初めての戦利品
《始まりの迷宮》の入口は、物々しい空気に包まれていた。
ルクス支部から駆けつけたギルド職員や武装したハンターたちが、慌ただしく声を飛ばし合っている。
無理もない。
浅い階層にいるはずのゴブリンやポイズントード、それどころか巨鬼までが、何かから逃げるように地上へ殺到したのだ。
「セレスティア様!」
僕たちが入口から姿を現した途端、見覚えのある受付嬢が血相を変えて駆け寄ってきた。
僕が登録したとき、あまりに低いステータスを見て驚いていた女性だ。
周囲のハンターたちも、純白の外套を見るなり道を開ける。
「ご無事でしたか! 中で何が――」
「問題ない」
セレスティアはフードを深く被り、いつもの冷淡な声で答えた。
ついさっきまで、僕を抱きしめて震えていた人と同一人物とは思えない。
「強力なアンデッドが一体、上層まで迷い込んでいた。瘴気もそいつが原因だろう。魔物どもは、それに怯えて逃げ出したようだ」
「アンデッド……!? すぐ討伐隊を――」
「必要ない」
セレスティアが言葉を切った。
「処理した」
それだけだった。
けれど周囲の空気が、一瞬で変わる。
Sランクハンター、セレスティア。
その彼女が「処理した」と言えば、そこから先を疑う者はいない。
当然、僕が一人で倒したことなど口にしなかった。
Fランクになったばかりの新人が、自分では鑑定すらできない魔物を単独で倒した。
そんなことが知れ渡れば、何が起きるか分からない。
「さ、さすがです……。すぐにギルドマスターへ報告を」
「好きにしろ。私たちは戻る」
セレスティアはそれだけ告げ、歩き出した。
僕も慌てて後を追う。
すれ違いざま、何人ものハンターが彼女を畏怖の目で見送っていた。
その背中を見ながら、僕は小さく息を吐く。
僕が生きて戻れたことも。
あの化け物を倒したことも。
今はまだ、僕と彼女だけの秘密だった。
* * *
ギルドの片隅。
人目につかないテーブル席で、僕は自分のステータスを開いた。
浮かび上がった数字を見た瞬間、息が止まる。
名前:アレン
Lv:12
職業:なし
ランク:F
筋力:28
魔力:15
敏捷:32
スキル:【鑑定Lv1】【夜目Lv2】【捕食成長】【危険察知Lv1】【毒耐性Lv2】【再生Lv1】
「……嘘だろ」
思わず声が漏れた。
十二。
迷宮へ入る前とは、もはや別人だ。
拳を握ってみる。
力を込めただけで、自分の身体ではないような感覚があった。
軽い。
身体の芯から力が湧いてくる。
「あいつ……どれだけ強かったんだよ」
あれほど死にかけた。
何度も、本当に終わったと思った。
けれど――その死闘は、確かに僕の中へ残っている。
「見せろ」
向かいに座っていたセレスティアが【看破】を使う。
数字を追っていた青い瞳が、わずかに見開かれた。
「……異常だな」
「そんなにですか?」
「短時間で上がりすぎている。少なくとも、昨日までのお前とは比較にならん」
「じゃあ、僕も結構強く――」
「調子に乗るな」
ぴしゃり。
浮かれかけた気分を、一言で叩き落とされた。
「数値が上がっただけだ。剣筋も、間合いの取り方も、状況判断もまだ未熟。格上を一体倒したからといって、それがお前の実力になったわけではない」
「でも、倒しましたよ?」
「次も同じことができると思った瞬間に死ぬぞ」
「……はい」
怖い。
正論なので、もっと怖い。
肩を落とした僕を見て、セレスティアが小さく息を吐いた。
「とはいえ」
「?」
「よく生き残った。それだけは事実だ」
顔を上げる。
けれどセレスティアはもう僕ではなく、ステータスの一点を見ていた。
「問題は、こちらだ」
白い指先が示したのは――。
【再生Lv1】
「これ、すごいですよ。胸の傷もすぐに――」
「だから問題だと言っている」
セレスティアの表情が険しくなる。
「確認する。あの骸骨は、戦闘中に傷を再生させたか?」
「……いえ」
記憶を辿る。
僕の剣が通じた場面そのものが少なかった。それでも、折れた骨が元に戻ったり、傷が塞がったりするところは見ていない。
「少なくとも、僕が見た限りでは」
「では、なぜお前が【再生】を得た?」
「……え?」
「《捕食成長》について、私たちはまだ何も分かっていない。魔物を倒すことで何らかの能力を得る――そこまでは、お前自身の感覚から推測できる」
セレスティアの指が【再生Lv1】の文字をなぞる。
「だが今回、お前自身が『今までとは違った』と言った」
そうだ。
あの瞬間。
