↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の進路  作者: 春凪とおる
第1章 星が示したのは麦畑だった

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/43

第4話 星は麦畑を指した

夜が明ける前に、王宮中が星読みの結果を知っていた。


正式な布告はまだ出ていない。

神殿長の確認も済んでいない。


だが王宮では、沈黙さえも言葉になる。

侍女の足音、騎士の目配せ。

政務官の閉じた口、貴族の扇の動き。

すべてが、ひとつの噂を運んでいた。


第百一代女王候補の星は、王都を出た。

東方辺境へ向かった。麦畑を指した。


アステルは一睡もしていなかった。


窓辺に立つと、空はまだ青黒く、東の端だけが薄く明るみ始めている。

机の上には、昨夜のうちに運ばれてきた東方辺境の地図と帳簿が積まれていた。


麦の収穫量。納税記録。

橋の修繕申請。水路の維持費。

人口、戸数、畑の面積、家畜数。


知識は、いくらでも集まる。

だが、星が照らした夜の麦畑は、どの帳簿にも載っていなかった。


「殿下、少しでもお休みになっては」

朝の衣装を持ってきたミレイが言った。


「眠れないわ」

「朝議は荒れます」

「でしょうね」


今日の衣は深緑だった。袖口には小さな麦穂の模様が入っている。

偶然だった。ミレイはそれに気づいた時、手を止めた。


「別の衣にいたしましょうか」

「いいえ、これで」


(麦穂……よくある、実りの象徴のモティーフなのに)


朝議の間には、主要な者たちが集まっていた。

神殿長オルフェ、騎士団長ガラード、教育係のユーリス卿。

政務院の長たち、王宮儀礼官、高位貴族。


そして、女王代理として国政を預かる摂政侯マグナス。


マグナスは先代女王の弟にあたる男だった。

五十を越え、金色だった髪には白が混じっている。


声は穏やかで、いつも香油の匂いをまとっている。

幼い頃から、彼は優しく、正しく、少し遠かった。


「アステル」

マグナスは身内の声で呼んだ。


「昨夜は大儀であった。まずは儀式が無事に成ったことを、皆で喜ぼう」


(無事に、ね)


儀式は確かに無事だった。

問題は、無事に成った結果を誰も歓迎できないことだ。


「神殿長。星図の照合は」

「東方辺境の麦村周辺である可能性が最も高いと見ています」


「可能性」

儀礼官がすぐに言葉を拾った。


「確定ではないのですな」

「星読みは方角と象徴を示します。地名を告げるものではありません」


「では、再確認の余地がある」

「星石は光りました」


オルフェの声は静かだった。

政務院の長が地図を広げる。


「該当する麦村は、王都から馬で六日、冬道なら七日。

麦作が主ですが、特筆すべき家系はありません。

村長家も農地管理を担うのみで、貴族との血縁は確認されておりません」


「神殿施設は」

「小さな祠が一つ。常駐神官なし」


「騎士経験者は」

「記録なし」


「学問所の出身者は」

「記録なし」


ひとつずつ、可能性が消されていく。

つまり、王宮の者たちが望むような人物はいない。


「農村の若者か」

高位貴族のひとりが低く言った。


「女王候補のかたわれが」

「星がそう示したならば」

オルフェが返す。


「神殿は認めるのか」

「神殿は星を読む場所です。星を裁く場所ではありません」


マグナスが、アステルへ視線を向けた。


「おまえは、昨夜見たものをどう受け止めている」

「星は、麦畑を指しました。私は、それを確かめたいと思っています」


「確かめるだけなら、使者で足りる」

「私も行きます」


室内がざわついた。

マグナスはすぐには否定しなかった。


「王宮を離れる意味が分かっているか」

「分かっています」


「いや、分かっているつもりかもしれない。おまえは王宮で守られて育った。

 街道の寒さも、宿場の匂いも、辺境の粗さも知らぬ」

「だから、行くのです」

アステルは言った。


「私は、民の暮らしを知れと教えられました。

 帳簿を読み、地図を覚え、収穫量を暗記しました。

 でも昨夜。

 星が示した麦畑を見た時、私はその場所を何も知らないと思いました」


儀礼官が口を挟む。


「殿下、それは美しいお考えですが、政治とは感傷ではございません。

 民の暮らしを知ることと、辺境の者を王宮へ引き入れることは別です」

「まだ王宮へ引き入れるとは言っていません」

「しかし、かたわれとなれば」

「かたわれが何を意味するのかも、私たちは慣例で知っているだけです」


(かたわれ。わたしの運命を決める、もう一人のわたし)


朝議の間の窓から日が差し始めた。

白い光が床を横切り、卓の上の地図を明るくする。

東方辺境のあたりに、細い光が落ちた。


「よい」

マグナスが言った。ざわめきが止まった。


「使者団を出す。神殿、騎士団、政務院から人を選ぶ。

 アステル、おまえも同行を許す」

「摂政侯!」


「ただし、女王候補としてではなく、星の確認者としてだ。

 人数は絞る。派手な行列にはしない。辺境に余計な混乱を招くな」


ガラードが深く頭を下げた。


「護衛は私が選びます」

「頼む」


「出立は」

アステルが尋ねた。


「三日後」

「遅すぎます」


「早すぎる」

マグナスの声には、譲る気配がなかった。


「道の確認、宿場への通達、辺境伯への知らせ、護衛の編成。

 どれも必要だ。おまえは星を追うのだろう。

 ならば、道中で倒れるわけにはいかぬ」


アステルは反論しかけ、やめた。


確かに自分は、街道を知らない。

王都の外へ行くということが、何を準備することなのかも知らない。


「分かりました」


朝議が終わると、噂は正式な形を持ち始めた。

女王候補が東方辺境へ向かう。


星が麦畑を示した。

かたわれは、姓も持たぬ村の者かもしれない。


アステルは自室へ戻る途中、厨房の横を通った。

朝のパンが焼き上がる匂いがした。

白パンの甘い匂い。使用人用の重いパンの香ばしい匂い。


「東の粉は、まだありますか」

料理長が驚いた顔をした。


「はい、少しなら」

「明日の朝、それでパンを焼いてください」


「殿下用に、でございますか」

「ええ」


自室に戻ると、机の上に新しい地図が置かれていた。

東方辺境の麦村のあたりに、小さな赤い印がつけられている。


王都から見れば、針の先ほどの点だった。

しかし星は、そこを指した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。