二人目の美少女
ギルドの買取カウンターにホブゴブリンの討伐証明部位を提出すると、受付嬢が手際よく確認を済ませ、革袋から銀貨を取り出した。
「はい、これが今回の報酬ね。アレンの分はこっち」
ミレイさんが、僕の手のひらに銀貨を数枚落としてくれる。
チャリン、と小気味よい音が鳴った。
初めて、自分の力で魔物を倒して得たまとまった報酬だった。冷たい銀貨を握りしめると、昨日までただ生き延びることに必死だった自分が、ようやくハンターとして一歩を踏み出せたような気がした。
「セレスティアさんの分は……」
「いらん。私は依頼の参加者ではない。討伐したのはお前たちだ」
壁際で腕を組んでいたセレスティアが、素っ気なく答える。
実際、師匠が手を出したのは、不意打ちを仕掛けてきたホブゴブリンを斬った一度だけだった。それも、僕の不注意を補うためだ。
ミレイさんは肩をすくめると、残りの報酬をしまった。
「それにしても、アレン。あんた、思ってた以上にやるじゃない」
「いえ、ミレイさんが正面を引き受けてくれたおかげです」
「そういうところも含めてよ。自分にできることと、できないことをちゃんと分かってる。駆け出しには意外と少ないのよ、そういう子」
彼女はにかっと笑い、それから少し真面目な顔になった。
「ねえ、アレン。私と組まない?」
「え?」
「固定パーティのお誘い。あんたの動き、私の大剣と相性がいいのよ。二人ならもっと難しい依頼にも挑戦できるし、稼ぎだって増えるわ」
悪い話ではなかった。
ミレイさんはDランクの実力者で、気さくで面倒見もいい。今日の戦闘でも、彼女が敵を引きつけてくれたおかげで、僕は落ち着いて動くことができた。
一人で戦っていたら、あんなにうまくはいかなかっただろう。
それでも、僕の答えは決まっていた。
「ありがとうございます。でも、今は遠慮しておきます」
「あら、即答?」
「はい。僕、まだ師匠から教わりたいことが山ほどあるんです」
自然と、少し離れたところに立つセレスティアへ視線が向いた。
純白の外套をまとった彼女は、こちらの会話など興味がないというように掲示板を眺めている。
けれど、あの人の剣を思い出すだけで、胸の奥が熱くなった。
圧倒的な速さ。無駄のない動き。あれほどの強さを持ちながら、僕のような駆け出しにも根気よく剣を教えてくれる。
あの骸骨との死闘で、僕は嫌というほど思い知らされた。ステータスが上がっただけでは、強敵を前に何もできない。生き残るためには、まだまだ学ばなければならないことがある。
「それに、もっと強くなりたいんです。今の僕じゃ、師匠の足元にも及びませんから」
「……そっか」
ミレイさんは一瞬だけ残念そうな顔をしたものの、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「まあ、Sランクの剣士に教わってるんだものね。そりゃ私じゃ敵わないか」
「そんなことないですよ。今日だって、すごく勉強になりました」
「ふふ、ありがと。じゃあ、気が変わったら声かけて。あんたならいつでも歓迎するわ」
大きな手で僕の肩を軽く叩き、ミレイさんは仲間たちの待つ円卓へ戻っていった。
最後まで気持ちのいい人だった。また機会があれば、一緒に依頼を受けてみたい。
「師匠、お待たせしました」
セレスティアのもとへ駆け寄ると、彼女は掲示板から視線を外した。
「……終わったか」
「はい。それと、これ」
僕は報酬の中から銀貨を三枚取り出し、差し出した。
「武器代です。まだ全部は返せませんけど、まずは三枚」
セレスティアの青い瞳が、僕の手のひらへ落ちる。
「……もう返すのか」
「借金ですから。銀貨十八枚のうち三枚。残りは十五枚ですね」
「律儀な奴だ」
そう呟きながらも、彼女は銀貨を受け取った。
「せいぜい死なずに稼げ。返済が終わる前に死なれては困る」
