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キンモクセイは夏の記憶とともに  作者: 広崎之斗
変わりゆく日常
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変わりゆく日常(6)

 香瑠の店は小さい面積ながら多くの服が掛っていた。

 壁沿いに設置されたハンガーラックには、色合いで並べているのか、グラデーションになるように服が並んでいて思わず目が向く。

 サイズと色を上手く並べているらしく、狭い店の中はそれ自体が作品のような美しさを持っていた。

 中心にはいくつか季節で入ったばかりの新作を置いていて、晴樹はそれらが目的のようだった。

 香瑠は店の再開準備をしながら晴樹に服の説明をしている。


 悠人は一人で店の中を見回していた。

 途端、ふわりと身体がふらつくような感覚に襲われる。軽くたたらを踏んだがすぐに元に戻る。

「大丈夫?」

 晴樹の声がして振り返ると香瑠もこちらを見ていた。

「目眩かな」

「大丈夫? 熱中症とかぁ?」

 確かにこの時期は気をつけた方がいい。だが水分についてはコーヒーや紅茶だけでなく、水も飲んでいるつもりだ。

 大丈夫だと思うと付け加えると、香瑠が近づいて来てずいっと顔を近づけた。

 鼻頭が当たりそうな程近づいてきて、驚いて身を逸らす。


「え、な、なんです?」

 すんっと匂いを嗅ぐようにして、香瑠は眉根を寄せる。

「キミぃ、薬は飲んでるの?」

「え? あー、はい。ずっと、飲んでます」

「ずっと?」

「ええ。毎日飲むタイプのやつで。周期にあわせて量増やすタイプの……」

「帰った方がいいんじゃないかなぁ」

「え?」

 香瑠は顔を離すと晴樹の方をみた。

「宮本さんはα?」

「いや、俺はβっすよ」

「ふぅん。でもじゃあ、今の彼、ちょっと匂ってみてよ」

「え?」

「は? なんですか、突然」

 思わず悠人は香瑠を睨んだ。

「いいからいいから」

 服を一つ手にしていた晴樹を掴んで悠人の前に近づける。

「匂ってみて。それ買うならちょっとサービスしてあげるから」

「え、マジで?」

「おい、晴樹!」


 顔を近づける。

 多分、それほど近い距離になったことは無いのではないかと思うほど。

 香瑠に言われて晴樹は首筋に鼻を近づけた。そっちの方がいいというのはよく分からない。

 クラクラする。やはり熱中症だろうか。

 だが香瑠のこの反応は嫌な予感しかない。

「なんか、イイ匂いがする」

「はーん。やっぱり?」

「なんかこぉ……傍に置いときたくなるような、イイ匂いっていうか」

 その言葉に悠人は自分の匂いを嗅いでみるが、自分の匂いは自分ではよく分からない。

 香瑠は眉根に皺を刻んだまま、口元に手を当てて考える。


「薬飲んでるって。めっちゃ失礼なのは承知なんだけどぉ、ヒートになったことあるのって、その最初の一回だけなの?」

「そう、ですけど……それからずっと、薬飲んでるんで……」

「はーん。じゃあやっぱもう帰った方が良いよ、キミ」

 そう言って香瑠は眉間の皺を伸して笑みを浮かべた。

「それ、もう薬じゃ抑えられないやつだよ」


 言われた通り悠人は自分の家に向かっていた。

 晴樹は送ろうかと言ったが、その申し出は断った。

 まだ今のうちなら大丈夫じゃないかな、という香瑠の言葉に、悠人は賭けることにした。


「結局さぁ、本心ではやっぱり六條さんのこと好きでしょう? だから多分、薬でも抑えられないヒートがきてるんだよ。予兆とかなかったぁ?」


 予兆と言われると、冬真に薬を増やした方がいいのでは、と言われたことを思い出す。

 だがアレは元々そういう周期だったハズだ。しかし、ちょうどその時期に純一と再会した。

 それが不味かったのか。

 それでもまだ否定する。

 だがそれでも、薬は増やしていたし、いくら好きだと言ってもそんな感情ひとつで、薬の効果さえ薄められるのだろうか。


 香瑠は悠人のそんな問いに、店の天井を見上げながら言った。

「結局六條さんも他のΩの匂いにも反応しないでしょぉ? キミもさぁ、他のαの匂いに反応したことって、ある? ってか匂いを感じたことってある?」


 記憶を一気に手繰った。

