世界一綺麗な僕の師匠は、Sランクでした
翌朝。
僕は、ハンターギルド・ルクス支部の巨大な扉を見上げていた。
「ここが……ハンターギルド」
母さんを守れなかったあの日から、ずっと目指してきた場所。
その入口に、ようやく立っている。
「何を突っ立っている。行くぞ」
「あ、はい!」
セレスティア――僕の師匠が扉を押し開けた。
途端に、酒と汗と鉄、それに獣の血が混じったような匂いが鼻を突いた。
広いホールには朝から大勢のハンターが集まっている。壁一面の掲示板には依頼書がびっしりと貼られ、武器を背負った男女が報酬について話し合い、奥では朝から酒を飲んでいる者までいた。
そして――ここでも、やっぱり僕は少し混乱した。
「おい、見ろよ。マルダさんだ」
「今日も綺麗だなぁ……あの肩幅、たまらねえ」
「顔の傷がまた色っぽいんだよ」
男たちの視線を集めているのは、僕の胴ほどありそうな腕を持ったドワーフの女性だった。
その隣では、顔を斜めに走る大きな傷を持つ獣人の女性が豪快に笑っている。
二人とも周囲の男たちから熱い視線を浴びていた。
(……やっぱり、慣れないな)
昨日見たオークのガルガダもそうだった。
僕とこの世界では、美しいと感じるものがまるで違う。
そして、その証拠に。
「……おい」
「あれ、エルフじゃないか?」
僕の隣を歩くセレスティアへ向けられる視線は、正反対だった。
彼女は外套のフードを深く被っている。
それでも細い身体や、時折覗く長い耳だけで種族が分かるらしい。
「朝っぱらから縁起悪いな」
「顔くらい隠してろよ」
「隠してるだろ」
「そういう問題じゃねえよ」
笑い声。
僕は思わず振り返った。
「アレン」
師匠が僕を呼ぶ。
「放っておけ」
「でも」
「昨日言っただろう。慣れている」
その一言が、やっぱり僕は嫌だった。
師匠は周囲を完全に無視して受付へ向かう。
「新規登録を一人」
受付にいたのは、肩幅の広い、がっしりとした女性だった。
「あら、新規?」
彼女が僕を見る。
「坊やが?」
「はい」
「何歳?」
年齢を答えると、受付嬢は少し眉を寄せた。
「……まあ、規定上は問題ないわね。登録料は銀貨一枚。そこへ血を一滴落として」
差し出されたのは、薄い羊皮紙のようなものだった。
「これは?」
「魔力紙よ。血液から基礎情報を読み取るの。ほら、指を」
針で指先を刺す。
一滴。
赤い血が魔力紙へ落ちた。
ぼんやりと青白い光が広がる。
やがて、文字が浮かんだ。
【名前:アレン】
【Lv:4】
【職業:なし】
【筋力:6】
【魔力:3】
【敏捷:8】
受付嬢の眉間に皺が寄った。
「…………」
嫌な沈黙だ。
「あの?」
「坊や」
「はい」
「悪いことは言わないから、別の仕事にしない?」
「えっ」
「レベル4で、この数値は……かなり低いわ」
分かっていた。
分かっていたけど、改めて他人に言われるとちょっと傷つく。
受付嬢は僕を馬鹿にするでもなく、本気で心配そうに続けた。
「ハンターは死ぬ仕事よ。才能のない人間が無理をしても、命を落とすだけ」
師匠を見る。
「…………」
目を逸らされた。
「師匠?」
「私は何も言っていない」
「顔に『だから言っただろう』って書いてあります」
「気のせいだ」
絶対に気のせいじゃない。
受付嬢がため息をついた。
「それでも登録する?」
「します」
即答した。
「……そう」
彼女は少しだけ困った顔をして、それから一枚の鈍色のカードを差し出した。
【ハンターランク:F】
「新人は原則Fランクからよ。単独で受けられるのは採集、荷運び、清掃なんかの低危険度依頼。魔物討伐は基本的にEランクから」
「じゃあ、僕は魔物を倒しちゃ駄目なんですか?」
「上位ランクのハンターが監督につくなら別。あとは緊急時の自衛ね」
なるほど。
師匠と一緒なら問題ないらしい。
カードを受け取る。
鉄のように鈍く光る、小さなカード。
でも僕には宝物に見えた。
ようやく。
ようやく僕は、ハンターになった。
母さん。
僕、ここから始めるよ。
「……Fか」
背後から声がした。
振り向くと、近くにいた大柄な男が僕のカードを覗き込んでいる。
「その身体でハンターか。悪いこと言わねえから、死ぬ前にやめときな」
嘲笑ではなかった。
むしろ本気で忠告しているらしい。
別のハンターも苦笑する。
「新人なんて毎年死ぬからな。特に自分だけは大丈夫って思ってる奴から」
「ありがとうございます。でも、やります」
「……そうか。なら死ぬなよ」
男はそれだけ言って離れていった。
僕は少し驚いた。
怖そうな人だったけど、悪い人ではないらしい。
「手続きは終わったな」
師匠が言う。
「次はパーティー登録だ」
「パーティー?」
「お前一人では討伐依頼を受けられん。私の監督下に置く」
「なるほど」
受付嬢が手を出した。
「では、そちらの方もカードをお願いします」
師匠が懐へ手を入れる。
そのとき受付嬢が続けた。
「監督者として登録できるのはCランク以上です。念のためランクを確認しますね」
「分かった」
師匠がカードを取り出した。
僕は何気なくそれを見た。
次の瞬間。
「…………え?」
僕のカードとは全然違った。
白金色。
表面には複雑な紋様が刻まれ、淡い魔力の光を放っている。
師匠はそれを無造作にカウンターへ置いた。
カチン。
小さな音。
たった、それだけだった。
なのに。
ギルドから音が消えた。
「…………」
受付嬢がカードを見る。
瞬きをする。
もう一度見る。
顔色が変わった。
「え……?」
近くにいたハンターが立ち上がる。
「おい、あのカード……」
「まさか」
「白金……?」
ざわめきが広がる。
受付嬢の唇が震えた。
「セ……」
師匠が眉を寄せる。
「早くしろ」
「セレスティア・アルヴェイン……」
初めて聞いた。
師匠の姓。
そして。
受付嬢がカードに刻まれた最後の文字を読み上げる。
「ギルドランク――S」
「…………え?」
今度は僕が固まった。
S?