「はい。絶対に返します」
「……金の話をしているんだぞ」
「え? 分かってますけど」
なぜかセレスティアは小さく息を吐き、僕から顔を背けた。
金色の髪が揺れ、その隙間から覗く耳が、ほんの少し赤くなっていた。
* * *
夕暮れのルクスは、屋根も石畳も柔らかな橙色に染まっていた。
露店から漂う焼き肉の匂いに腹を鳴らしながら、僕はセレスティアと並んで宿へ向かっていた。
通りを行く人々は、相変わらず彼女を見ると顔をしかめたり、露骨に距離を取ったりする。
そのたびに胸の奥がちくりと痛んだが、セレスティアは気にも留めない様子で歩いていた。
「……アレン」
不意に、彼女が口を開いた。
「はい?」
「あの女の誘い、受けなくてよかったのか」
「ミレイさんのことですか?」
「他に誰がいる」
セレスティアは前を向いたまま続ける。
「あれは悪くないハンターだ。お前との連携も取れていた。実戦経験を積むという意味では、私について回るより得るものもあるだろう」
「そうかもしれませんね」
「……なら、なぜ断った」
少しだけ声が低くなった気がした。
僕は考える。
確かに、ミレイさんと組めば効率よく稼げるかもしれない。危険な依頼でも、経験豊富な前衛が一緒なら心強い。
でも。
「僕、昨日の骸骨との戦いで思ったんです」
「……何をだ」
「もっと強くなりたいって。レベルだけじゃなくて、ちゃんと自分の力で生き残れるくらいに」
あの大剣が迫ってきた瞬間の恐怖は、今でも身体に残っている。
二度と味わいたくない。
けれど、あの絶望的な相手を倒したときの感覚も、忘れられなかった。
「師匠の剣って、すごいじゃないですか。僕、ああいうふうに戦えるようになりたいんです。だから、もう少し教えてください」
セレスティアは答えなかった。
何かまずいことを言っただろうかと横顔を窺うと、彼女はいつもの涼しい表情で前を向いていた。
「……もう少し、か」
「え?」
「いや、何でもない」
そう言って、セレスティアは歩き続ける。
ただ、いつの間にか彼女の歩幅が少し狭くなっていた。
いつもなら僕が小走りで追いかけるところなのに、今日は無理をしなくても隣を歩ける。
「師匠?」
「なんだ」
「歩くの、遅くなってません?」
「お前が遅いから合わせてやっているだけだ」
「ありがとうございます」
「……礼を言うほどのことではない」
夕陽を受けた金色の髪が、風にさらさらと揺れる。
その横顔を眺めていると、セレスティアがこちらを向いた。
「何を見ている」
「いや、やっぱり師匠って綺麗だなって」
「なっ……!」
彼女の足が止まりかけた。
「お、お前は……どうしてそういうことを平然と口にする!」
「だって本当ですし」
「……少しは慎みを覚えろ、馬鹿弟子」
そう言って顔を背けた彼女の耳は、夕焼けよりも赤かった。
僕は思わず笑ってしまった。
* * *
翌朝、僕たちは再びハンターギルドを訪れていた。
巨大な掲示板には、討伐や採集、護衛など、さまざまな依頼書が所狭しと貼られている。
「今日はお前が選べ」
「えっ、僕がですか?」
「当然だ。いつまでも私が選んでやるわけにはいかん。自分の実力を把握し、危険と報酬を天秤にかける。それもハンターの仕事だ」
「なるほど……」
僕は改めて掲示板を見上げた。
【ゴブリン討伐】【薬草採集】【街道の魔物警戒】。
どれも駆け出し向けの依頼だ。
今の僕はLv12。筋力も敏捷も、登録したときとは比べものにならないほど上がっている。
しかも【危険察知】に【毒耐性】、そして【再生】まである。
できれば、もう少し強い魔物と戦ってみたい。
《捕食成長》がある以上、強敵との戦いは新しい能力を得る機会でもある。
もっとも、あの骸骨のような化け物は二度と御免だが。
「師匠、Eランクの依頼って受けられるんですか?」