今まで何度も繰り返された、何も起こらない感覚とは明らかに違った。
身体の奥に、何かが入り込んでくるような――。
僕は無意識に胸元へ手を置いた。
『――同……胞……?』
あの声まで蘇る。
「……アレン?」
「いえ。なんでもありません」
セレスティアが僕を見る。
一瞬だけ、何かを見透かされそうな気がした。
けれど彼女は追及しなかった。
「いずれにせよ、この能力について他人に話すな」
声が低くなる。
「《捕食成長》も【再生】もだ。希少な能力は、それだけで人間を呼び寄せる。善人だけとは限らん」
「……はい」
「お前はまだ、自分の身を守れるほど強くない」
その言葉だけ、妙に強かった。
僕は素直に頷く。
「誰にも言いません」
言えるはずもなかった。
骸骨が僕の血を舐めたこと。
そして――僕を『同胞』と呼んだことも。
「よし」
セレスティアが立ち上がった。
「行くぞ」
「どこへです?」
彼女の視線が、僕の腰へ落ちる。
そこにあるのは鞘と――柄だけになったショートソード。
「その鉄屑を、いつまで武器と言い張るつもりだ?」
「あ」
「買い直すぞ」
* * *
再び訪れた裏路地の武具屋。
店主の親父は僕の腰を見るなり、腹を抱えた。
「がはははっ! 坊主! 数時間で剣を柄だけにして帰ってくる奴は初めて見たぞ!」
「僕だって好きでこうなったんじゃありませんよ……」
笑い声を背中で聞きながら、並べられた剣を見る。
今度こそ頑丈なものがいい。
そう思ったのだが――。
【鋼のショートソード:銀貨十五枚】
「…………」
僕はもう一度見る。
銀貨十五枚。
見間違いではない。
「高っ!」
「そりゃそうだ。前のは駆け出し用だぞ。本格的に潜るなら、このくらいは必要だ」
「十五枚……」
前の剣代すら返していない。
僕の視線は自然と店の隅へ移動した。
樽に何本かの中古剣が刺さっている。
その中に――銀貨五枚。
少し錆びているけど、剣は剣だ。
「これにしま――」
伸ばした手を、白い手が遮った。
「却下」
「え?」
セレスティアは鋼のショートソードを手に取り、僕へ差し出した。
「こっちにしろ」
「銀貨十五枚ですよ!?」
「見れば分かる」
「前の銀貨三枚だって返してないんですよ!? これ以上借金したら――」
「構わん」
「僕が構います!」
「私が貸すと言っている」
「でも!」
セレスティアが何か言い返そうとして、口を閉じた。
一瞬、視線が僕の胸元へ落ちる。
まだ血の跡が残っている場所。
「……安物を持たせて」
声が少しだけ小さくなった。
「また武器が壊れて……そのせいで、お前に死なれるより安い」
「…………」
「…………」
妙な沈黙が落ちた。
店主の親父が、僕を見る。
それからセレスティアを見る。
片方の眉が上がった。
僕もセレスティアを見る。
「師匠……」
「武器の話だ」
「まだ何も言ってませんけど」
「顔が言っている」
「どんな顔です?」
「腹の立つ顔だ」
セレスティアがぷいっと横を向いた。
金色の髪の隙間から覗く長い耳が、じわじわ赤くなっていく。
さっきまでの真剣な話との落差がおかしくて、つい吹き出した。
「……ふっ」
「笑うな、馬鹿弟子!」
「す、すみません。でも――」
僕は笑いを堪えながら、差し出された剣を受け取った。
「ありがとうございます、師匠」
「……金は返せ」
「もちろんです」
「利子も取る」
「えっ!?」
「嫌なら今すぐ返せ」
「横暴だ!」
店主の笑い声が店内に響いた。
僕は改めて、鋼のショートソードを握る。
重い。
けれど、嫌な重さじゃない。
昨日まで使っていた剣とは違う。柄を握れば、手のひらに吸いつくような感覚がある。
ゆっくり抜く。
鈍い光を返す刀身に、僕の顔が映った。
相変わらず、どこにでもいそうな顔。
その向こうに、腕を組んで僕を見ているセレスティアの姿も映り込んでいる。
今度は。
心配をかけるだけじゃなくて。
いつか、この人に背中を預けてもらえるくらいに。
「……師匠」
「なんだ」
「僕、強くなります」
セレスティアは一度だけ瞬きをした。
「当たり前だ」
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「誰の弟子だと思っている」
僕も笑った。
新しい剣を鞘へ納める。
カチリ、と小さな音がした。
借金――銀貨十八枚。
強くなるための最初の代金としては、たぶん安い。
……たぶん。
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