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第三皇女の約束  作者: トカゲ


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第28章 三人でお出かけ

「アネクシア様」


「うん」


「走らないでくださいませ」


「走ってないよ」


「では、その歩き方は何でございましょう」


「早歩き」


「歩いてくださいませ」


「同じじゃん」


「違います」


 城門を出て、まだそれほど経っていない。


 それなのに、エマはすでに三度目の注意をしていた。


「アネクシア」


 隣を歩いていたレティシアが呆れたように言う。


「市場は逃げないわよ」


「でも早く行きたい」


「分かってるから」


「レティシアお姉様は楽しみじゃないの?」


「楽しみよ」


「じゃあ早く行こうよ」


「だから走らないの」


「なんで?」


「人がいるからよ!」


 少し後ろから、セリシアの笑い声が聞こえた。


「朝から元気ね」


「セリシアお姉様が遅いんだよ」


「普通に歩いてるわよ?」


「アネクシア様が速いのでございます」


 マリアが言う。


「やっぱり早歩きじゃん」


「お認めになりましたね」


「あ」


 エマが小さく息を吐いた。


「戻りましょうか」


「ごめんなさい」


「よろしい」


「エマ、今日ちょっと厳しくない?」


「市場へ到着する前にアネクシア様を見失いたくございませんので」


「見失わないよ」


「それを判断するのは私でございます」


「なんで?」


「侍女でございますので」


「それずるい!」


「便利よね、その言葉」


 セリシアが笑った。


     ◇


 中央市場は、アネクシアが想像していたよりずっと騒がしかった。


 道の両側に店が並び、その間を大勢の人が行き交っている。


 野菜。


 果物。


 肉。


 魚。


 布。


 食器。


 見たことのない道具。


 香辛料の匂いと、焼いた肉の匂い。


 誰かの呼び声。


 値段を交渉する声。


 荷車の音。


 全部が一緒になっている。


「すごい!」


「アネクシア様」


「走らない!」


 エマより先にレティシアが言った。


「まだ走ってないよ!」


「走ろうとしたでしょう」


「してない」


「したわ」


「してない」


「足がこうなってたわよ」


 レティシアが片足を少し前に出す。


「なってないよ!」


「なってたわ」


「セリシアお姉様!」


「なってたわね」


「二人ともひどい!」


「多数決ね」


「そういう時だけ二人で組む!」


 護衛たちは少し離れた場所を歩いている。


 完全に目立たない、とはいかなかった。


 それでも城を出る時に想像していたほど窮屈ではない。


「これ何?」


 アネクシアが店先を指差した。


「芋ね」


「知ってる」


「じゃあ聞かないでよ」


「この形のやつ知らない」


「種類が違うのよ」


「味も違う?」


「少しは」


「食べたい」


「朝食を食べたばかりでしょう」


「一個くらいなら」


「お昼も食べるのよ?」


「じゃあ半分」


「誰と?」


「レティシアお姉様」


「なんで私なのよ」


「半分食べて」


「セリシアに頼みなさい」


「私はいいわよ」


「ほら」


「セリシア、甘やかしすぎよ」


 そんな話をしている間に、店の主人がこちらに気づいた。


 一瞬、目を丸くする。


 それから慌てて頭を下げようとした。


「そのままでいいわ」


 セリシアが先に声をかける。


「今日は買い物に来ただけなの」


「は、はい」


「これ、一ついただける?」


「もちろんでございます!」


 結局、芋は一つ買った。


 三人で分けた。


「美味しい」


「でしょう?」


「レティシアお姉様、知ってたの?」


「食べたことくらいあるわよ」


「市場で?」


「市場じゃないけど」


「じゃあ私の方が先だね」


「何が?」


「市場で食べたの」


「競ってないわよ」


     ◇


 市場を半分ほど進んだところで、アネクシアがまた止まった。


「これ何?」


「それは香辛料よ」


「こっちは?」


「香辛料」


「これも?」


「香辛料」


「全部?」


「全部」


「色違うよ?」


「種類が違うもの」


「匂い嗅いでいい?」


「やめた方が――」


「っくしゅん!」


 遅かった。


 セリシアが笑う。


「大丈夫?」


「鼻痛い……」


「だから言ったでしょう」


「言うの遅いよ」


「あなたが嗅ぐのが早いの!」


 店主まで笑いを堪えている。


 アネクシアは鼻を押さえながら、隣の店を見る。


「今度は何?」


「魚」


「それは分かる」


「成長したわね」


「馬鹿にしてる?」


「してないわよ」


 そう言いながら、レティシアは笑っていた。


 市場には、知らないものがいくらでもあった。


 城で食べている野菜が、切る前は思っていた形と違った。


 料理に入っていた香辛料は、単体では変な匂いがした。


