最強の師匠がいない迷宮で、僕は一人になった
銀色の閃光が、地下迷宮の闇を切り裂いた。
「シッ!」
鋭い呼気。
次の瞬間、黒い怪物の腕が十数本まとめて宙を舞った。
速い。
見えない。
師匠が剣を振ったことだけは分かる。
でも、どう斬ったのかまるで分からない。
黒い泥のような巨体へ銀色の線が走る。
一瞬遅れて――。
ズルッ。
怪物の身体が斜めにずれた。
「……すごい」
あれほど恐ろしかった怪物が、斬られていく。
無数の腕が落ちる。
黒い巨体が裂ける。
巨大な単眼さえ、師匠の剣が一閃するたびに切り刻まれていく。
これがSランク。
これが――僕の師匠。
「アレン! 下がっていろ!」
「はい!」
僕は素直に距離を取った。
悔しいけど、今の僕が入れる戦いじゃない。
僕には【鑑定】すらできない怪物。
それと師匠は、一人で渡り合っている。
いや。
それどころか――。
「はあっ!」
銀閃。
黒い巨体が真っ二つになった。
勝った。
そう思った。
だが。
「…………?」
師匠が動かない。
剣を構えたまま、斬り裂いた怪物を睨んでいる。
「師匠?」
「来るな」
低い声だった。
直後。
ベチャッ。
床に落ちた黒い肉が動いた。
「え?」
一本の腕が、床を掴む。
斬り落とされた別の腕も動く。
黒い肉片が泡立つ。
ボコッ。
ボコボコッ。
細切れになったはずの肉塊が、互いに引き寄せられていく。
「そんな……」
再生している。
違う。
それだけじゃない。
斬り離された一部が、本体へ戻らない。
腕を生やしたまま、別々に這い始めた。
一体だった怪物が。
二体。
三体。
四体。
斬れば斬るほど――増えていく。
「……最悪だな」
師匠が吐き捨てた。
怪物の一体が飛びかかる。
銀閃。
両断。
だが、床へ落ちた二つの肉塊から、それぞれ腕が生え始める。
「師匠!」
「分かっている!」
再び剣が閃く。
今度は細切れにしない。
怪物の腕だけを切り落とし、攻撃を逸らす。
でも、止まらない。
「何なんだ、こいつ……」
僕は【鑑定】を試した。
【鑑定不能】
やっぱり何も分からない。
名前も。
レベルも。
弱点も。
再生を止める方法も。
「アレン!」
「はい!」
「入口へ戻れ!」
「でも師匠は!?」
「私なら問題ない!」
「だったら僕も――」
「馬鹿!」
怒鳴られた。
初めて聞くほど強い声だった。
「お前を守りながらでは戦えん!」
「…………っ」
何も言えなかった。
悔しい。
でも、事実だ。
僕がここにいるだけで師匠の邪魔になる。
「走れ!」
「……はい!」
歯を食いしばって背を向けた。
その瞬間。
――ゾワッ。
【危険察知Lv1】。
「え?」
何だ?
怪物じゃない。
上?
見上げる。
天井に亀裂が走っていた。
「師匠! 上!」
直後。
一本の黒い腕が、天井を支えていた巨大な岩柱へ叩きつけられた。
ズガァァァァン!!
「っ!?」
迷宮全体が揺れた。
岩柱に亀裂が走る。
もう一撃。
ズガン!
折れた。
「まずい!」
師匠が叫ぶ。
天井から小石が降ってくる。
次いで、人間の頭ほどの岩。
そして。
バキバキバキバキッ!
天井そのものに巨大な亀裂が走った。
「アレン、走れ!!」
僕は走った。
考える暇なんてなかった。
頭上から岩が落ちる。
右。
左。
【危険察知】が警告するたび、必死に身体を動かす。
ドン!
目の前へ岩が落ちた。
「うわっ!」
横へ飛ぶ。
背後で銀色の光が爆発した。
振り返る。
師匠が剣を振り、落下してくる巨大な岩を次々と砕いている。
同時に、黒い怪物の腕を切り払っている。
「師匠!」
「前を見ろ!」
怒鳴られた。
「振り返るな! 走れ!」
「……っ!」
走る。
今の僕には、それしかできない。
悔しい。
師匠は戦っている。
僕は逃げている。
でも。
死んだら終わりだ。
師匠に教えられた。
魔物を倒すことより、生き残ることを考えろ。
だから。
走る。
「はぁっ……はぁっ……!」
出口へ。
少しでも師匠から離れる。
少しでも邪魔にならない場所へ。
そのときだった。
――ゾワッ!
