第十四章 運命
その空間には、空も地面もなかった。
あるのは、乳白色の霧のような光がどこまでも続く、奥行きのない無限。
中田が意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、背中を撫でる冷ややかな感触だった。硬い床に倒れているわけではない。まるで液体のような、しかし濡れることのない不思議な密度を持った空気に浮いているような感覚。
「……っ」
重い瞼を押し上げると、視界の端に白が混じった。
霧の色ではない。それは人の髪だった。
「中田君。君は運命が好きかい?」
鈴の音を転がしたような、透き通った声が降ってきた。
男とも女ともつかない、年齢さえも判別できない中性的な響き。
中田は反射的に体を起こそうとしたが、四肢に力が入らない。必死に焦点を合わせると、目の前にその人物が立っていた。
雪のような白髪を長く伸ばし、陶器のように白い肌をした「それ」は、慈しむような、あるいは冷酷に観察するような不思議な微笑を浮かべていた。
「な……」
中田の心臓が跳ね上がった。なぜ、自分の名前を知っている。
自分はこの場所を知らない。この奇妙な格好をした人間も、会った覚えなど一度もない。
「誰だ……! お前、なぜ俺の名前を……!」
掠れた声を絞り出し、中田は精一杯の拒絶を込めて声を荒らげた。
恐怖が怒りに変換され、首筋に血管が浮き出る。
しかし、白髪の人物は驚く風でもなく、ただ小さく、退屈そうに息を吐いた。
「ふふ……。何度も、いつも大抵は同じ返しだね」
その人物は、指先で自分の白い髪を弄びながら、憐れむような目を中田に向けた。
「つまらないよ。せめて今回の人間は、もう少しマシな驚き方をしてくれると期待していたんだけど。……まあいい。それもまた、君を形作る『定数』の一つというわけだ」
中田の意識は再び混濁し、深い闇へと落ちた。
――だが、今度は早かった。
数分後、中田は弾かれたように上体を起こした。先ほどまでの脱力感は消え、思考は驚くほどクリアになっていた。目の前には、相変わらず浮世離れした美しさを持つ白髪の人物が佇んでいる。
中田は、先ほどの問いに対する答えを、喉の奥から絞り出した。
「……運命は、好きだよ。俺はそういうロマンチックな言葉が好きなんだ」
意外な答えだったのか、白髪の人物の眉がわずかに動いた。しかし、その表情はすぐに氷のような冷ややかさを取り戻す。
「そうか。私は嫌いだね。運命とは、左右されているものだ。運命とは時に人に絶望を与え、時に人に希望を与える。人はそれによって環境が変わり、それにより価値観も変わる。さらには、それは自身の人生そのものにも干渉する」
「……それの、何が悪いんだ? 希望があるなら、いいことなんじゃないのか」
中田の問いかけに、その人物は嘲笑うような笑みを浮かべて顔を近づけた。
「――それが『神』に操作されていてもか?」
「操作……?」
中田が絶句するのを眺めながら、白髪の人物は優雅に身を翻した。
「さて、僕が君をこの空間に呼んだ。君は僕に質問する権利を持っている。ただし、勘違いしないでくれ。僕は君の『知識キャラ』であって、『お助けキャラ』じゃない。君に貸すのは知力だけ。……つまり、物理的な力で君を救うことはない、ということだ。よろしく」
中田は、目の前の存在が提示した歪な契約を噛み締めた。知力のみを貸すという謎の存在。
この白の空間で、中田の「運命」を巡る対話が幕を開ける。