「原則として、今のお前のランクでは受けられん。例外はあるが、まずは自分が受注できる範囲で選べ」
「うーん……」
僕は依頼書を一枚ずつ眺めていく。
報酬、討伐対象、出現場所。
頭の中で、自分のステータスと照らし合わせる。
昨日までなら、魔物の名前を見るだけで尻込みしていたはずだ。
それが今は、どう戦えば倒せるかを考えている。
その変化が、なんだか嬉しかった。
「じゃあ、北の森の――」
手頃な依頼書に手を伸ばしかけた、そのときだった。
「だから、私一人で行くと言っているでしょう!」
受付カウンターから、よく通る少女の声が響いた。
思わず振り返る。
黒いローブをまとった、小柄な少女が受付嬢と向き合っていた。
「申し訳ありません。規定ですので、単独での受注は認められません」
「でも、前衛がいなくたって魔法は使えます! 実力なら――」
「そういう問題ではないんです」
受付嬢も困り果てているらしい。
少女は悔しそうに唇を噛み、俯いた。
その横顔が見えた瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
艶やかな黒髪が、白い頬にさらりとかかっている。長い睫毛に縁取られた大きな瞳。小さく整った鼻筋と、柔らかな桜色の唇。
年齢は僕と同じくらいだろうか。
華奢な身体を黒いローブに包んだその少女は、まるで物語の挿絵から抜け出してきたように可愛らしかった。
(……すごい美少女だな)
思わず見惚れてしまう。
ところが、周囲の反応は正反対だった。
「おいおい、朝っぱらから勘弁してくれよ」
「またあの醜女か。誰も組みたがらねえんだから諦めりゃいいのに」
「顔を隠してくれねえかな。酒がまずくなるぜ」
笑い声が広がる。
少女の肩が、ぴくりと震えた。
けれど、彼女は何も言い返さない。
俯いたまま、ローブの袖をぎゅっと握りしめている。
僕は呆然とした。
まただ。
セレスティアと出会ったときと、同じ。
僕にはこれほど美しく見える少女が、この世界では醜いと蔑まれている。
「……どこが?」
思わず声が漏れた。
隣にいたセレスティアが、僕を見る。
「アレン?」
「あの子のことです。どう見ても、すごく可愛いじゃないですか」
セレスティアの表情が、わずかに変わった。
「……お前には、そう見えるのか」
「はい。師匠だって綺麗ですけど、あの子も――」
そこまで言って、僕は口を閉じた。
セレスティアが、なぜかじっと僕を見つめていたからだ。
「……師匠?」
「いや。何でもない」
彼女は視線を逸らした。
そのとき、受付嬢の申し訳なさそうな声が聞こえた。
「お気持ちは分かりますが、前衛を務められる方を見つけていただかないと……」
「……分かりました」
少女が小さく答える。
その声には、先ほどまでの勢いがなかった。
彼女は依頼書を握りしめ、踵を返そうとした。
僕は自分の腰にある鋼のショートソードへ目を落とした。
昨日までなら、前衛が必要だと言われても、何もできなかっただろう。
でも、今は違う。
少なくとも、誰かの前に立って剣を振るうくらいの力はついたはずだ。
「……師匠」
「なんだ」
「ちょっと、行ってきてもいいですか?」
セレスティアは少女と僕を交互に見た。
何か言いかけたようだったが、結局、小さく頷く。
「……好きにしろ」
「ありがとうございます」
僕は少女のもとへ歩き出した。
彼女が顔を上げる。
黒い瞳が、まっすぐ僕を捉えた。
「……何か用?」
警戒するような声だった。
僕は少しだけ緊張しながら、笑顔を作った。
「さっきの話、聞こえちゃったんですけど」
「……それで?」
「前衛を探してるんですよね?」
少女の目が、わずかに見開かれた。
僕は腰の剣に手を添える。
「よかったら、僕と組みませんか?」
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