 自分がΩだと分かった時から、今日に至るまで。

 地元での高校時代、大学での生活、社会人になってからの会社での日々。

 嫌な記憶もいくつかあるが、それらにも確かにαという存在はいたはずだ。

 だがどこにも、そんな香りの記憶は一切ない。

 匂いでαだろうと分かることは、確かにあったが。それだけだ。

 なんとなく気になる強い匂いがすると言う程度。それを心地よい、好きだと思うことはなく、単純に香水のような香りのようなものと認識して終わっている。


 そして今だ。純一と再会したあの時から、ずっと匂いはしている。

 その香りを感じるとホッとした。昔のような懐かしさを感じ、飲み屋でも、ドライブの時も、ずっと香っている。


「多分、ない……です」

「そっかぁ。じゃあ薬飲んでるなかでヒートの周期早まったりしたことあるぅ? ほら、あれ。ちょっとの怠さとかそういうやつ。薬飲んでるとヒートそんな感じで終わるでしょ?」

 香瑠に言われて頷いた。そして答える。

「ないです」

「じゃあやっぱり、キミも不感症だ」

 そう言って笑って香瑠は続けた。


「ずっとキミも、六條さんの匂いしか知らないんだよ」


 家まで早足で歩いていく。

 自分の匂いがどれだけのものか知らない。他のαの人間がどうなるのかもしらない。

 そして自分がどうなるのかも。

 最初のヒートは記憶にあるが、それでもあんなものの比ではないことはなんとなく分かった。


 もう分かった。

 自分がずっと欲しかったのはあの匂いだ。

 唯一あの時、手を伸した純一だけが欲しかった。ずっと。


 だから他の匂いを感じなくなった。

 しかし今、自分が本当に欲しいと願う匂いが、純一が傍にいる。

 それに誘発され、薬で抑え切れないほどになってしまったのだ。

 自分の気持ちを認識されたことで、薬は効かなくなったのだ。身体の本能が、欲するものを手に入れるために抑え切れなくなっている。


 唇を噛んで、部屋への道のりを小走りに突き進む。

 階段を駆け上がり、部屋の前までたどり着くと、慌てて鍵を取り出した。

 指先が震えていた。

 落としそうになりながら、鍵を挿して回し、ドアを開けると中に入る。

 すぐに鍵を閉めた。

 息が上がっている。

 スマートフォンを取り出すと、すぐに冬真の連絡先を表示して電話を掛ける。

 数コールで冬真が出ると、開口一番悠人は言った。


「あの、明日……休みたい、です。すみません」

『え? ああ、いいけど……どうした? 体調不良?』

「その、……はい、そうです」

 歯切れの悪い答えを聞いて、冬真は待つように言った。

 どこかへ歩いて行く様子だった。

 冬真はもう一度呼びかけるように声を掛ける。

『もしもし。悠人、お前もしかして、薬が効かなくなった?』

「なんで……分かるんです、それ」

『あー……声で分かる。どうする? 緊急用の強いやつ、知り合いの医者に頼んで貰うことはできるけど。全然休むのは大丈夫だから』

 悠人はその場にしゃがみ込みながら、お願いしますと答えた。


「でも、それどうしよう……晴樹にでも、頼んで持って来て、貰えば……いいですかね」

『アイツなら、大丈夫か……な。でも悠人、お前その原因、分かってんだろ?』

「……なんで、冬真さんもそう言うんです?」

『俺もって、他にも? っていうかまぁ、分かるよ』

「そう、ですか……」

『彼に、連絡は?』

「あ、そうだ。約束……してるから、ダメだって、連絡しないと」

『そーじゃなくて』

 ため息と共に冬真は言った。

『まぁ、いいや。とりあえず俺の方からもまた後で連絡するから。お大事に』


 電話を切ると、悠人は純一とのトーク画面をタップで呼び出す。体調が悪くなったから、今日の夜は無理だと送る。

 画面をスリープさせると、よろよろと立ち上がった。

 靴を脱ぎ部屋に上がる。それさえ億劫で、身体が熱い。

 喉が渇く。否、違うナニカが渇いている。

 渇望している。

 口を開いた。粘っこく、唾液が糸を引き、溢れる吐息が熱を含んでいる。

 あの時と同じだ。

「くそ」

 欲しくて堪らないものを、言葉にする前に悠人は唇を噛んだ。

 少しだけ血の味が口の中に広がった。

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