第27章 地図の印
最初に気づいたのは、クラウスだった。
「……兄上」
「どうした?」
ユリウスは書類から顔を上げた。
「これを」
クラウスが差し出したのは、討伐報告だった。
北部の街道近くで魔物が確認された。
討伐隊が派遣され、すでに処理されている。
負傷者はいない。
街道も通常通り使える。
それだけなら、最近では珍しくもない報告だった。
「問題ないように見えるが」
「はい」
「じゃあ何だ?」
横からテオドールが覗き込む。
「種類です」
「種類?」
「この魔物は、普通ならもっと北にいる」
クラウスは机の上に広げられた地図を指した。
「この辺りです」
王都からかなり離れた場所だった。
そこから指を南へ動かす。
「確認されたのは、ここです」
「移動した?」
「そのように見えます」
「それって珍しいのか?」
「季節によって生息域が変わる魔物なら珍しくない。だが、これは違う」
クラウスは別の書類を取った。
「二日前にも似た報告があります」
ユリウスが受け取る。
「東部か」
「はい」
「同じ種類?」
「別です」
「じゃあ関係ないんじゃないか?」
テオドールが言った。
「その可能性もある」
「じゃあ問題なし?」
「そうは言っていない」
「問題あり?」
「それもまだ分からない」
テオドールが嫌そうな顔をした。
「一番嫌な答えだな、それ」
「分からないものを分かったことにはできない」
「お前、子供の頃からそういうところ変わらないよな」
「褒めているのか?」
「どうだろうな」
「褒めてはいないだろう」
ユリウスが二枚の報告書を並べた。
「どちらも討伐自体は終わっている」
「はい」
「被害も小さい」
「はい」
「魔物が増えたというより、いる場所がおかしい?」
「今のところは」
クラウスは地図に二つ、小さな印をつけた。
北部。
東部。
離れている。
「何かから逃げたとか?」
テオドールが言った。
「可能性はある」
「天候?」
「あり得る」
「餌が減った?」
「それも」
「強い魔物が縄張りに入った?」
「否定はできない」
「何でもありじゃないか」
「だから調べるんだ」
「はいはい」
テオドールは椅子に座り直した。
「で、どうする?」
「まずは同じような報告がないか確認する」
「討伐隊を増やす必要は?」
ユリウスが聞く。
「現時点では必要ないと思います」
「理由は?」
「討伐そのものは通常の戦力で処理できています。増員すれば別の地域の警備が薄くなる」
「そうだな」
「ただ、各地の報告は集めた方がいい」
「アルベルト様にも?」
「当然だ」
ユリウスが二枚の書類をまとめた。
「父上には俺から話す」
「お願いします」
そこで扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきた使用人が一礼する。
「レティシア殿下がお見えです」
三人が顔を上げた。
「レティシア殿下?」
テオドールがクラウスを見る。
「なぜ俺を見る」
「いや?」
「何だ」
「別に?」
「その顔をやめろ」
「どの顔?」
「テオドール」
ユリウスが止める。
「殿下をお待たせするな」
「はーい」
◇
「急にごめんなさい」
部屋へ入ってきたレティシアは、何枚かの書類を持っていた。
「いえ」
クラウスが立ち上がる。
「何かございましたか?」
「確認したいことがあって」
レティシアは書類を机に置いた。
「これ」
クラウスが一枚目を見て、止まった。
「……同じですね」
「やっぱり?」
「何が?」
テオドールが寄ってくる。
「魔物の報告よ」
レティシアは地図を見る。
「ヴァレンティスにも、最近の街道状況について報告が来てるの」
「被害が増えた?」
ユリウスが聞いた。
「そこまでではないわ。輸送への影響も、今のところ限定的」
「なら何が?」
「場所」
レティシアが一か所を指差した。
「ここで確認された魔物。本来の生息域はもっと西よね?」
クラウスが頷く。
「はい」
「やっぱりそうなのね」
「ヴァレンティスでも気づかれましたか」
「お父様がね。最近、街道の警備費について確認していたから」
レティシアは持ってきた別の書類を開いた。
「街道ごとに見れば大した増加じゃない。でも、複数の地域で少しずつ警備を増やしてる」
「それが続けば、全体では無視できなくなる」
ユリウスが言う。
「ええ。まだそこまでじゃないけど」
クラウスは報告書を読む。
「討伐は?」
「終わってる。負傷者もなし」
「こちらと同じですね」
「こちら?」
レティシアが聞く。
クラウスは先ほどの二枚を渡した。
レティシアの表情が変わった。
「二件?」
「はい」
「こっちは知らなかったわ」
「地域が違いますから」
「でも……」
レティシアが地図を見る。
すでに二つある印。
そこから少し離れた場所を指差す。
「私が持ってきたのは、ここ」
クラウスが三つ目の印をつけた。
三つ。
互いに離れている。
「……分かんないな」