これまでで一番強く、【危険察知】が反応した。
「っ!?」
前へ飛ぶ。
直後。
ドドドドドドドドッ!!
背後で迷宮が崩れた。
凄まじい衝撃が背中を殴る。
「うわああっ!」
身体が吹き飛ぶ。
床を転がる。
肩を打つ。
背中を打つ。
頭を守りながら、何度も転がった。
やがて。
止まった。
「ゲホッ……ゴホッ……!」
土煙。
耳鳴り。
何も見えない。
「師匠……?」
返事がない。
「師匠!」
立ち上がる。
振り返った。
「…………」
岩。
通路が消えていた。
巨大な岩盤が幾重にも重なり、僕が走ってきた道を完全に塞いでいる。
「師匠!」
駆け寄る。
「師匠!!」
岩を押す。
動かない。
「セレスティア!!」
叩く。
拳が痛い。
それでも叩く。
「返事してください!」
何も聞こえない。
剣の音も。
怪物の声も。
師匠の声も。
「嘘だろ……」
力が抜けた。
岩壁へ額をつける。
さっきまで。
すぐ向こうにいた。
いつだって僕の少し前にいた。
ダートラットと戦ったときも。
森を歩いたときも。
街へ入ったときも。
ギルドでも。
ダンジョンでも。
振り返れば、必ずいた。
僕自身が魔物と戦っていても。
最後の最後には、師匠がいる。
本当に死にそうになったら助けてくれる。
心のどこかで、そう思っていた。
でも。
今はいない。
「…………」
暗い。
発光苔も崩落で潰れている。
光がない。
完全な闇。
だけど。
ゆっくりと輪郭が浮かび上がった。
岩。
床。
崩れた壁。
【夜目Lv1】。
「……見える」
師匠はいない。
でも、ダートラットから手に入れた力がある。
そのとき。
「……っ」
鼻を突く刺激臭。
崩れた壁の亀裂から、紫色の靄が流れ込んできた。
吸い込んだ瞬間、喉が焼ける。
「ゴホッ!」
毒。
まずい。
口元を布で覆う。
肺が痛い。
頭も少し重い。
でも――。
動ける。
【毒耐性Lv2】。
毒が効かないわけじゃない。
苦しい。
このまま長時間吸えば危険だ。
それでも、普通ならもっと酷いはずの毒の中で、僕はまだ立っていられる。
ポイズントードを何度も倒したから。
あのとき手に入れた力が。
今、僕を生かしている。
「…………」
だったら。
まだ終わってない。
師匠が生きているかは分からない。
いや。
生きている。
そう信じる。
Sランクなんだ。
僕なんかが心配する人じゃない。
問題は――僕だ。
ここからどうする?
岩は動かせない。
毒が流れ込んでいる以上、ここに留まり続けることもできない。
なら。
進むしかない。
崩落によって露出したらしい細い横穴がある。
どこへ繋がっているのか分からない。
暗い。
危険だ。
怖い。
その奥へ意識を向けた瞬間。
――ゾワッ。
【危険察知Lv1】。
何かいる。
一つじゃない。
暗闇の奥から。
カリ……。
カリカリ……。
硬いものが石を引っ掻くような音がする。
「…………」
怖い。
一人だ。
助けてくれる人はいない。
師匠の指示もない。
どっちへ避ければいいか教えてくれる声もない。
逃げたい。
でも。
僕はショートソードを抜いた。
カチャリ。
小さな金属音が、暗闇へ響く。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。
【夜目】がある。
【危険察知】がある。
【毒耐性】もある。
剣もある。
そして。
師匠に教えてもらった。
相手を見る。
焦らない。
生き残る。
「僕一人でも……やれる」
声は少し震えていた。
だから、もう一度言った。
「生きて帰る」
師匠のところへ。
必ず。
僕はショートソードを握り直した。
そして。
誰も前を歩いていない暗闇へ――初めて、自分から一歩を踏み出した。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