 同じ果物でも、大きさによって値段が違う。


「なんで?」


 聞けば、誰かが答えてくれる。


 レティシアが知っていることもあった。


 セリシアが知っていることもあった。


 二人とも知らなくて、店の人に教えてもらうこともあった。


「アネクシア」


「なに?」


「次に行くわよ」


「もう?」


「もうじゃないの。予定より遅れてるわ」


「どれくらい?」


「少し」


「じゃあ大丈夫」


「あなたね……」


 レティシアが予定を確認する。


 アネクシアはその横から覗き込んだ。


「次、噴水?」


「そうよ」


「行こう!」


「走らない!」


「分かってる!」


     ◇


 噴水広場には、昼前に着いた。


 中央に大きな噴水があり、その周囲を店や建物が囲んでいる。


 市場ほどではないが、人は多い。


「大きい」


「地図では分からなかった?」


「丸しか描いてなかったもん」


「それはそうね」


 アネクシアは噴水の縁へ近づいた。


 水が光を反射している。


「綺麗」


「落ちないでくださいませ」


 エマの声が飛んできた。


「落ちないよ!」


「先ほど香辛料へ顔を近づけた方のお言葉とは思えません」


「関係ないじゃん!」


「エマの方がアネクシアの扱いに慣れてるわね」


 レティシアが言う。


「長い付き合いでございますので」


「私とも長いよ!」


「存じております」


「じゃあもっと信用して」


「しております」


「ほんと?」


「はい」


「じゃあ噴水の近く行っていい?」


「私も参ります」


「信用してない!」


 セリシアがまた笑った。


 その時だった。


「あの……」


 声をかけられた。


 振り向くと、一人の女性が立っていた。


 小さな子供の手を握っている。


 女性はセリシアを見ていた。


「もしかして……聖女様、でしょうか」


 セリシアの表情が少し変わった。


 さっきまで笑っていた姉の顔から、何度も見た聖女の顔へ。


「ええ」


 女性が慌てて頭を下げる。


「先月、夫がお世話になりました。東の街道で怪我をして……」


「東の街道……」


「魔物に襲われた商隊にいたんです」


「ああ」


 セリシアが思い出したように頷いた。


「腕を怪我された方?」


「はい。もう仕事に戻れました。本当に、ありがとうございました」


「よかった」


 セリシアは微笑んだ。


「もう痛みは?」


「ありません」


「そう」


 子供が母親の後ろからセリシアを見上げている。


 セリシアは少し屈んだ。


「お父様、元気?」


 子供が頷く。


「うん!」


「よかった」


 それだけだった。


 女性はもう一度頭を下げ、子供と一緒に去っていった。


 セリシアはしばらく二人の背中を見ていた。


「セリシアお姉様」


「ん?」


「終わった?」


「ええ」


「じゃあご飯!」


「切り替え早くない?」


「お腹空いた」


「さっき芋食べたでしょう」


「あれ三分の一だよ」


「数えてたの?」


「大事だから」


 セリシアが吹き出した。


「そうね。じゃあ行きましょう」


「うん!」


 聖女は立ち上がった。


 そしてまた、姉に戻った。


     ◇


 昼食のあと。


 三人は予定通り焼き菓子の店へ向かった。


「ここよ」


 セリシアが指差す。


「ここ?」


「ええ」


「普通だね」


「どういうお店を想像してたの?」


「もっと大きいの」


「美味しさと大きさは関係ないわよ」


「ほんと?」


「入れば分かるわ」


 店内へ入った瞬間、甘い匂いがした。


 アネクシアの目が輝く。


「いっぱいある」


「でしょう?」


 棚には色々な焼き菓子が並んでいた。


「これ美味しい?」


「美味しいわよ」


「これは?」


「それも」


「こっちは?」


「それも美味しい」


「全部じゃん」


「だから連れてきたの」


「セリシアお姉様、すごい」


「何が?」


「いいお店知ってる」


「もっと褒めてもいいのよ?」


「食べてから」


「厳しいわね」


 レティシアが一つ手に取る。


「これ、前に食べたことあるわ」


「美味しかった?」


「ええ」


「じゃあそれも」


「全部買う気?」


「全部は無理?」


「無理ではないけど……」


「アネクシア様」


 エマの声。


「何個まで?」


「ご自身で食べられる分まででございます」


「じゃあいっぱい」


「本日中に、とは申し上げておりません」


「じゃあもっといっぱい」


「そう来ましたか」


 結局、三人で選んだ。


 アネクシアは自分の分。


 セリシアはグランヴェルへ持っていく分を少し。


 レティシアも城へ持ち帰る分を選んだ。


「クラウスにもあげるの?」


 アネクシアが聞いた。


「なんで!?」


 レティシアが振り返った。


「本借りてるんでしょ?」


「借りてるけど!」


「じゃあお礼」


「本のお礼に焼き菓子を渡す必要はないでしょう!」


「嫌なの?」


「嫌とは言ってないわ!」