確かハンターランクは、
F。
E。
D。
C。
B。
A。
そして――S。
一番上。
「えええええええっ!?」
思わず叫んだ。
「うるさい」
「いやいやいや! S!? 師匠、Sランクなんですか!?」
「そうだが」
「そうだが、じゃないですよ!」
ギルド中がざわついている。
「アルヴェインって、まさか……」
「あのセレスティアか?」
「嘘だろ」
「『千年に一人の醜女』……」
その言葉に、僕の眉が動いた。
「何、それ」
近くのハンターが僕を見る。
「あ? 知らねえのか? エルフの中でも特に――」
「黙れ」
師匠の一言だった。
大声でもない。
怒鳴ってすらいない。
なのに。
空気が凍った。
男の顔から血の気が引く。
師匠は男を見てもいなかった。
ただ受付に立っているだけ。
それだけなのに、誰も続きを言えなくなった。
「手続きを」
「は、はい!」
受付嬢が慌てて書類を取り出す。
「Sランクであれば、もちろん監督者資格に問題ありません!」
「そうか」
「それどころか、Fランク一名の同行申請なら――」
受付嬢が説明を続けている。
でも僕の耳には半分も入ってこなかった。
師匠を見る。
あの夜。
ブラックウルフの群れを、一瞬で殺した。
シャドウバイパーも、僕には剣を抜いた瞬間すら見えなかった。
強いとは思っていた。
ものすごく強いとは思っていた。
でも。
まさか一番上だなんて。
「師匠」
「何だ」
「どうして教えてくれなかったんですか?」
「聞かれなかった」
「いや普通言うでしょ!」
「自分から『私はSランクだ』と名乗る方が変だろう」
「それは……そうかもしれないけど!」
師匠が僕を見る。
そして、ほんの少し目を細めた。
「何だ。怖くなったか?」
「え?」
「私が何者か分かっただろう」
周囲が静かになる。
師匠の声には、わずかに自嘲するような響きがあった。
「世界中から醜いと呼ばれるエルフ。その上、普通の人間なら一生関わることもないSランクだ」
青い瞳が僕を見る。
「今ならまだ弟子をやめても構わんぞ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
それから。
「ぷっ」
笑ってしまった。
「……何がおかしい」
「いや」
だって。
そんなの。
「嬉しいなって」
「何?」
「僕の師匠、めちゃくちゃ強かったんですね」
「……それだけか?」
「あと」
師匠を見る。
今日もフードの隙間から金色の髪が覗いている。
やっぱり綺麗だった。
「めちゃくちゃ綺麗で、めちゃくちゃ強い」
「…………」
「なんか、すごく誇らしいです」
師匠が固まった。
「僕もいつかSランクになれますかね?」
「……お前」
「はい?」
「本当にそれしか言えんのか」
フードから覗いている長い耳が、みるみる赤くなっていく。
「さっさと来い、馬鹿弟子!」
師匠はカードをひったくるように回収し、足早に歩き出した。
「あ、待ってくださいよ、師匠!」
追いかけようとして、僕はふと自分のカードを見る。
【Fランク】
そして、師匠がしまったカードを思い出す。
【Sランク】
一番下と、一番上。
今の僕たちの間には、気が遠くなるほどの距離がある。
でも。
不思議と絶望はしなかった。
むしろ、胸が高鳴った。
昨日より今日。
今日より明日。
一匹倒せば経験値が増える。
何度も倒せばレベルが上がる。
そして運が良ければ、魔物の能力まで手に入る。
だったら。
追いつけばいい。
何年かかるかなんて知らない。
何匹倒せばいいかも分からない。
それでも――。
「師匠!」
「何だ!」
「僕、絶対Sランクになります!」
ギルドの出口へ向かっていた師匠が足を止めた。
振り返らないまま答える。
「……まずはEランクになってから言え、Fランク」
「はい!」
周囲から小さな笑い声が上がった。
さっきまで僕を心配していた大柄なハンターが、呆れたように笑っている。
「とんでもねえ師匠を捕まえやがったな、坊主」
僕も笑った。
手の中にある鈍色のカードを強く握る。
Fランク。
世界で一番下からのスタート。
でも僕の目標は、もう決まった。
いつか、この人の隣に立つ。
世界で一番綺麗で、世界でも指折りに強い――僕の師匠の隣に。
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