第20章 聖女の予定
「次の方を」
セリシアが声をかけると、入口から一人の男が入ってきた。
右腕に巻かれた布には、乾いた血が滲んでいる。
「失礼いたします、殿下」
「こちらへ。腕を見せてください」
男が椅子に座る。
布を解くと、腕には深い傷が残っていた。
「魔物に?」
「はい。街道で荷を運んでいたところを」
「痛みますか?」
「少しだけ」
「少し、ではなさそうですね」
セリシアが傷へ手をかざす。
淡い光が生まれた。
傷が少しずつ塞がっていく。
男が驚いたように腕を見る。
「ありがとうございます」
「しばらく無理はしないでくださいね」
「はい」
「荷物より身体の方が大事ですから」
男が深く頭を下げ、部屋を出ていった。
セリシアは小さく息を吐く。
「次の方を」
「セリシア様」
マリアだった。
「なんでしょう?」
「最後の方でございます」
「あら」
入口を見る。
誰もいない。
「今日は少なかったのね」
「……昨日よりは」
「よかった」
「よくありません」
マリアが即答した。
「昨日が多すぎたのでございます」
「でも、今日は少なかったでしょう?」
「昨日よりは」
「なら、少しずつ良くなっているのかもしれないわ」
「そうであればよいのですが」
マリアは机の上を片づけ始めた。
包帯。
薬。
水。
治癒魔法が使えるからといって、何も準備せずに済むわけではない。
「明日は?」
「城へ戻ります」
「そうだったわね」
「明後日は北側の街道について報告を受ける予定です」
「北も?」
「目撃があっただけとのことです」
「なら、まだ大丈夫ね」
「その『まだ』を最近よくお使いになりますね」
「そう?」
「はい」
セリシアは少し考えた。
確かにそうかもしれない。
西で魔物が出た。
東でも出た。
今度は北。
一つ一つは大きな被害ではない。
騎士たちも動いている。
父も対応している。
だから、まだ大丈夫。
「みんな頑張っているもの」
「セリシア様も、その一人でございます」
「私は治しているだけよ」
「そのために何日城を空けられたと?」
「……三日?」
「四日です」
「あら」
「昨日も同じことをおっしゃいました」
セリシアは少し笑った。
マリアは笑わなかった。
◇
城へ戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。
「セリシアお姉ちゃん!」
馬車を降りてすぐ、聞き慣れた声がした。
「アネクシア?」
妹がこちらへ走ってくる。
その後ろをエマが歩いていた。
「アネクシア様、走らないようにと申し上げました」
「走ってないよ」
「では今の移動方法には別の名称が?」
「早歩き」
「大変興味深い早歩きでございますね」
セリシアは思わず笑った。
「ただいま、アネクシア」
「おかえり!」
そのまま抱きつかれる。
セリシアは妹の頭を撫でた。
「いい子にしてた?」
「してた」
「エマ?」
「概ね」
「概ねって何?」
「概ね、でございます」
アネクシアが不満そうに頬を膨らませる。
変わらない。
たった四日しか離れていないのに、随分久しぶりに感じた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「みんなで遊ぶ日、探してるからね」
「聞いてるわ。エマから連絡をもらったもの」
「来れる?」
「もちろん」
答えてから、少し考える。
「……たぶん」
「たぶん?」
「予定を確認しないと」
「お姉ちゃんも忙しい」
「ごめんね」
「謝らなくていいけど」
アネクシアは少し考え、
「ちゃんと来てね」
「ええ」
セリシアは笑った。
「約束」
差し出された小指に、自分の小指を絡める。
「約束ね」
それを見ていたマリアが、小さく息を吐いた。
「セリシア様」
「なあに?」
「予定の確認ということで、一つ」
「またお仕事?」
「いいえ」
マリアが答える。
「レオンハルト殿下との婚約お披露目についてでございます」
「ああ、そうだったわね」
「三週間後でございます」
