」
セリシアは諦めたように笑った。
「婚約披露が終わったら?」
「少し向こうで過ごすわ」
「冬まで?」
「ずっとじゃないわよ。こっちにも戻ってくるし、手紙も書く」
「レオンハルト様にも言っておいてね」
「何を?」
「冬のお店」
「ああ」
セリシアが笑う。
「ちゃんと調べておいてくださいって?」
「うん」
「分かったわ」
「いっぱいね」
「はいはい」
「美味しいところ」
「注文が多いわね」
「だって楽しみなんだもん」
「そうね」
セリシアが微笑む。
「私も楽しみ」
◇
「そろそろ出立いたします」
護衛の声がした。
「もう?」
「予定の時間よ」
セリシアが答える。
「早い」
「さっきからずっとここにいたでしょう?」
「でも早い」
「また会えるわよ」
「分かってる」
アネクシアはセリシアを見る。
昨日までと同じ姉だった。
少し綺麗な服を着ている。
旅用だから、婚約披露のドレスほど派手ではない。
でも、いつもより少しだけ大人に見えた。
「アネクシア」
「うん」
「お父様の言うことを聞くのよ」
「うん」
「エマを困らせない」
「……うん」
「今ちょっと遅かったわよ?」
「困らせないように頑張る」
「そこは困らせないって言いなさい」
「難しい」
「難しいの?」
「セリシア様」
エマが言う。
「善処していただけるだけでも十分でございます」
「エマ!」
「日頃の行いね」
「ひどい!」
セリシアが笑う。
それからアネクシアの前に屈んだ。
「行ってくるね」
「うん」
「ちゃんと手紙書くから」
「私も書く」
「待ってる」
「レティシアお姉様にも?」
「もちろん」
「三人で書いたらいっぱいになるね」
「読むの大変そう」
「いっぱい書く」
「ほどほどにしてね」
「なんで?」
「返事を書くのも大変だから」
「じゃあいっぱい返して」
「もっと大変になるじゃない」
アネクシアが笑う。
セリシアも笑った。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
セリシアが立ち上がる。
父の前へ行った。
「お父様」
「ああ」
「行ってまいります」
「気をつけてな」
「はい」
父はそれだけ言って、セリシアの頭に手を置いた。
「……子供じゃないのよ?」
「知っている」
「もう」
そう言いながら、セリシアは嬉しそうだった。
マリアが一礼する。
「陛下。アネクシア様。行ってまいります」
「セリシアを頼む」
「承知いたしました」
「マリアも気をつけてね」
「ありがとうございます、アネクシア様」
「セリシアお姉様がドレス変えようとしたら止めて」
「お任せくださいませ」
「ちょっと!」
◇
馬車が動き始めた。
「セリシアお姉様!」
窓が開く。
「なにー?」
「行ってらっしゃい!」
「行ってきまーす!」
「手紙!」
「書くー!」
「お菓子!」
「レオンハルト様に言っておくー!」
馬車が少しずつ遠ざかる。
アネクシアは手を振った。
セリシアも窓から手を振っている。
「もう聞こえないぞ」
父が言った。
「まだ見えるもん」
「そうか」
だから、もう少しだけ手を振った。
やがて馬車は城へ続く道を曲がり、見えなくなった。
「行っちゃった」
「ああ」
「お城、静かになるね」
「少しはな」
「レティシアお姉様は今日帰ってくる?」
「夕方には戻るだろう」
「じゃあ、お菓子一緒に食べようかな」
「一昨日買ったものか?」
「うん。セリシアお姉様にもらったのもある」
「そうか」
「お父様も食べる?」
「仕事が終わったらな」
「何時?」
「分からん」
「じゃあ早く終わらせて」
「努力しよう」
「大丈夫にして」
父が笑った。
「毎回できるわけではない」
「じゃあ今日は?」
「……なるべくな」
「分かった」
アネクシアは城へ向かって歩き出した。
途中で一度だけ振り返る。
もう馬車は見えなかった。
「エマ」
「はい」
「セリシアお姉様から手紙、何日くらいで来る?」
「早ければ数日ほどでしょうか」
「じゃあすぐだね」
「ええ」
「私も今日書いていい?」
「もちろんでございます」
「何書こう」
「まずは先ほどお伝えになれなかったことからでは?」
「全部言ったよ?」
「では、今日あったことを」
「まだ朝だよ」
「それでは、今日これからあったことを」
「なるほど」
今日は何をしよう。
何か面白いことがあれば、それを書けばいい。
アネクシアはそんなことを考えながら、父と並んで城へ戻った。




