十五匹目で、ようやく当たりを引いた』
獣道へ入ってから、丸一日。
僕は、ひたすら魔物を狩り続けていた。
「右だ!」
「はいっ!」
茂みから飛び出してきたダートラットの牙をかわし、短剣を振る。
浅い。
仕留めきれなかった。
すぐに距離を取る。
昨日までなら、ここで焦って追いかけていただろう。
でも、もうやらない。
『殺すことより、生き残ることを考えろ』
セレスティアに何度も叩き込まれた言葉だ。
ダートラットが再び飛びかかってくる。
今度は見る。
動きを見て、横へ避ける。
着地した直後の首へ、短剣を突き立てた。
「ギィッ!」
断末魔。
ダートラットが地面へ転がった。
『ダートラットを討伐しました』
『経験値を獲得しました』
そして――。
『【捕食成長】が発動します』
来た。
僕は息を止める。
『能力抽出――失敗』
「…………」
もう驚かなかった。
「また駄目か……」
今日だけで何度聞いただろう。
ダートラット。
ホーンラビット。
それ以外にも、セレスティアが僕でも戦えると判断した低級魔物を何匹も倒した。
当然、楽勝なんかじゃない。
転んだ。
噛まれた。
角に服を裂かれた。
何度もセレスティアに怒鳴られた。
それでも、一匹ずつ倒した。
経験値は確実に蓄積している。何匹か倒したところでレベルも一つ上がり、身体も少しずつ動くようになってきた。
だが――肝心の能力抽出だけは、失敗し続けていた。
最初にダートラットから【夜目Lv1】を手に入れられたのは、相当運が良かったらしい。
「十二匹目……いや、十三匹目だったかな」
「何を数えている」
「こっちの話です」
セレスティアには、まだ【捕食成長】について話していない。
隠したいわけではない。
僕自身、この力が何なのか分かっていないのだ。
なぜ突然目覚めたのか。
どうして魔物の能力を獲得できるのか。
何をすれば成功するのか。
分からないことだらけだった。
ただ、一つだけ分かったことがある。
魔物を倒せば必ず能力を奪えるわけではない。
つまり――欲しければ、倒し続けるしかない。
「行くぞ」
「はい」
短剣についた血を拭い、立ち上がる。
疲れている。
身体中が痛い。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
昨日できなかったことが、今日はできる。
昨日は見えなかった攻撃が、今日は少しだけ見える。
ほんの少しずつだけれど、自分が前へ進んでいる。
それが、たまらなく嬉しかった。
しばらく獣道を進んだところで、セレスティアが足を止めた。
「……来るぞ」
「どこからです?」
「上だ」
反射的に見上げる。
直後。
頭上の枝から、巨大な影が落ちてきた。
「うわっ!」
横へ飛ぶ。
直前まで立っていた地面へ、白い糸がべちゃりと張りついた。
木の枝から、巨大な蜘蛛がこちらを見下ろしている。
大型犬ほどの胴体。
八本の長い脚。
黒褐色の身体に浮かぶ、毒々しい紫色の斑点。
意識を集中する。
【フォレストスパイダー】
【Lv:4】
見える。
つまり、今の僕でも【鑑定】できる相手だ。
でも――同格以下だから安全という意味ではない。
「フォレストスパイダーだ」
セレスティアが言った。
「糸に捕まれば終わりだと思え。その後は毒牙を食らう」
「毒……」
「今のお前なら、運が悪ければ死ぬ」
やっぱり全然安全じゃない。
フォレストスパイダーが脚を広げた。
「来るぞ!」
白い糸。
横へ跳ぶ。
外れた。
二発目。
今度は後ろへ。
また外れる。
「逃げるだけでは勝てん! 相手を見ろ!」
分かってる。
糸を吐く直前、蜘蛛の腹部が僅かに持ち上がる。
だったら。
三発目。
腹が動いた。
「今!」
横へ踏み込む。
糸が通り過ぎる。
そのまま蜘蛛との距離を詰めた。
「はあああっ!」
短剣を突き出す。
だが、硬い脚に弾かれた。
「っ!」
フォレストスパイダーの前脚が振り下ろされる。
身体を捻る。
肩を掠めた。
服が裂け、血が滲む。
怖い。
でも、止まるな。
蜘蛛がこちらへ向き直る。
もう一度、腹が持ち上がった。
糸が来る。
だったら――。
僕は逃げなかった。
逆に前へ出た。
「なっ――」
後ろでセレスティアの声がした。
白い糸が頭上を通過する。
フォレストスパイダーの懐へ潜り込んだ。
そこには硬い脚に守られていない、柔らかそうな腹部がある。
「これで……!」
短剣を突き立てる。
深く。
さらに両手で柄を握り、全体重をかけて引き裂いた。
「ギィィィィッ!」
緑色の体液が噴き出す。
フォレストスパイダーが激しく暴れた。
「うわっ!」
吹き飛ばされ、地面を転がる。
すぐに短剣を構え直した。
だが――追撃は来なかった。
八本の脚が痙攣し、ゆっくり折り畳まれていく。
やがて完全に動かなくなった。
「ハァ……ハァ……」
勝った。
今までより、少し強い相手に。
そして。
『フォレストスパイダーを討伐しました』
来た。
『経験値を獲得しました』
頼む。
今度こそ。
『【捕食成長】が発動します』
心臓が大きく鳴る。
『討伐対象から能力を抽出します』
一秒。
二秒。
妙に長く感じる。
そして――。
『能力抽出――成功』
「……!」
思わず拳を握った。
『【危険察知Lv1】を獲得しました』
「よしっ!」
とうとう声が出た。
「……何がだ?」
「え?」
見ると、セレスティアが怪訝そうにこちらを見ている。
