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真実の愛に目覚めし拳   作者: m
第2部 もしもあの時

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第十九章 1世紀 4

更新がまたかなり間が開くかもしれません

しかし、同時に強烈な、背筋が凍るような違和感が中田の全身を支配した。


(おい、待て。何かがおかしい。なんで俺が入っているこの体は、イエスに敵対していたはずの『律法学者』を、よりによって『イエス様』と呼んだんだ……?)


中田の脳裏に恐怖が浮かび上がる中、呼びかけられた神聖な服を着た男が、ゆっくりと、こちらを振り向いた。


「――ユダよ 私はこちらですよ」


その時、宿主のすぐ背後から、静かで涼やかな、まるで澄み切った泉のような声がかけられた。その声には、一切の棘がなく、ただ心地よい安心感だけが漂っていた。


ハッとして中田が(というか、宿主の身体が自動的に)振り向くと、そこには素朴な一枚布の衣をまとった、慈愛に満ちた瞳の男が立っていた。その男から放たれる独特の静けさと温かさは、目の前にいる豪華な服の律法学者とは比べるべくもなかった。


(しまっ……間違えた!)


中田の魂が叫ぶのと同時に、肉体が慌てて律法学者に向かって頭を下げた。自分の重大な間違いに、中田は冷や汗を流す。


「す、すみません! 人違いでした……!」


声をかけられた律法学者は、自身の尊厳を侮辱されたと感じたのか、あからさまに不快そうな表情を浮かべ、「チッ」と大きな舌打ちを響かせると、乱暴に衣をひるがえしてその場を去っていった。その表情には、自尊心を傷つけられた者特有の不気味な暗さが宿っていた。


中田は冷や汗を流しながらも、自分の状況を急速に理解し始めていた。

今、自分を背後から呼んだ本物の男こそが「イエス」。

そして、本物のイエスに向かって平謝りし、周りからその仲間として認知されているこの自分の肉体は――。


(ユダ……! 俺は、あの『ユダ』に乗り移っているのか!?)


裏切り者の代名詞としてあまりにも有名な、あの悲劇的な弟子の名。その事実を知った中田の精神に、大きな衝撃が走る。なぜ自分がユダなのか。イエスを裏切り、その人生を破滅へと追いやる運命を持った男。それこそが、白髪の人物が言っていた「運命」そのものではないか。


しかし、歴史は中田の動揺を待ってはくれない。ユダの肉体は気を取り直したように姿勢を正し、静かに佇むイエスに向かって、どこか切実さを帯びた、震える声で問いかけた。


「主よ……。今日は、なぜ私をお呼びになったのですか? ヨハネやパウロを呼ばずに、私だけを……」


聖書の中でも特に優秀とされ、会計を任されていたユダ。彼は責任が人1倍強かった。しかし責任感から生まれる葛藤もある。


イエスは、そのすべてを見透かすような、しかし優しく包み込むような複雑な瞳で見つめ返すと、ふっと柔らかく微笑んだ。


「ただ、あなたと話をしておきたかったのですよ、ユダ」


それは、未来の裏切りの運命を知っているかのような、しかしそれすらもすべて許しているかのような、あまりにも深い慈愛に満ちた言葉だった。その言葉の温かさに、ユダの冷え切った心が少しだけ解きほぐされていくのを、中田は自身の感覚として受け取った。


その穏やかな静寂を切り裂くように、硬い、不穏な音が空気を震わせた。


コツッ、とユダの足元に転がってきたのは、不格好な「石」だった。

人々が発するざわめきが、一瞬にして刺々しい敵意に満ちた怒号へと変わる。周囲の路地から、敵意を剥き出しにした目を向けた群衆たちが、じわじわと蜘蛛の子のように距離を詰めてきていた。そのうちの一人が、次の石を力強く握りしめながら、忌々しそうに叫び声をあげる。


「邪教徒め! 街から出て行け!」

「律法を乱し、人々の心を惑わす不届き者が!」


神殿の従来の権威を揺るがすイエスの新しい教えに反発する人々が、暴力的な敵意を隠そうともせず、執拗に石を投げつけてきているのだ。これは単なる言葉の対立ではない。命の危険を伴う、現実の衝突だった。


(ちっ、なんてことしやがる……!)


中田は心の中で激しく毒づいた。現代の平和な日常からやってきた彼にとって、理屈も通じない群衆から一方的に暴力を振るわれそうになるこの状況は、不条理極まりないものだった。恐怖と怒りが脳内で混ざり合う。


ユダの肉体もまた、強い憤りに支配されていた。ユダは投げられた石からイエスを守るように、一歩踏み出して身を遮ると、群衆に向かって厳しく、しかし必死に声を張り上げた。


「やめなさい! なぜそのような乱暴なことをするのか! 私たちの主が何をしたというのだ! 彼はただ、人々に寄り添う言葉を語っているだけではないか!」


一触即発の緊張感が広場全体を支配する。群衆たちは引く様子を見せず、さらに大きな石を地面から拾い上げる者も現れた。ユダの言葉は、興奮した彼らの耳には届いていないようだった。


しかし、そのとき、背後から伸びてきた温かい手が、そっとユダの肩を優しく包み込んだ。その手の持ち主の穏やかで、しかし確固たる力に、ユダの全身に張り詰めていた頑なな警戒心が、ふっと解けていく。


「いいのですよ、ユダ」


イエスは、自らに石を投げる人々を恨むどころか、むしろ彼らの迷いや恐れを哀れむような静かな目で見つめながら、穏やかに首を振った。


「彼らには彼らの、心から信仰する神がいるのですから。私たちはただ、その心を尊重すればよいのです」


自らを脅かし、傷つけようとする者たちをも、その広い心で包み込もうとするイエスの言葉に、ユダとそして中にいる中田は息を呑んだ。これこそが、歴史を、そして世界を根底から変えた「イエス・キリスト」という男の計り知れない器なのか。


だが、中田の直感は告げていた。このイエスのあまりにも優しく、無抵抗な姿勢こそが、彼を十字架の道へと進ませる要因であり、歴史の歪みは、この静かな聖者の陰で、着実に牙を剥こうとしているのだと。中田はこの世界の「ユダ」として、一体どんな運命を選択することができるのだろうか

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