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星の進路  作者: 春凪とおる
第1章 星が示したのは麦畑だった

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第3話 導きのかたわれ

塔の扉が開くと、外の空気はひどく重かった。

青い布の敷かれた回廊に、神官たちが両側に並んでいる。


彼らの白い衣は燭火を受けて淡く光り、銀鈴が小さく震えていた。

神殿長オルフェは扉のすぐ前に立っていた。

表情は変わらない。


ただ、その目だけがアステルの胸元を見た。

星石は光っている。

儀式は失敗していない。


「星は、示されましたか」

「はい」


アステルの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

広間の方でざわめきが起こる。


ガラード、ユーリス卿、ミレイ、政務官たち、貴族たち。

誰もが期待を隠しきれない目でこちらを見ている。


「方角は」

「東です」


神官たちの鈴が、かすかに鳴った。


「距離は」

「王都の外でした」


今度こそ、空気が変わった。

王都の外。それだけなら前例がないわけではない。

けれど近年のかたわれはほとんど王都にいた。


神殿、騎士団、政務院、貴族家。

国の中心に近い場所。女王を支えるにふさわしい場所。


「東方辺境です」

アステルは言った。


「畑が見えました。麦畑です。

水路があり、小さな家がありました。村の名までは分かりません」


沈黙。

燭火が揺れた。


誰かが小さく笑いかけ、すぐに口を閉じた。

嘲りというより、信じられないものを見た時の息だった。


オルフェだけが静かに頷いた。

「星図を開きます」


塔の下層の広間へ移ると、円形の卓に王国全土の星図が広げられた。

山脈、川、街道、村、神殿、砦。

そのすべての上に、星の軌道が重ねられている。


記録官たちが巻物を開く。

アステルは自分が見た景色を伝えた。


東門からの距離。川を二つ越えたこと。

低い丘。冬麦。石垣。水路。

小さな農家。橙色の灯。


アステルは目を閉じた。

まだ背が低く、青く若い麦をなでていく風も思い出していた。


「東方辺境に、麦村はいくつある」

ユーリス卿が政務官へ問う。


「主な村だけで二十七。小村を含めれば五十を越えます」

「水路の修繕報告が出ている村は」

「三村です。そのうち、橋と水路の両方に申請があるのは、東の麦村が一つ」


アステルの胸が小さく動いた。


水路。

麦。

白パンではない、香りの強い粉。


「殿下」

ガラードが低い声で言った。


「見えた人物は、どのような者でしたか」

「若い人でした。おそらく、私とそう変わらない年頃」

――顔は見えなかったけれど。


「男ですか」

「分かりません」

――シルエットから脚衣を身につけていたようにも思えた。


広間の後方がまたざわめいた。

若い貴族が顔を見合わせた。


かたわれが男であれば伴侶候補と見る者もいる。

女であれば女王の片腕と見る者もいる。


アステルは、ミレイだけが心配そうにこちらを見ている事に気づいた。

身分や性別や家筋によって、政治的な意味が変わる。


あの麦畑の人物は、まだ何も知らない。

王都の広間で、自分の存在がこれほど重い意味を持って語られていることなど、

知らない。


「農民、ということですか」

誰かが言った。


その言葉には、驚きと侮りと不安が混じっていた。

王宮の者が普段口にする「民」とは違う響きだった。


民は尊い。民は守るべきもの。

民は女王の慈愛の対象。

けれど農民が女王のかたわれとなると、途端に口の中で引っかかる。


オルフェが星図に手を置いた。

東へ伸びる街道を指でなぞる。

川を越え、橋を越え、その先で指が止まる。


「星は身分を読みません」

広間が静まった。


「星が読むのは、進路です」

「しかし神殿長、百一代目のかたわれが辺境の農民となれば、

 諸侯に示しがつきませぬ。星の読み違いということは」

「女王候補の星石は光りました」


その一言で、誰もが黙った。

「では、候補者の見間違いでは」


王宮儀礼官の声が、広間に細く響いた。

アステルはゆっくり顔を上げた。

怒ってはいなかった。

ただ、不思議なほど冷静だった。


「見間違いかどうかを確かめるために、星図を開いているのでしょう。

 ならば確かめてください。私は、東方辺境の麦畑を見ました」


ユーリス卿が小さく頷いた。

「東の麦村を第一候補として調査すべきです」


「使者を出す」

ガラードが言う。


「騎士を二十名、神官を二名、記録官を一名。夜明けと同時に」

「私も行きます」


アステルが言った。

沈黙が落ちた。


「アステル殿下」

ガラードの声が低くなる。


「なりません。星が示した地を確認するのは使者の役目です。

 殿下が辺境へ赴くなど」

「かたわれは、私の進路を示すのでしょう」

「だからこそ、まず身元を確かめねばなりません」

「身元が確かでなければ、星は間違いになるのですか」


ガラードが黙った。


アステルは星図を見下ろした。

王都から東方辺境へ伸びる街道。川。丘。小さな村の点。

星はそこへ行った。


王宮の屋根を越え、神殿の塔を越え、騎士団の砂地を越え、政務院の灯を越えて。


「私は民の暮らしを知れと教えられてきました。ならば、行きます」

「殿下、それは」

「まだ今夜決めよとは言いません。

 ですが、使者だけを送り、王宮で返事を待つことが正しいとは思えません。

 星が私のために道を示したのなら、歩くのは私です」


言ってしまうと、胸の奥の軋みが少しだけ軽くなった。

オルフェがアステルを見ていた。


「星読みの儀は、女王候補を安心させるためのものではありません」

神殿長は言った。


「進むべき場所を示すものです」

アステルはもう一度、星図の東を見た。


麦畑。

水路。

若い影。


まだ顔も知らない、導きのかたわれ。


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