「い、いや……倒せたので」
「今まで散々倒していただろう」
「今回はちょっと嬉しかったんです」
「変な奴だな」
誤魔化しながら、自分のステータスを確認する。
あった。
【危険察知Lv1】
【夜目】を手に入れたときは、暗闇が突然見えるようになった。
でも今回は何も起きない。
身体が強くなった感じもしない。
危険察知。
名前からすれば、危険を察知する能力なのだろうけれど――。
「行くぞ」
「あ、はい」
セレスティアが歩き出す。
僕もその後を追おうとした。
――ゾワッ。
「っ!?」
全身に鳥肌が立った。
冷たい何かが、背骨を直接撫でたような感覚。
違う。
寒いんじゃない。
怖い。
理由なんて分からない。
なのに身体の奥底が叫んでいる。
――危ない。
視界でもない。
音でもない。
もっと直接的な何か。
そして、なぜか分かった。
上。
セレスティアの後方。
木の幹――。
「セレスティア、後ろ!」
叫んだ。
セレスティアの目が見開かれる。
彼女は振り返らなかった。
身体が僅かに沈んだ。
次の瞬間。
銀色の光が走った。
「――え?」
僕には、剣を抜いたところすら見えなかった。
ドサッ。
何かが地面へ落ちる。
蛇だった。
僕の胴体ほどもある太さ。
深い緑色の鱗は周囲の木々とほとんど同じ色をしていて、地面に落ちた今でさえ、目を離せば見失いそうになる。
その首だけが、綺麗に切断されていた。
「……シャドウバイパーか」
セレスティアが呟いた。
「シャドウ……バイパー?」
「擬態と隠密に特化した魔物だ。気配を消して獲物へ近づく」
セレスティアが死骸を見下ろす。
「私も気配を掴むのが遅れた」
背筋が寒くなった。
あのセレスティアが?
ブラックウルフの群れを一瞬で殺した、この人が?
セレスティアが僕を見る。
「アレン」
「は、はい」
「どうして分かった?」
答えに詰まった。
僕にも分からない。
ただ、あの瞬間――。
危険だと分かった。
「急に……感じたんです」
「感じた?」
「背中が冷たくなって……うまく言えないけど、そこに何かいるって」
「…………」
青い瞳が僕を見つめる。
嘘を見抜こうとしているような鋭い目だった。
でも、僕は本当のことしか言っていない。
やがてセレスティアが口を開く。
「……昨日もそうだったな」
「え?」
「ダートラットを倒した後だ。急に暗闇が見えるようになったと言った」
心臓が跳ねた。
気づかれている。
「そして今日は、フォレストスパイダーを倒した直後に、私が気づくのが遅れた魔物の奇襲を察知した」
「…………」
セレスティアはしばらく僕を見ていた。
「お前」
一歩、近づく。
「何を隠している?」
冷たい声だった。
でも、不思議と怖くはなかった。
僕自身が一番知りたいことだからだ。
「……分かりません」
「何?」
「僕にも分からないんです」
僕は自分の手を見る。
「ダートラットを倒したら【夜目】を手に入れました。さっきフォレストスパイダーを倒したら、今度は【危険察知】っていうスキルが……」
初めて、口にした。
自分の異常な能力を。
セレスティアの表情が消えた。
「魔物を倒して、スキルを得た?」
「はい」
「そんな馬鹿な」
「僕もそう思います」
「…………」
「でも、本当なんです」
沈黙。
森を抜ける風が、セレスティアの金髪を揺らした。
「……ステータスを見せろ」
「え?」
「確認する」
そう言って彼女は僕へ手を伸ばし――途中で止めた。
そして、小さく首を振った。
「いや。今はいい」
「いいんですか?」
「お前自身にも分かっていない力を、今ここで問い詰めても仕方ない」
セレスティアはシャドウバイパーの死骸へ視線を落とす。
「だが、一つだけ覚えておけ」
声が低くなる。
「その力のことを、誰にでも話すな」
「どうして?」
「魔物を倒して、その能力を奪う」
彼女の青い瞳が僕を射抜いた。
「そんな力を欲しがる人間が、この世界にいないと思うか?」
ぞくりとした。
さっきの【危険察知】とは違う寒気だった。
「……分かりました」
「街に着いても黙っていろ」
「はい」
セレスティアが歩き出す。
僕も追いかけようとして――ふと足元を見る。
シャドウバイパー。
セレスティアが倒した魔物だ。
しばらく待った。
何も聞こえない。
「……やっぱり」
「何をしている。置いていくぞ」
「今行きます!」
走って追いかける。
一つ、分かった。
セレスティアが倒した魔物からは、何も起こらない。
つまり【捕食成長】には、少なくとも一つ条件がある。
――僕自身が倒すこと。
だったら。
僕は前を歩くセレスティアの背中を見つめた。
魔物を倒す。
経験値を得る。
運が良ければ、その能力まで手に入る。
一匹で駄目なら十匹。
十匹で駄目なら百匹。
昨日まで僕は、世界で一番弱いと思っていた。
今だって、きっと弱い。
でも。
「……もっと倒したい」
小さく呟く。
「何か言ったか?」
「なんでもありません!」
セレスティアの背中を追いながら、僕は自分の手を握った。
次は何を手に入れられる?
どんな魔物がいる?
どこまで強くなれる?
そんなことを考えるだけで、胸の奥が熱くなった。
このとき僕はまだ、《捕食成長》という力の本当の異常さを知らなかった。
そしてセレスティアもまだ知らなかった。
自分が拾った「才能のない少年」が、魔物を狩るたびに――この世界の常識から外れていくことを。