「じゃああげる?」


「……余ったら」


「へえ」


 セリシアが言った。


「何よ」


「何でもないわ」


「その顔、テオドールと同じだからやめて」


「テオドール?」


「最近うるさいのよ!」


 アネクシアにはよく分からなかった。


 でも、セリシアは楽しそうだった。


     ◇


 最後は本屋だった。


「静かにね」


 入る前にレティシアが言う。


「分かってる」


「本当に?」


「エマみたいになってるよ」


「あなたと一日一緒にいたら誰でもこうなるのかもしれないわ」


「そんなことないよ」


「ございます」


「エマ!」


 店に入る。


 今度は本当に静かにした。


 アネクシアは棚の間を歩く。


 物語。


 歴史。


 地理。


 魔法。


 知らない文字が並んだ難しそうな本もある。


「これ何の本?」


 小声で聞く。


「昔の法律について」


 レティシアも小声で答えた。


「面白い?」


「私は好きよ」


「クラウスも好きそう」


「……そうね」


「一緒に読めば?」


「なんでそうなるのよ」


「同じの好きなんでしょ?」


「好きなものが同じだからって一緒に読む必要はないの」


「一緒に読んだ方が楽しくない?」


「場合によるわ」


「じゃあ聞いてみれば?」


「アネクシア」


「なに?」


「あなた、今日はやけにクラウスの話をするわね」


「そう?」


「そうよ」


「だってレティシアお姉様、最近クラウスの話よくするから」


「してないわよ!」


 店の中に声が響いた。


 何人かがこちらを見る。


 レティシアが固まった。


 セリシアが口元を押さえる。


「……静かにするんじゃなかったの?」


「誰のせいよ!」


「レティシアお姉様」


「あなたのせいでしょう!」


「しーっ」


「……っ!」


 レティシアは真っ赤になって黙った。


     ◇


 城へ戻る頃には、空が少し赤くなり始めていた。


「疲れた……」


 馬車の中でアネクシアがセリシアにもたれかかる。


「朝は一日中歩けるって言ってなかった?」


 レティシアが言う。


「歩いたもん」


「ええ。よく歩いたわ」


「抱っこしてもらわなかった」


「偉い偉い」


 セリシアが頭を撫でる。


「子供扱いしてる?」


「子供でしょう?」


「セリシアお姉様よりは」


「それを子供って言うのよ」


「レティシアお姉様も疲れた?」


「少しね」


「筋肉痛?」


「ならないわよ!」


「明日は?」


「ならない!」


「ほんと?」


「絶対!」


 セリシアが笑う。


 アネクシアも笑った。


「楽しかったね」


「ええ」


「まあ……楽しかったわ」


「レティシアお姉様、素直じゃない」


「楽しかったって言ったでしょう!」


「また行こうね」


「そうね」


「今度は別の市場も見たい」


「まだ行くの?」


「あと屋台も」


「今日も十分食べたでしょう」


「次は別のやつ」


「胃袋いくつあるのよ」


「一個」


「知ってるわよ」


 アネクシアは笑いながら、セリシアの肩へもう少し体重を預けた。


「でも次はグランヴェルだね」


「ええ」


 セリシアが答える。


「レオンハルト様がお店を調べてくださってるもの」


「全部?」


「全部かは分からないわ」


「全部がいい」


「無茶言わないの」


「レティシアお姉様も来るよね?」


「冬でしょう?」


「うん」


「予定は確認しておくわ」


「絶対?」


「なるべくね」


「絶対がいい」


「……分かったわよ。行けるようにする」


「やった!」


「でも冬までまだ先よ」


「知ってる」


「その前に、セリシアの婚約披露もあるんだから」


「あ」


 アネクシアはセリシアを見る。


「明後日行くんだよね」


「ええ」


「準備できた?」


「たぶん」


「たぶん?」


「ドレスは決まったわ」


「四回目?」


「三回目で決まったの!」


「マリアが喜ぶね」


「もう喜んでるわ」


 セリシアは笑った。


「向こうに着いたら手紙書くね」


「うん」


「市場のことも、レオンハルト様に話そうかしら」


「お菓子美味しかったって言って」


「それだけ?」


「あと、冬にもっと美味しいの食べたいって」


「自分で書きなさい」


「じゃあ書く」


「それがいいわ」


 馬車が城門をくぐる。


 アネクシアは膝の上に置いた包みを見た。


 市場で買った小さな飾り。


 本屋で選んだ一冊。


 それから、三人で選んだ焼き菓子。


「明日これ食べよう」


「まだ食べるの?」


「明日の分だよ」


「今日も食べたでしょう」


「明日は明日」


「元気ねえ」


「セリシアお姉様も食べる?」


「食べる」


「セリシア!」


「一個だけよ?」


「そういう問題じゃないわ」


 また三人で笑った。


 次は何を食べよう。


 アネクシアは、そんなことを考えていた。


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