第40話 星の進路が変わる夜
春の夜気が和らいできた頃、再儀式の日程が決まるまで
神殿では何度も会議が開かれた。
カイを塔へ入れることへの反対は、最後まで消えなかった。
「星が示した者を締め出して、何を読むのです」
オルフェが言う。
その一言だけで決まったわけではない。
儀式の安全、過去の形式、王位継承へ身分の低い者を立ち会わせる政治的な意味。
反対する理由は一つではなく、再儀式の正統性を疑う声も残った。
カイの熱が下がった翌朝、医師は旅に出てもよいと告げた。
麦村へ戻る馬車と護衛も用意された。
神殿は再儀式まで留まるよう求めたが、アステルは退けた。
それでもカイは、出発を一日延ばした。
自分の名と星盤の反応が、本人のいないところでどう扱われるのか。
条件を確かめてから決めたいと申し出たのだった。
参加を決める前夜、カイは条件書をもう一度読んだ。
危険があれば止められる。意見を勝手に要約されない。
儀式が終われば帰る選択がある。
紙に書かれた約束が必ず守られるとは思わなかった。
それでも、書かれていなければ破られたことさえ証明できない。
彼は署名の代わりに、自分で確かめたい条件を三つ書き足した。
星盤が何を示しても、村の者を王都へ呼びつける理由にしないこと。
異なる解釈を消さないこと。
退出を望んだ時、誰が止めたかも記録すること。
オルフェは一字も削らず受け取った。
条件書を読んでも、カイの懸念は消えなかった。
「俺が入れば、王都の証拠として使われませんか」
「使おうとする者はいるでしょう」
「星図を乱したと、俺のせいにされるかもしれない」
「それもありえます」
「村に帰りたいです」
「分かっています」
カイは、自分の名と星盤の反応がすでに記録された以上、
不在のまま意味を変えられたくないと言った。
再儀式の結果が、村の者を王都へ呼びつけたり、
送る物資の順番を決めたりする理由に使われる可能性もある。
だから、自分の目で見届ける。
儀式が終われば、予定どおり麦村へ帰る。
それがカイの選択だった。
塔へ上がる階段は狭く、熱の下がったばかりのカイは、
一段ずつ確かめるように上った。
後ろから手を貸そうとした騎士を、彼は首を振って断った。
アステルは先に上らず、カイと騎士の後からついていった。
二段分の距離を空けて。
待つことが配慮なのか、見張ることになるのか、自信はない。
ただ彼の歩調を王宮の時間へ合わせさせたくなかった。
扉の前で治療者が脈を測り、退出の合図を確認した。
儀式の厳粛さより、こうした具体的な手順の方が、
今夜を過去と違うものにしていた。
再儀式への参加は忠誠でも、アステル個人への責任でもなかった。
自分の暮らしに関わる記録を、他人だけに決めさせないための選択だった。
儀式の夜、星見の塔は冷えていた。
黒い石の床には銀線で星図が描かれ、天窓の向こうに雲の切れ間が見える。
燭台の火が揺れるたび、銀の線もかすかに動くようだった。
カイは足元を見た。
「踏んでいいんですか、これ」
「星図の内側へ立つのが儀式です」
「俺が踏んで線を消したら、怒られるのでは?」
「泥の畦ではないから、消えないわ」
「星よ、私の進路を示してください」
アステルは唱えた。
声は震えなかった。
だが、恐怖が消えたわけではない。
恐怖を抱えたまま読むと決めただけだった。
最初の太い線が王宮へ伸びた時、アステルの胸に、
かつての安堵がよみがえった。
一本の道なら迷わずに済む。
星が決めたと言えば、女王候補から下りたい気持ちも、
王宮から逃げたい恐れも、自分の責任ではなくなる。
だが今夜の光は、その逃げ道を与えなかった。
母の改変された記録も、名を削られた助産師も、
カイの諫言も、一本の線の外側に残っている。
最初の太い線は王宮へ伸びた。