テオドールが言った。
「何か共通してる?」
「今のところ、魔物が本来の生息域から外れていることだけです」
「移動してる方向は?」
レティシアが聞く。
「北のものは南へ」
「これは東」
「殿下がお持ちになったものは……」
「北東ね」
レティシアが答える。
「ばらばら?」
「そう見えます」
「じゃあ、一つの原因じゃない可能性もあるわね」
「はい」
「でも、偶然で片づけるには少し多い?」
クラウスはすぐには答えなかった。
もう一度、三枚の報告を見る。
「まだ判断できません」
「そうよね」
「ただ」
「ただ?」
「もう少し集めたいです」
レティシアが頷いた。
「私も」
テオドールが二人を交互に見た。
「息合うな」
「何が?」
レティシアが聞く。
「いや」
テオドールが笑う。
「同じこと言うから」
「同じ資料を見てるんだから、同じ結論になることもあるでしょう」
「へえ」
「何よ」
「別に?」
「テオドール」
今度はクラウスが低い声を出した。
「分かった分かった。仕事するよ」
テオドールは笑いながら離れた。
「……何なの?」
「気にしないでください」
「あなたも大変ね」
「昔からです」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言った」
「ひどくない?」
レティシアが少し笑った。
◇
四人で報告を整理することになった。
地域。
日時。
魔物の種類。
本来の生息域。
討伐までにかかった時間。
人的被害。
街道への影響。
「こっちは問題なし」
テオドールが言う。
「討伐まで半日。負傷者なし。街道の封鎖も短時間」
「こちらもです」
クラウスが答える。
「つまり、対応はできてるのね」
レティシアが言った。
「はい」
「なら今すぐ何かを変える必要はない?」
「私はそう考えます」
「私も」
「ただし」
ユリウスが言った。
「同じことが続くなら話は別だ」
「ええ」
レティシアが地図を見つめる。
「一つ一つは小さいものね」
「だから見落としやすい」
クラウスが答えた。
「でも、一つ一つが本当に別の話なら?」
「それなら、それでいいんです」
「いい?」
「原因が分かれば、それに合わせて対応できます」
「なるほど」
「問題なのは、分からないまま増えることです」
レティシアは少し考えた。
「じゃあ、ヴァレンティス側でも過去の報告を確認してみるわ」
「お願いします」
「街道や輸送の記録なら、こっちの方が拾いやすいものもあると思う」
「助かります」
「クロイツェルでは?」
「討伐報告と、各地域から上がっている記録を確認します」
「後で照らし合わせましょう」
「はい」
「いつがいい?」
「私は――」
クラウスが予定を確認しようとする。
レティシアも自分の予定表を開いた。
二人とも止まった。
「……空いてないわね」
「空いていませんね」
テオドールが笑いを堪えている。
「何?」
「いや。続けて?」
レティシアが予定表を睨む。
「ここは?」
「私は法務院です」
「じゃあ、その次」
「会議があります」
「夕方は?」
「空けられます」
「私も」
「では、そこで」
「分かったわ」
レティシアが予定を書き込む。
「時間、作れたわね」
クラウスが一瞬止まった。
「……はい」
「何?」
「いえ」
「へえ」
テオドール。
「黙れ」
「まだ何も言ってないだろ!」
◇
レティシアが帰ったあとも、三兄弟は作業を続けた。
過去の報告書を確認する。
似たもの。
違うもの。
判断できないもの。
数年前にも、生息域を外れた魔物の記録はある。
去年にもある。
だから、それだけなら異常とは言えない。
「考えすぎだったりしてな」
テオドールが言った。
「その方がいい」
クラウスが答える。
「お前がそう言うの珍しいな」
「何もないなら、それが一番だ」
「そりゃそうか」
ユリウスが新しい書類を取った。
「これは?」
「去年のものです」
「違うな」
「はい」
「こっちも違う」
「それもです」
「意外とないな」
テオドールが椅子の背にもたれた。
「今日見つけた三件だけ?」
「今のところは」
「なら偶然かもな」
「かもしれない」
扉が叩かれた。
「失礼いたします」
先ほどとは別の使用人だった。
「法務院より、追加の報告が届いております」
「ありがとう」
クラウスが受け取る。
何気なく開く。
読む。
指が止まった。
「……また?」
テオドールが聞いた。
クラウスは答えず、地図へ視線を落とした。
ユリウスが書類を受け取る。
「生息域は?」
「南西です」
「確認地点は?」
「ここです」
クラウスは地図の一点を指した。
さっきまで、何もなかった場所。
そこに小さな印をつける。
三つだった印が、四つになった。
テオドールが地図を見る。
「増えたな」
「一つだけだ」
ユリウスが言った。
クラウスは新しい印を見つめた。
「はい」
報告書を地図の横へ置く。
「一つだけです」