「……え?」
セリシアは瞬きをした。
アネクシアも瞬きをした。
「もう三週間後?」
「はい」
「そんなに近かったかしら」
「以前から決まっております」
「忘れてたわけじゃないのよ」
「では?」
「もう少し先だと思ってたの」
「それを予定の確認不足と申します」
アネクシアが吹き出した。
「お姉ちゃん、自分の婚約なのに?」
「婚約は覚えてたわよ」
「三週間後なんでしょ?」
「そうみたい」
「そうみたい、ではございません」
マリアの声が少し低くなった。
「衣装の最終確認、当日の進行、グランヴェル側との確認が残っております」
「そんなに?」
「ございます」
「治療より大変そう」
「比較しないでくださいませ」
セリシアは困ったように笑った。
するとアネクシアが、何かに気づいたように顔を上げた。
「レオンハルト様も来る?」
「当然でしょう」
「じゃあ聞ける!」
「何を?」
「グランヴェルの冬に何食べるか」
「そこなの?」
「大事だよ」
「アネクシア様」
エマが口を挟む。
「婚約のお披露目でございます」
「だから?」
「食事会ではございません」
「でも食事は出るでしょ?」
「出ますが」
「じゃあ大事」
エマが黙った。
セリシアは笑う。
「アネクシアの勝ちね」
「勝敗を決める話ではございません」
「マリアもそう思う?」
「私は何も申し上げません」
マリアまで味方をしてくれなかった。
◇
その日の夕方。
セリシアの部屋には、何着かの衣装が並べられていた。
「これ、本当に全部見るの?」
「はい」
「一着でいいんじゃない?」
「一着を選ぶために見るのでございます」
「アネクシアの誕生日みたいね」
「妹君のことを笑えませんね」
「笑ってないわ」
マリアが衣装を一着持ち上げる。
グランヴェルの意匠も取り入れられた、白と淡い金のドレス。
セリシアはそれを眺めた。
「……結婚したら」
「はい」
「グランヴェルに住むのよね」
マリアの手が少し止まる。
「その予定でございます」
「そうよね」
知っている。
ずっと前から決まっていたことだ。
婚約して。
いつか結婚して。
グランヴェルへ行く。
王族として、それが自分の役目でもある。
「アネクシア、寂しがるかしら」
「間違いなく」
「レティシアも?」
「ご本人にお聞きくださいませ」
「お父様は?」
「もっとご本人にお聞きくださいませ」
セリシアは笑った。
「でも、近いものね」
「はい」
「会おうと思えば、すぐ会えるわ」
五十キロほど。
外国とはいえ、遠い国ではない。
馬車でも行き来できる。
仕事があれば戻ってくることもあるだろう。
妹たちが遊びに来てもいい。
「アネクシアたちをグランヴェルに呼ぶのも楽しそう」
「以前もそのようなお話をされていましたね」
「冬がいいわね。あの子、雪を見たがっていたでしょう?」
「レオンハルト殿下にもお願いしておきませんと」
「そうね」
やることが、また一つ増えた。
けれど今度の予定は、少し楽しみだった。
「お披露目が終わったら、ちゃんと予定を決めましょう」
「何のです?」
「みんなでグランヴェルへ行く予定」
マリアは少しだけ笑った。
「その前に、皆様で遊ばれる日を決めるのでは?」
「あ」
「忘れておられましたね」
「忘れてないわ」
「では?」
「……そっちもちゃんと決めるわ」
「お願いいたします」
セリシアは二着のドレスを見比べた。
「こっちの方がいいかしら」
「先ほどはこちらを選ばれていましたが」
「気が変わったの」
「これで三度目でございます」
「まだ三週間あるでしょう?」
「もう三週間しかないのでございます」
マリアがため息をつく。
衣装を決めて、当日の進行を確認して、レオンハルトとも話をしなければならない。
それが終われば、みんなで遊ぶ日も決めたい。
冬のグランヴェルのこともある。
「忙しいわね」
「今頃お気づきになられましたか?」
セリシアは笑って、もう一度二着のドレスを見比べた。
「……やっぱり、こっち」
「四度目にならないことを願っております」