次に、東方の水路を思わせる曲がった線が現れた。
さらに南地区の方角へ細い光が走り、最後には王都の外へ向かう複数の細い線へ分かれた。
一本の道ではない。
細い流れが絡まり、離れ、また別の場所で重なっている。
神官の一人が息を呑んだ。
「光が乱れた」
「カイを入れたためです」
「複数の候補地が示された」
「王国全体を示す兆候では」
「星読みの失敗です」
解釈が重なる。
オルフェも、マグナスも、同じ意味を語らなかった。
アステルには、その光が水路に似て見えた。
「これ、星じゃない」
カイが呟いた。
「何に見える?」
「俺には、星より水路に見えます。線が分かれています」
「星なら、どう読む?」
「俺には分かりません。水路なら、どこで塞がっているかを探します」
神官の一人が、星を水路にたとえるのは儀式を損なうと咎めた。
別の神官は、土地を知る者にそう見えたこと自体を残すべきだと反論した。
オルフェは記録係へ、どちらの発言も、発言者の名とともに記すよう命じた。
カイの言葉は正解として採用されず、身分を理由に消されることもなかった。
光は川にも、網にも、切り分けられた道にも見えた。
星の進路が変わったのではない。
変わったのは、自分の読み方だった。
遠い村の水路も、南地区で人を支えた名を削られた女性も、
王宮で異議を述べる手も、同じ流れの中にあるように見えた。
宣言を求める視線が集まった。
ここで星が女王を選んだと言えば、反対を抑えられるかもしれない。
逆に失敗だったと認めれば、神殿の権威を守る者は安心するだろう。
どちらも、複雑な光を一つの目的へ使う行為だった。
アステルは息を吸い、沈黙が不安として広がる時間を引き受けた。
「今夜分かったのは、この光を一つの答えに決めてはならないということです。
都合のよい解釈だけを残さないことを、ここで決めます」
扉の外では、マグナス、リディア、ユーリス、ガラード、騎士たちが待っていた。
全員が同じものを同じ意味で見たわけではない。
儀式が終わると、星盤はカイとアステルの間で淡い光を残した。
二人は手を重ねなかった。
星図の別々の線へ手を置き、淡い光を挟んで立っていた。
けれど、近くに相手の手があると分かる程度の距離だった。
扉が開く。
安堵する者。儀式の有効性を疑う者。
カイの参加を問題視する者。
星図が複雑になったことを不吉と見る者。
アステルが何を宣言するのか警戒する者。
それぞれの視線を受けながら、アステルは長い弁明をしなかった。
カイへ向き直る。
「今日の解釈を一つには決めません。迷いも反対も記録します。
最後に選ぶのは星ではなく、私です。その選択の責任も引き受けます」
カイは答えなかった。
彼の同意をアステルの決意へ取り込まないため、その沈黙も記録へ残された。
彼女は、女王になることが決まったとは言わなかった。
自分が女王候補としてどの道を示し、国とどのように向き合うかを宣言すると決めただけだった。
塔の外へ広がった星図の光は、石壁を越えるころには薄くなっていた。
夜気が窓から流れ込み、儀式の熱を奪っていく。
カイの熱が戻らないか、アステルは横目で確かめた。
神官たちは低い声で議論を続けている。
冷えた天窓の向こうでは、雲の切れ間から星がのぞいていた。
明日の宣言では、星の光だけでなく、削られた名と、
届かなかった救済についても語らなければならない。
言葉を制度へ落とせば、反発も責任も生まれる。
それでもアステルは、恐れを星の命令で覆わず、自分の選択として引き受けると決めた。
百一代という言葉の内側には、削られた名も、
届かなかった食糧も、開かなかった穀物庫もある。
明日までに、言葉を選ばなければならない。
星図の光は、王座の外へ静かに広がっていた。




